薔薇の姫と北の大尉
結局あのあとは、王女様に話しかけることもなく剣術指南へと向かった。
けれども、指南の間もずっとあの涙の意味を考え続けてしまい、訓練は身の入らないものになってしまっていて。
このままではいけない。
余計なことに首を突っ込んで、本来の仕事を台無しにするなど、ノースランドの代表としてきたのに許されることじゃない。
部下たちも真摯に教えているし、ロゼッタの兵士たちも必死に訓練についてきてくれている。
その成果もあり、少しずつだが成長の兆しも見え始めているんだ。
それなのに、教官である僕がいい加減な指南をしたら、彼らに失礼じゃないか。
ぎゅっと口元を結びながら雑念を振り払おうと、大股でずいずいと廊下を歩いていく。
すると、すぐ左から突然僕の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「カイル。少しお時間頂けるかしら」
頭に血が上っていたからだろうか。
呼びかけられてようやく、廊下に立つ人と侍女の存在に気がついて、険しい顔を慌てて笑顔に変化させた。
「ロザリア王女殿下、どうされました? 僕は構いませんが」
――・――・――・――・――・――
ロザリア王女は海のような青いドレスをその身にまとい、ゆったりと優雅に歩いていく。
その後ろをついていき、人気のない庭……いつも王女様が本を読んでいるあの庭へと案内された。
「メリダ、貴女はここで待っていて頂戴」
「承知いたしました」
メリダと呼ばれた侍女は木の下で待機するよう命じられ、微笑むこともなく淡々と返事をして事務的に礼をした。
そして、そこから少し離れた所に僕を連れていったロザリア王女は、くるりと踊っているかのように振り返り、僕のことを鋭い瞳で睨みつけてきた。
「ねぇ、あなた。最近私のことを嗅ぎまわっているそうじゃないの」
その声も瞳も、いつもの穏やかな作り笑顔からは程遠い。
この華奢な身体のどこからそんなオーラが出ているのか、と思うほど威圧感に溢れており、鋭い敵意がむき出しにされている。
もし僕がロゼッタの侍従や兵士だったらその視線だけで冷や汗を垂らして委縮するだろうが、あいにく僕はノースランドの兵士だ。
解雇される恐れもなければ、素人の攻撃をかわせるくらいの反射神経は持っているし、別に怖くもなんともない。
それに、第一王女の身辺調査をしているのが女王に伝わったところで、サウスの商人について調査をしていたという名目を立たせることだって出来る。
だからこそ『私のことを嗅ぎまわっている』というロザリア王女の言葉ににこりと微笑み、悪びれもなく答えていく。
「おや、ばれてしまいましたか」
僕の言葉が予想外だったのか、ロザリア王女は少しばかり目を丸くして、ふんと鼻で笑ってきた。
「否定しないのね。もし否定していたのなら、首だけにしてノースランドに突き返してやろうと思ったのに」
「まったく物騒なお方ですね。僕はただ個人的にロゼッタや王女殿下のことを知りたくて、お話をうかがっていただけです。そんなの別に隠すようなことでもないでしょう?」
笑いながら問いかけると、ロザリア王女は『呆れた』とでも言いたげに深くため息をついた。
「変な男」
「ええ。確かによく言われます。ですが、恐れながら申し上げますと、王女殿下もずいぶん人が変わられたように見えますよ」
今のロザリア王女からは人々を魅了するいつもの微笑みもなければ、温かく柔らかな雰囲気もない。
ここまで激変してしまうと薔薇の姫というより、ヒロインの邪魔をする悪女という役割のほうがしっくりとはまってしまいそうに思えるぐらいだ。
「私は元々こう、よ。悪いコトしてるのがバレちゃったから、あなたにはこうやって自分を出してるってだけ」
「なるほど」
ツンとした顔の王女様を見て、笑った。
悪女風のロザリア王女は全然僕の好みじゃないが、それでもあの気持ちの悪い作り笑顔よりよっぽどいい。
「それで、その調査で何か収穫は得られたのかしら?」
「収穫とは、どういう意味でしょうか?」
興味なさげに尋ねてくる王女様に首をかしげて、質問を質問で返す。
すると、ロザリア王女はわずかに困ったような顔をした。
「……城の者は私について、なにか言っていたかしら? ということです」
ああ、そういうことか。
この人は気が強そうに見えて、案外自分の評判を気にしていたのかもしれない。
だが、そんな王女様に『貴女は嫌われていますよ』とも言いづらく、あえて言葉を濁していく。
「ロザリア王女殿下が想像されているようなことを、皆様言われておりました」
ロザリア王女は表情を変えないまま視線だけを落とし、小さく息を吐いた。
「やっぱり私は嫌われているのね」
「好かれていたとお思いですか?」
無礼だとは思ったが、こう聞かずにはいられなかった。
『あんな態度をとったら周囲から嫌われる、ということがわからなかったのか』という身辺調査をしている中で生じた、彼女への疑問が抑えられなかったのだ。
そして、僕の問いにロザリア王女は微かに笑う。
微笑みからは遠く、まるで自分自身を嘲り笑っているかのような表情だった。
「好かれているとは、思ってなかった。けれど、ロゼッタの次期女王として慕われているとは思っていたわ。一ヶ月前までずうっと、ね」
「一か月前というと」
「私はサウスに視察に行ってたから詳しくは知らないけど、妹がこの城に軟禁されていたらしいじゃない。そこで何かがあったんでしょうね。視察を終えて国に戻ってから、お母様の私に対する態度ががらりと変わって、こう言われたわ」
ロザリア王女は途端に口をつぐみ、ぎゅっとドレスのスカートを握りしめる。
無言のまま見つめていると、王女様は再び口を開いた。
「……民から認められていない貴女は、このままじゃ女王になれない。臣下たちはむしろ、ティアを女王にさせたがっている、って」
ロザリア王女はゆったりと庭を歩いていき、ふと足を止めて、咲き誇る真っ赤な薔薇を優しく包むように触れる。
「あの時はお母様がばかばかしいことを言っていると思っていたけど、実際に城内の至るところで私の悪口が飛び交っているのを聞いてしまったし、認めざるを得なかった。一人ひとり処罰しようと思ったけど、さすがに数が多すぎて、とても無理だと思ったわ」
そう言って、王女様はぐしゃりと右手に力を込めて薔薇の花を握りしめる。
ロザリア王女がその手を開くと、はらはらと物悲しげに赤い薔薇の花びらがこぼれ落ちて宙を舞った。
「……お母様も臣下たちも、いったい私に何を望んでいるというのよ」
風に吹かれてどこかへ飛んでいく花びらを見つめ、静かに呟くロザリア王女の瞳はなんだか、今にも泣き出してしまいそうな弱々しいものに見えたのだった。