第十話:報告
「ご苦労だったな、ユーリ=ロマノフ、エリナ=リトヴァク」
「は……身に余るお言葉でございます」
嫌な時間というのは嫌に思うほど早くやって来るものだということを痛感しながら、俺達は今ザウル=エリンの前に跪いている。
黒曜庁へと戻ってきた俺達は、直ぐにザウル=エリンの元へとやってきていた。
請け負った任務を報告する必要があったからだ。
グリーナの町付近の山で起きた出来事を報告した俺達に、ザウル=エリンがかけたのは労いの言葉だった。
特に驚く様子もなく、嗄れた声で紡がれるねぎらい。
……やはり、何が原因かを全く知らなかったわけではなさそうだ。
それ自体は、俺達にこの任務をいいつけたことからわかっている。だが──
「だが、お前は予想以上の成果を上げてきたな、ユーリ。師として、お前の成長は嬉しく思う。よもや『天寵』を持つディルグロイクと契約して帰って来るとは──『闇の寵児』の二つ名に相応しいとは思わんかね」
「……はい」
ディルグロイクが『天寵』を持っている。それに対しても奴は驚かない。まるで、知っていたかのように。それさえも、クロの強さをも知っていたのだとしたら。
エリナを任務に同行させたのは、解せない。……捨て石にでもしたかのようだ。あるいはその通りかもしれない。
ただ単に、どれだけの強さを持つ個体かわからなかった。それだけなら良いのだが、この男には、何か邪悪な思惑があったのだと思う。俺には、そうとしか思えなかった。
ザウル=エリンは俺を鍛える際、必ずお前は選ばれた人間だと、特別な者なのだと『刷り込む』。これも、その一環だったという気がするのは──考え過ぎではないと思う。
……俺の隣で同じように跪いているエリナは、表情を変えていない。
が、聡明な彼女ならば、ザウル=エリンの態度の違和感にも気づいているだろう。
「さて、それで──」
一方。クロの方はどうかというと──
ザウル=エリンの視線が、自分に向けられたと気づいたクロはびくりと身を震わせ、身体を低く見せる。
……あの傍若無人なクロも、ザウル=エリンの前ではこのザマだ。
「(おいユーリ……! 聞いてないぞ……此奴は、あの時の老爺ではないか……!)」
「(怖い人と会ってもらうとはいってあったろう)」
脳内に直接伝わってくるのは、クロからの念話だ。
『契約獣の契り』の副産物である。本来は遠距離に居る魔物を呼び出すための力なのだが、人語を話せるクロにとってはどこでも会話が出来る能力となる。発覚した時にはとても喜んでいた。
どのみち、四六時中一緒に居るつもりらしいので、念話が出来ても意味はないと思うのだが──心が通じ合うのは良いこと、らしい。
まあ、それも今は文句をいう目的でしか使われていないのだが。
恨み節とともに向けられるのは、これまた恨みがましい視線だ。
「まだ若いようだが、見事なディルグロイクだな。よい魔物と契約を結んだ」
「は……光栄です」
それでも、直接会話する機会がないだけでも幸せというものだろう。
結局、ザウル=エリンの興味が行きつく場所は俺だ。『俺』が珍しい魔物と契約してきた──ザウル=エリンに感じるのは、その程度のことだろう。
「では改めて、ご苦労だったなユーリ、エリナ。お前たちには休日と報酬を与えよう。暫し休むといい」
「はっ」
「了解しました」
暗に下がれ、と言葉を付け足す様に、ザウル=エリンは星皇の間を後にする。
彼が完全にいなくなるのを待ってから、俺達は星皇の間を後にするのであった。
◆
「ふう……緊張したな」
「お前のいう言葉は冗談かと思っていたぞ……あの老爺がそうだというのならば先に言っておけ……」
所変わり、自室。
俺とクロは二人で安堵の息を吐き出していた。
……そういえばここってペット可なのか? とは思ったが、確認してみれば大丈夫とのことだ。よくよく考えてみれば黒曜庁の正式な魔術師達はもう殆どが『契約獣の契り』を済ませている。中には契約した魔物と共に過ごす人も居るようだし、心配はなかったようだ。
ベッドに腰掛ける俺に対し、クロは人間の姿になり、図々しくもベッドの上で寝転んでいる。
……そういえば、クロの寝床はどうしようか。新しくあつらえる方が良いかもしれないが、人間形態の事は隠しておきたい。ややこしくなりそうだし。
しかし……思えば同じ年頃? の女の子が部屋に居るというのは初めての経験だ。
少しばかり緊張もするが、ナチュラル畜生の狼だと思うと、甘い浮つきも消えていくような気がした。
気をそらすかのように、ふとクロへと疑問を投げかける。
「……そういえばヴェズダー=ザウル=エリンを知っていたんだったな。あの岩山で見た時のことを覚えてたのか?」
「む……ああ、そうだ」
それは、クロがザウル=エリンを知っていたことに対する疑問だ。
先程の報告でのクロの態度を見るに、大層恐れているようだというのは間違いない。
「なら、あっちに憧れる事はなかったのか? 俺よりも、余程強いぞ」
つまりクロもあの男の強さはわかっているということだ。
ならば俺でなくあの男に憧れていても良いのではないか……とふと思ったのだ。
質問に対し、クロは露骨に眉間へと皺を集めた。
「冗談じゃない。あんなに恐ろしいものがあるか。アレは破滅そのものが具現化したような、死の化身さ。お前たちがアレを崇めているのだけは、本当に理解できんよ」
死の化身。最初に俺が思い浮かべた通りの感想に、言葉を呑む。
強さが正義の自然界に生きるクロがそう思うのは、意外といえば意外だった。
いや──あるいは、自然界に生きていたからこそなのだろうか。何処にも存在しない破滅の具現化。それは、災害を恐れるようなものなのかもしれない。
「なるべく、会いたくはないものだな。呼ばれている時以外は留守番させてくれ。犬は主の帰りを待つものだ」
「こんな時ばかり調子がいいな」
ふん、と鼻を鳴らして、クロは枕に顔を埋める。
そんなやり取りに、少しだけ安心した。
俺だけがアレを異常だと考えているわけじゃなくて、同じ感覚を受けるものが居た。……それは、今まで誰にも言えない秘密を打ち明けたような、心地よさが有った。
案外、気が合うのかもしれない。
こんなことならば、クロと出会えたのも良かった気がする。
俺と友達になってくれて、ありがとう。
ふと、そんなことを伝えようと、身体の向きを変える。
「はぁはぁ……これが焦がれたユーリの匂いか……冷たいようで、力強い芳香……! ああ……」
「……」
向きを変えて、絶句した。
そこには美しい髪をベッドに広げ、一心不乱に枕の匂いを嗅ぐ美少女の姿があったからだ。
前言撤回だ。
今からでも契約中の契りを破棄する方法を探すべきかもしれない。
やっぱりコイツが悩みのタネであることは変わらなそうだ。
これから長い付き合いになっていくクロをどう躾けたモノかと思案しながらも──久々の休日を前にした夜は、更けていった。