第十一話:休日を楽しもう
休日の一日目。
俺の部屋には、俺の他に二人の少女が訪れていた。
訪れていた、とはいってもその片方はもうこの部屋に住み着いているので、このタイミングでその表現はおかしいかもしれない。
肝心なのは、この部屋にエリナが遊びに来ている、ということだ。
クロとの剣呑な雰囲気も少しは収まっており、それでいて休日が始まって早速遊びに来るというあたり、寂しがり屋なのかもしれない。
まあ、それも当然だろう。愛を失い、愛を求めて、ひたすら修行に打ち込んでいたような少女だ。初めての友達に舞い上がる気持ちはよく分かる。ごく普通の現代人とっても、黒曜庁のロンリーな環境は辛かったから。
……なんて、それはどうでもいい。
折角休日に集まっているというのに、俺達は部屋で肩を震わせていた。
また喧嘩したとか、そういうのではない。単純に──戦慄していたのだ。
「ね、ねえ……これ、間違ってない……?」
「いや……わ、わからん……」
その原因は──俺とエリナが一枚ずつ持つ、一枚の紙切れにあった。
街に出るのは確定として、今日は何処に行こうか。その予定を話し合っている時のことだ。
『ユーリ=ロマノフ、先日の任務の報酬が贈られています。ああ……エリナ=リトヴァクもいたのですね。丁度いい、これを受け取りなさい』
黒曜庁の職員が訪ねてきて、そうして、この紙は渡された。
……これは、書かれた金額が口座に振り込まれたという明細書だった。
それだけならば、驚くことはない。
問題なのはその額だ。
「桁が二つは違うだろう……」
「これ、家買えちゃうわよ……」
その額は、この王都という一等地で家を買えるほどの値段だったのだ。
……確かに、ディルグロイクが絡む任務を二人でこなせば、その額は妥当かもしれない。
しかもそのディルグロイクが天寵を持っているともなれば、危険度と報酬はハネ上がるだろう。
「む、これは私をどうにかするという任務の報酬か? ……ほうほう、私にこれほどの金額が掛けられているというのは悪い気はせんな」
本人が気楽なもので、それほど危険な任務だったという実感はないが──実際にエリナは殺されかけている。
その危険度だけで言えば、確かに、あるいは、妥当なのかもしれない。
だが、俺達はまだ『子供』だ。
しかも、討伐される予定だった対象は生きている。
それなのにこれほどの金額がポンと出されている事実に、俺達は驚愕していた。
「ええ……どうしよう、抗議した方が良いかな……」
「しかしこれが想定された報酬だったらどうする。ヴェズダーの考えに土を付けることになるぞ」
「だからってこんな大金どうすればいいのよ!」
「それなんだよな……」
方や元孤児。方や貴族の息子とはいえ、元は一般的な会社勤め。
そんな子どもである俺達にとって、この大金は未曾有の衝撃であった。
「まあまあ、使えばよいではないか。何かと入用だろう? 特に、ユーリは私の日用品も揃えなければならんしな」
「当たり前のように集るつもりか……まあ、元からそのつもりではあるが……」
クロも金額の大きさはわかっているみたいだが、あるものは使えばいい……という考えはさばさばした彼女らしい。
「まあ……それも、そうね。間違いなら、お金を貰う時にでも気付くでしょうし……」
一見冷静なようで、エリナの眼はぐるぐると渦を巻いている。現状についていけず、パンクしかけているのだろう。
とはいえ……あるものは使えばいいというのは事実だ。それに、エリナのいう通り間違っていれば気付くだろう。
正直、桁を二つ減らしても子供が持っていい額ではないのだが。
こうして悩んでいて休日をすり減らしていくのも望ましくない。
「じゃあ、出るか……確か、銀行が近くにあったな」
「まずはそこからね。……クロも着いてくるの?」
「私のものも買うのだから当然だろう。安心しろ、ちゃんと人間の姿にはなる」
目的を一致させ、俺達は部屋を後にする。
誰かと連れ立って部屋を出る、なんていうのは、本当に久しぶりな気がした。
◆
時間は進み、本来ならば太陽が真上に来ているくらいの時間。
王都ブリェスクのレストランで、俺達は食事を摂っていた。
定食屋というには少しだけ格式が高いそこは、王都に住む富裕層達の舌を唸らせている人気店だ。
……普段であれば、こんな場所に入ることはないだろう。そもそも娯楽を目的とした外出自体が稀なのだが、それは置いておいて。
「まさか本当にあの金額が入っているとはな……」
「一人の頃は屋根がある家が羨ましかったけど、まさか王都でそれを買える日が来ると思わなかったわ……」
俺達は付かれた様子でがっくりと肩を落としていた。
銀行で確認したら、本当に書かれた金額が入っていたのだ。根が質素な俺達は、これにとても驚いた。そして焦った。
正直朝に寮を出てから今まで、何をしていたかよく覚えていない、というくらいに。
