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第一話:ヴェズダー

 日課の訓練を早々に終えた俺は、父のいうとおり身だしなみを万全に整え、屋敷のロビーにいた。

 ロビーには、俺の他にも位の高い使用人達、そして父や母が既に集まっている。

 ……先程見たが、食堂は軽いパーティ会場だった。出迎えに全員が出ていることといい、万全のもてなしの体勢といい、客人とやらがどんな人物か想像できなくなってくる。

 俺はこの時点で、ひょっとしたらその客人って思う以上にとんでもない人物なのでは……と思い始めていた。


「なあユーリよ」


 まさか王族なんかじゃないだろうな。根ざした小心者の相良鋼太郎が、胃の痛みを訴え始めたその時だった。

 父に呼ばれて視線を返すと、父はどこか遠い所を見たまま語り始める。


「お前は本当に優秀な息子だ。同じ年頃の子供ならばまだ習い始めてもいない技術を既に修めており、あと二年もすれば魔法教育の一通りを終えてしまう程だろう」


 その声は本当に誇らしげで──心から、息子の成長を嬉しく思っていることが伝わってくる。

 こうして真正面から褒められるのは、やはり悪い気はしなかった。

 俺は演技がヘタだ。その為、ユーリ=ロマノフという男の子は可愛げも面白みもないガキになってしまったと思っている。

 だが父を始めたこの屋敷の人びとは、才覚に溢れた少年を好いてくれていた。そればかりは、実力主義のこの国(チェムナータ)にも感謝しなければいけないだろう。


「なあユーリよ。私はいつか、お前ならばヴェズダーになれるやも、といったな。あのときはほんの軽い気持ちだったが、今はもうそれは夢ではないと思っている」


 アランの言葉には、段々と熱がこめられてきていた。

 それは、そう。まるで、親が球児である息子にかつての夢を見るような──熱く遠い眼差し。

 かつて父が俺を褒める時に口にしたヴェズダーという存在。その言葉はよく知っていた。いや、チェムナータの国民に、この言葉を知らない者はいないだろう。


 ……この国は、これ以上ない実力主義だ。その実力至上主義の頂点に立つ存在が、このヴェズダーという存在である。

 ヴェズダーとは、一言でいってしまえばこの国最強の魔術師だ。魔法を使って戦争が行われるこの世界において、強力な魔術師というのは兵器であり、象徴であり──特別な意味を持っている。それが、この国の実力主義と合わさったのが、ヴェズダーだ。

 戦闘においてその存在は何よりも心強い味方となり、誰もが憧れる。その憧れは平時になれば誰しもの目標となり、万民を導く──故にこの国最強の魔術師には、厚い雲に覆われたチェムナータの民が焦がれる光である『星』を意味する名を与えられる。

 ヴェズダーの存在は、この国において絶対だ。ヴェズダーは実質的に王に次ぐ権力を持っており、この国の中心としてあり続けている。『星皇』とも呼ばれ人々に慕われるその姿は、地球でいえば法王を彷彿とさせる扱いだ。

 だからこそ、この国において優秀な魔術師を称える時、その名は最大級の賛辞の一部となる。


 アランもまた、その名に魅せられた者の一人だ。『獅子将』という二つ名を轟かせるほど優秀な武人である彼にとっても、その名は永遠の憧れである。

 ……そのアランが、俺に向けてその名を現実に手にしうるものだと語る。それは賛辞というレベルでさえない何かだ。

 いっそ──不吉なまでの。


 何故今その話をする? 緊張していることもあり、俺はしばらくぶり──赤子になっていた時以来──に、妙な焦りを感じている。

 だが、その焦りが勘違いでない事に気がつくのは、その直後のことだった。

 ズン、と。肩が重くなる。まるで亡者に覆いかぶさられているような、冷たい感覚が身体を支配した。


「気づいたかユーリ。やはりお前は優秀だ……! 御出なさったようだぞ!」


 凄まじいプレッシャーに息を飲む。しかし、そんな俺とは裏腹に、アランは歓喜の声を上げた。

 狂信的だ。威厳がありながらも明るく優しい、理想の父親を体現するアランが、まるで邪教の徒の様に叫び始める。

 だが俺はそんなことを気にしている場合ではなかった。


「お前は今日、人生で最も重要な出会いをするだろう!」


 ドアが開き、その出会いとやらがやってくる。今日何度目かの台詞が、遠い何処かの言葉のように感じるのは、きっとここではない世界で育った相良鋼太郎がそう思うからなのだろう。


