3 雪のように白く
重たい身体。
何もする気になれない程のその感覚に、目を開けることすら億劫で、目をこのまま開かない方が良いのではないかとすら思える。
とても深くて、暗くて、とても重たい冷たい場所。目を開けていないのに、なんとなく分かる。
“……お、…お……て”
微かに聴こえてくる、音のような声のようなそれでいて、心地の良いもの。耳というよりも脳内に直接聴こえてくるようなそんなものに、ゆっくりと瞼を動かす。
ぼんやりとした視界が次第に鮮明になっていくと、辺りは薄暗くジメジメとしていてゴツゴツとした地面。硬い地面にいた為身体が痛み、重い体を持ち上げやっとのことで上半身が起こせた。
"…こ……き…て……"
「誰……」
どこからともなく聴こえてくる声。しかし、いくら周りを見てもそこは薄暗い。
"……こ…っ……て……"
声が聴こえてくるような気がする方へと向くと、ふんわりとした風に包まれた。誘われるように立ち上がりそちらへと足が勝手に進む。引き寄せられる様な感覚、恐ろしい事が待っているかもしれないなんてそんなことすら気にならないほどに足が進む。
進む先に、一つの光。
眩しい光に目を、腕で覆いながら前へと進んだ。
薄暗い洞窟から出ると、そこは大きく大きく拓けた洞窟の天井が抜けた場所だった。暖かな日差しに、先程迄の恐怖などどこ吹く風。中央に有る大きな岩。
きらりと光った何かに気づき近付こうと一歩踏み出した瞬間、ゴウッと凄まじい風と陽を遮る程の大きな影。
そして、鼓膜が破れるのではないかと言うほどの咆哮。咄嗟にしゃがみ耳を手で覆った
“グギャァアアアア”
上からやって来たのは自分よりも、何十倍もあるであろう巨大な物語の中に出てくるような"ドラゴン"と呼ばれる生き物だった。
そんな…これは、夢…?これは、夢だ…。
威厳、そんな生易しいものじゃない。呼吸することすら憚られるようで身動きなんて以ての外だ。表現するとするなら、これは……。
"……"
低く唸るような声。
白く、その色は白銀に輝く躰。光の角度で七色に輝き、背後で緩く揺れるその長い尾に叩かれたら人間なんて一溜まりもないだろう。真っ赤なその瞳は、ルビーよりももっと赤く紅く燃え盛る炎の様に少しずつ色を変える。
そんな瞳に見つめられ、身体が動くはずがない。まさに蛇に睨まれた蛙。ドラゴンに睨まれた人間。
大きな翼を畳み、こちらを見たまま一瞬動きを止めたがそのまま近づいてきた。
逃げようにも、指一本すら動かせない現状。目の前には大きな足。
ああ、このまま頭から食べられるのか…。と、そう思った瞬間
"…我ガ仔ヲ…宜シク頼ム、愛シキ我ラガ___ヨ…"
頭に響くような、そんな言葉にドラゴンを見上げると悲しそうな表情に見えた気がした。
頭を垂れ、近づいてくる顔に驚き目を瞑ると顔の右半分に当たる硬いものとそれから温かいしっとりとしたモノ。理解するのに時間はかからなかった。
"…ピィ…"
小さな小さな、そんな声が聞こえた。
「!」
その声の主を思い出した龍は、そのまま意識を失った。
意識を手放す前、目の前にいたドラゴンが大きく吠えた
◆◆
真っ黒の世界、重い瞼をゆっくりと開けると明るくなる視界。視界がとてもとても白い。それから見えたのは、夕闇色。
"ピャアーー!"
「近い近い、痛いから」
声が聞こえてやっと、目の前に何がいるのか理解できた。先程私を呼んだのはこの子だ。
今見てきたあのドラゴンは、それはとてもとてもこの子にそっくりだった。目の色は違うけれどこの子もいるあれぐらいの大きさになるのだろう。そんな子をどうやって育てていくんだ。
目の前でわたわたと動き回り、顔をベロベロと舐めてくるちびっこい白いものを撫でた。
あんなに大きくなるのか…。色々とぶっ飛び過ぎて、そんな事しか考えられえなかった。
「どうしよう」
頭を撫で顎の下を撫でると嬉しそうに喉を鳴らし、その大きな夕闇色の目を隠すように細めた。
"クルルルルル…"
「何だろう、猫触ってるみたい」
"ピッ"
ドラゴンというよりは、鳥の雛。動きは猫といったところだろう。さて、何食べさせよう。そう思いたち動いた瞬間の顔の左側の違和感と強烈な吐き気に、ばたばたと急いで洗面所へと走った。
そのまま食べたもの全部戻した。自分の嗚咽と、蛇口から流れ出る水の音だけがやけに大きく聴こえる。口と顔を洗って鏡を見ると、一瞬左眼の色が違って見えた。しかしそれよりも大きなことに気づく、何故今自分は眼鏡をかけていないのか。そしてかけていないのに、何故周りの景色が鮮明に見えるのか。
"キュゥゥ"
振り返ると、入り口で心配そうにこちらを見る白いチビ…流石にそろそろ名前考えないと不便か。
「って、それどころじゃない! 何でこんなに見えるんだって!?」
振り返って鏡で確認するも、特に異常は見あたらないし変な色でもなんでもない。でも、今までかけていた眼鏡がいらない程の視力。原因なんて、ラノベ小説やら漫画の読み過ぎだと言われるかもしれないがあのチビドラゴンだ。
落ち着こう、落ち着こう。そんなこともあ、るわけない…!
こうしている間にも、鏡ごしに私を見て心配そうに首を傾げるちっこい生き物が可愛過ぎてそれどころじゃない。
バッと振り返ると、驚いた白いのが飛び上がった。そう、文字通り飛び上がったのだ、数十センチ。あの小さな羽でよく飛び上がれるな。
「ヴァイス!」
"クルッピャー"
「はぁああなにそれ可愛い。今日からお前はヴァイス。白をドイツ語でヴァイス。なんてどう?」
安直だがとても喜んでいるように見える。厨二臭いとか今関係ない。ヴァイスを抱き締めたまま、その温かいツルツルつやつやした鱗を撫でると顎の下を触られるのが一番好きなようで止めると頭をグリグリと押し付けてくる。その行動がとても可愛い。
「よし、ご飯買いに行こう。」
"クルルッ!"
一人で置いていくのは心配だが、外に連れていくのも心配だ。
「そう言えば…」
引っ越しってきてからかなり経ったのに、まだ解体していないダンボールの中身。開けてガサゴソと探し取り出したのは、斜めがけ出来る布一枚で出来ているバッグ。
それを持って戻ると、首を傾げる仕草がまた可愛い。昔飼ってたコーギーのルルに使っていたもの。また、何か生き物を飼った時に使おうと綺麗に大切にしまって置いたものだ。これを今使わずとしていつ使うんだ。そのままヴァイスを抱き上げ、そこに入れた。
嬉しそうに足場の感覚を確かめ、中で丸まったのを確認してから床に置き着替える。
「よし、行くか」
袋を持ち上げ肩にかけ、戸締まりを確認し家の鍵を持ち扉を開けるととてもとても眩しい光