「~♪」
それを覚えているのは、満面の笑みでステーキを頬張っているクロくらいなものだろう。
「やはり食事は肉に限る。どうしたユーリ、小娘。食が進んでいないようだが。食事の時くらい楽しんだらどうだ」
今は人間の姿をしていても、元が狼だからだろうか。肉食系女子……なんて言葉を思いながら、自分の皿に目を落とす。
目の前の皿に盛られているのは、貝のパスタだ。
貫くような強烈なダシの香りが食欲をそそる。
……まあ、確かに。折角高い店に入ったんだ、楽しまなきゃ損か。
一口分をフォークに巻きつけて、パスタを口に運ぶ。
余分な味付けのない、塩と潮の旨味が駆け巡る。……うん、美味い。大衆店で豪遊できるような値段通りかどうかは分からなかったが、今まで食べたパスタの中ではかなりレベルが高いと思う。
「これ、美味しいわね……」
「そうだな」
エリナの方も、とりあえずは食事を楽しむことにしたようだ。
口を抑えて頬を赤らめているエリナは、正しく『食事を楽しんでいる』のだろう。幼い少女らしい仕草で、可愛らしい。
「……」
流石に高いだけはある……というのが先行してしまうダメな大人にとっては眩しい光景だ。
などと思っていると、ふとエリナが此方を見ていることに気がつく。
が、それに気がつくとエリナは目をそらしてしまった。
……なる程な。
勝手に得心し、俺はパスタをフォークに巻きつける。
「一口やるから、そちらのを一口くれないか?」
「えっ、いいの!? ……こほん、じゃなかった。まあ、そうね。私も、そっちのパスタに興味があるわ」
多分、一口交換してみたかったのだろう、と。
交換を申し出てみると、エリナは予想以上の食いつきを見せてから、直ぐに咳払いをして取り繕った。
……キャラを作っていたのは、俺だけでもないようだ。
「ほら」
「ちょ、直接……!? ん、いただくわ」
それは今でもエリナの中では継続しているようだが、不測の事態に弱いのか、もはや取り繕うことは出来ていない。
エリナの口の前までフォークを持っていくと、エリナはまた慌てる。
これくらい何でもない、とでもいいたげな言葉だが、耳まで真っ赤だ。……少し、俺も恥ずかしいが。
遠慮しがちに、少女の小さな口が開かれる。
ゆっくりと位置を確かめるように、開かれた口が近づけられる。俺は少女の小さな口にそれを、沈めるように静かに、押し込んだ。
「はぷ……」
息を漏らしながら、口を閉じるエリナ。
何故か目を瞑っているのがおかしく──また、可愛らしかった。
エリナの口から優しくフォークを引き抜くと、俺はエリナのパスタをフォークに絡ませた。
……やってみると予想以上に恥ずかしかったからだ。同じことをされては、たまらない。
「んむっ」
耳まで真っ赤にしたエリナが抗議の視線を向けてくるのが、俺の予想の正しさを示していた。
女の子に『それ』をされる機会など今までなかったので、ほんのすこし勿体無い気もするのだが──俺にはまだ『あーん』は早いらしい。
さて。エリナの皿から持ってきたのは、唇の様に紅い実のパスタだった。
地球で言えばトマトが近い。
巻きつけたそれを口に運ぶと──地球で食べるトマトのパスタよりも強い酸味が、優しく口の中に広がった。
ぷちぷちと弾けるような食感は、俺のパスタとは少しだけ違う。
味に合わせて茹で加減を変えているのだろう。
「美味いな」
「……美味しい、わね」
俺も多分、少しだけ赤くなりながら。同じ感想を言い合う。
何処がどう美味い、なんて喋れなかった。
……少し、やりすぎたな。主観では自分よりも大分幼い少女にそれをするのは大したことではないと思ってたが、今にも煙を吹きそうなエリナを見ていると、こっちまでヘンになりそうだ。
他のことを考えて意識をそらさないと……と思っていると、そういえばクロがやけに静かな事に気がついた。
狼にとっては『あーん』の意味がわからなかったのか? などと思っていると──
「ぬう……!? 今のはアウトな奴だろうユーリ……! ええい、私にもそれをしろ!」
あまりのことにフリーズしていたのだろうか、クロが今にも地団駄を踏みそうな怒りを顔に浮かべていた。
アレを二度? ……冗談じゃない。
「静かにしろ。ここは店の中だぞ。……『人間界のルールは守る』んだろう?」
「ぐぬぬう……! 不公平だぞ! くそっ」
クロが俺の側で生活するにあたって守ると誓わせたルールを盾にし、俺は逃げ出した。
なんだか妙な雰囲気になってしまった。
エリナは静かになってもそもそと口を動かしているが、アレでは味などわかるまい。
「(これが『氷姫』だといっても、黒曜庁の奴らは信じないだろうな……)」
『闇の寵児』と並んで候補生達に恐れられる、『氷姫』のエリナ=リトヴァク。
その珍しい姿に感心しながら、奇妙な昼食の時間は過ぎていった。
……あとで、何か詫びはしようと、そう誓った。