4 見えた世界は
嗅いだことないにおい、涼しい風。涼しいというよりもとてもとても寒い。
眩しかった目の前は、次第に落ち着き徐々に感覚が戻っていく。
目を開けて飛び込んできたのは、一面の銀世界。
「……へ?」
なんとも、間抜けな声が出た。
それもそうだ、今何月だと思ってる。まだ無縁なはずの景色。そしてなにより、まだ夜なはずだ。
そんな冷静な判断、ふと我にかえり慌てて振り返る。しかしそこに、あるはずの扉など無かった。
なんなんだ、今日は。変なものでも食べたのか
“クキュルル!”
バッグから飛び出したヴァイスは、一瞬浮いたと思ったがそのまま垂直に地面へと落ちた。
飛べないのか…。
しかし、真下は雪。半分程埋まり動かなくなったのを、慌てて拾い上げると腕から抜け出しまた雪へとダイブした。
「ははは、それ気に入ったの?」
“クヒャー”
嬉しそうに鳴くヴァイス。
どうやら、ドラゴンは変温動物ではないらしい。
そして、足先の冷たさに気付き自分の考えをただした。
何も知らない場所、何も知らない生き物と一緒の世界に放り出され、剰え雪の積もる場所。もし、何かに襲われたら、もし雨風凌げる場所がなかったら、食べられるものがなかったら、知識が無ければ毒があるなしも分からない…。急速に湧き上がり顔を出してくる恐怖と不安。
ただ一つ、何かあるとすればこの目の前にいる小さな生き物。このちいさな小さな生き物を守らねばならないという、母性本能なのかただの庇護欲なのか。
“プピャー”
「……取り敢えず、人…?探さないと。ヴァイス、行こう?」
楽しそうに駆け回る、跳ね回る?ヴァイスを見て和みつつも、これから先のことを考えた。重要なことだ。
少し分厚いとはいえ、この雪では最小限の防御力しかない服。しかも動きづらいロングスカートだ。
名前を呼ばれると、ヴァイスはこちらを見上げ首を傾げそのまま足元までやってきた。抱き上げると、嬉しそうに尻尾を揺らしながら猫がやるようにスリスリと頬摺りをしてきた。
ああ、かわいい…この小さな小さなドラゴンだけが今ここでこうして普通にいられる精神安定剤のようなものだ。
◆◆
しかし、歩けども歩けども森の木々と雪ばかり。体力だけが削られていくようだ。
気づいたら、ヴァイスはすやすやとバッグの中で眠っている。きっと、その重さも相まって疲れるんだろう。
「疲れた…っ!」
ガサガサッ!
シン、と静かな中に響いた音は、すぐ近くの茂みだった。
驚きと恐怖で、その場から動けずにいると
「な、なんだ…ねずみか…」
顔を出したのは、もふもふとした鼠。果たしてあれはねずみだろうか、栗鼠だろうか。全容が見えず、なんだかはわからないが、ちょこちょこと出てくるとその後ろにフサフサとした尻尾が見えた。
あれはきっと、栗鼠だろう。ただ少し、身体が大きく爪もそれなりに、少し牙に見える様な歯。
ホッとした瞬間、視界の端に映った白い閃光。
“クキュッ”
目の前にいた栗鼠のような生き物は、それを上回る大きさのものによって息絶えた。そして、栗鼠を咥えたままこちらを見た大きな大きな、動物園で見たことしかない猫科の生き物。多分きっと、向こうで見たサイズより断然大きい。そして、決定的な違いを上げるとするならば所々が鱗っぽい所と大きな牙だ。
小さな生き物を咥えたまま、こちらに気づいたようで、その鋭い金色の眼光に睨まれ更に動けなくなった龍。
あの小さな生き物と、同じ運命を辿るのだろうか。
流石にちょっとそれは無いよ、神様。
そんなもの信じては無いけれど。
そんな悠長に考えている暇などない、息苦しいこの感じこの感覚。金縛りにあった様に動けない。そんな体を必死に動かそうとしてやっと後ろへと引いた足。
ざりっと、少し固い雪を踏んだ。
大きな獣は、こちらを見たまま耳だけ動かし少し姿勢を低くした。
飛びかかってくると思った次の瞬間、目を閉じるとやってきたのは柔らかく温かいもの。
“ああ、待ち焦がれたぞ”
ごろごろと、猫が喉を鳴らすような音。
大きさの桁が違うからか、音も重低音だ。
そして、それに混ざって聴こえた言葉。
「っ……しゃ、べった…?」
“…竜の愛し子……”
「竜の、愛し子……?」
目を開けてみると、近くへとやってきて身体を擦り付けながら一周周った大きな獣。基、大きな雪豹だ。
そして、それは目の前に戻ると腰を下ろし少し頭を垂れてから座った。
「待ち焦がれたって、何?」
座っても、目線が私とほぼ変わらぬ高さの雪豹。多分少し高いと思われる。
“……”
こちらを見たまま、その太くふわふわもふもふとした尻尾をゆらゆらとさせ、恍惚とした表情で見てくる様はなんとも言えない。
質問に答える気がないのか、はたまたただ聞いていないだけなのか何も答えてくれはしない。
“クゥー!”
「あっ、ヴァイス!」
バッグから顔を出したヴァイスは、威嚇しているのかバタバタと暴れ身体を少し大きくさせながら牙を見せた。が、その様は、毛を逆立てて怒る子猫同然。
しかし、雪豹が鼻をヴァイスに近付けると一瞬前とは打って変わり機嫌良さそうにスリスリしだした。
恐る恐る手を伸ばし、そのとても豊かなもふもふに触れると思った以上の触り心地だった。触った瞬間、ちらりとこちらを見たが何も言うことなく、ただただ触られる雪豹。
触り心地が良すぎて、とても抱きつきたい程の毛並み
“……”
しかし、急にそのもふもふは手から離れた。
はたりと耳を動かし、何かの気配を感じたのか辺りを見回すとそちらへと歩みだした。ちらりとこちらを振り返り、尻尾を揺らした。
「……着いてこいってこと?」
“グルルル…”
“ぴゃー”
見ていると、バッグから顔を出したヴァイスが自分を見上げてきた。
何を言っているのかわからないが、もしかしたらここにいるよりは。なんて思いついていくことにした。
着いていくと、1つの小さな小屋のような物が見えてきた。
それなのか、疲れなのかちょっとした安心感からか足がふわふわとし始めゆっくりと視界がブラックアウトした。
視界が黒くなる前、大きな雪豹が慌ててこちらへと走ってくるのが見えたような気がした。