「おお……! よくぞおいでなさいました! ヴェズダー=ザウル=エリン!」


 ヴェズダー。最大級の敬称を付けてその名を呼ぶと、アランは跪いた。

 邪教の徒の様に、というのは間違いだったらしい。

 良き父親としての顔に騙されていたが──その通り、邪教の徒なのだ。彼は。


「息災だったか、アラン=ロマノフ」


 しかし、使用人に開けさせたドアから現れたのは──邪教の主ではなかった。

 そこにいたのは、災いを体現する邪なる神。

 ただ居るだけで息が出来なくなる。なまじ魔法の才を持っているからこそ、その存在が全く違うモノだということが理解できた。


「ほう……ほう。いい目をしている。これがお前の息子か」


 漆黒のローブを僅かに地面へ垂らしながら、フードを深く被った老人がゆっくりと歩いてくる。

 その出で立ちは、まさに老魔術師……といった様相だ。

 しかし、フードから覗く紅い瞳が、物事を楽観視させてくれない。

 まるでライオンの檻にぶちこまれたよう。陳腐な表現だし、そんなものでは全然足りない。だが『死が目の前にある』ということだけは、同じだった。

 恐怖に硬直した身体を奮い立たせ、跪く。すると、アランが興奮冷めやらぬ様子を隠しもせずにヴェズダー=ザウル=エリンの問い掛けに応えた。


「ええ、そうです!」

「道理で。親ばかかと思ったが、これはなかなか。この歳で儂の魔力を感じ取れるとは、有望だ」


 アランに声を返しつつも、ザウル=エリンの目は俺を捉えていた。

 見られるだけでも、息がとまる。意識を向けられているとなれば、卒倒してしまいそうだった。


「あ……ありがたきお言葉……! さ、ユーリ! ご挨拶をなさい!」


 アランの方も、興奮で卒倒してしまいそうなほど熱くなっている。

 俺はというと、残酷な言葉を向けられ、絶望に支配されていた。

 僅かでも意識を向けないでいてもらいたかったのだ。だが、そうもいっていられない。


「ゆ……ユーリ=ロマノフです。この度は、お会い出来て光栄でございます……!」


 緊張──いや、極限状態で金属のように固まった筋肉が、ぎこちなく発生する。

 ともすれば無礼にさえなるだろう無様さの一つ一つが、死を覚悟させる。

 しかし、歯牙にもかけていないとでもいうべきだろうか。

 ザウル=エリンは咳を払うかのように、愉快そうに笑うと、俺の目を見て告げる。


「よい……楽にせよ。気に入ったぞ、ユーリ=ロマノフや」


 圧倒的な絶対者は、頭を垂れる俺に手を置き、許しの言葉を紡いだ。

 老木のような手から、氷の如き冷たさが伝わってくる。それは俺の頭を死の一文字に染め上げた。

 ……だが、その絶対者が俺を気に入ったといっている。それ自体救いだった。俺の一喜一憂を見る事が目的の戯れで、この後すぐに落とす──そんな遊びが目的でなければ、絶対者たる老爺に嘘をつく必要は無いからだ。

 気に入ったというのが本当ならば、殺されることはないだろう。安堵の息を吐き出しそうになるのを抑えながら、『楽にしろ』という命令を遂行するため、立ち上がる。


 しかし。

 この邪悪な存在が常識で推し量れるはずはなかった。

 立ち上がる俺を待っていたのは、事実上の死刑宣告だったのだ。


「のうユーリ。儂の元で魔導を極めるつもりはないかね」


 できれば頭を垂れていたい。できれば目を合わせずにいたい。

 そんな誘惑を振り切って命令に従った俺に、ザウル=エリンは微笑んで、そういった。

 ……死ね、という意味だろうか。


「ああ……なんと……ッ!」


 ザウル=エリンの隣で感極まった様に──いや、事実感極まり、気絶でもしそうなのを手を組んでようやく繋ぎ止めているアランが妙に遠く見える。

 この老人の元で魔導を学ぶ? ……冗談じゃない。こんなプレッシャーの中にいたら、一日も立たずおかしくなってしまう。

 だが──その問い掛けに使う選択肢は、一つしか用意されていない。


「はい……! ありがたきお言葉です……っ」


 それは、はい。肯定の一つだけだ。はいかYESという選択肢さえありはしない。この重圧の中でそんな遊びに命をかける事ができる奴が居るのなら、見てみたい。


「ああ、ああユーリ! お前は私の誇りだ……!」


 興奮し、上気するアランが抱きついてくる。顔を赤くした髭面の男が抱きついてくるのは親という事実を含めても気持ちのいいものではなかったが──そんなこと、今の俺には気にしている余裕もなかった。


 ……こうして、五歳の誕生日に、俺はとんでもないサプライズを受ける事になった。

 国最強の魔術師であるヴェズダーより直々に教えを賜ることになる。その幸福は、チェムナータの人々を卒倒させるだろう。

 だが俺は別の意味で倒れてしまいたかった。明日から、俺はこの何時死ぬかもわからない重圧の中で魔術を学ばなければいけないのだ。


 ──これが、今回の俺の人生において、最初で最大の分岐点だったという事はいうまでもない。

 片方は激流、片方は助かる見込みさえ無い大きな滝につながっている──実質選択肢はない、そんな理不尽な二択ではあったが。

 だが後にヴェズダーの名が誰に渡されるかを考えると、俺はここで滝の方を選ぶのが正解だったのではないかと思うのだった。



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