森の湖畔
結局、雪はすぐやんでしまったようで翌朝には溶けてなくなり、何事もなかったかのように空も晴れ渡っていた。
「クライブ陛下、ティア、ありがとうございました。今度はロゼッタにもいらしてね」
城門近くに停まった馬車を前に、ロザリア王女が言う。
「ああ。女王陛下にもよろしく伝えてくれ」
「姉様、今度はぜひ一緒にひまわり畑を見に行きましょう」
陛下と王妃殿下のお言葉に王女様は嬉しそうに微笑んで頷き、馬車へと乗り込んだ。
「カイル、最後に少しだけ……」
馬車が準備をしている時に、なぜかティア王妃殿下が僕の元へとやってきて、声をかけてくださった。
突然のことに目を丸くしながら、「はい」と一言返事をすると、王妃殿下は馬車の中の王女様へちらと視線を送った。
「姉様は、私以上に意地っ張りで、頑固で、寂しがりな、ちょっとややこしい人なんです」
「ティア!」
王女様は窓からわずかに身体を乗り出し、たしなめるように声を出していく。
「これまでの仕返し! 私だって、やられっぱなしは嫌だから」
王妃殿下は楽しそうに笑って言い返し、僕の耳に顔を寄せてこられた。
「姉様ね、あまのじゃくだからカイルにもいろいろ言うと思う。だけど、本当は優しくて誰よりも真面目な努力家で。自慢の姉なんです」
「ええ。存じ上げておりますよ」
にこりと微笑みかけると、王妃殿下は安心したように目を細めてくださった。
「ありがとう。これからも姉様をよろしくね」
――・――・――・――・――・――
馬車はノースランドの城下町を抜けて平野を越え、森の中で昼時を迎えていた。
昼休憩をはさむことになって僕も昼食をもらいに行こうとすると、王女様にぐんと袖をひかれ、そのまま近くの湖畔へと連れて行かれてしまった。
きっと、ティア王妃殿下が僕に何を言ってきたのか、気になってしまったのだろう。
またあのツンとした顔で怒りだすんだろうな、と笑いをこらえながら王女様と向かい合い、口を開いた。
「どうされました? ロザ……ッ」
突然王女様が駆け寄ってきて、顔を近づけてきたと思ったら、唇を彼女の唇で塞がれ、声を失った。
情けないことに理解が追い付かず、一瞬固まってしまう。
王女様が僕にキスをしてくるなど、想像だにしていなかったから。
ロザリア王女はすぐに僕から離れていき、照れたように視線を外して、もごもごと話しだした。
「クライブに言われたの。無責任なことは口にできないと悩むのなら、せめて態度で示せ、って」
「態度で……?」
僕の問いかけに、赤い顔のロザリア王女は無言のまま小さくうなずく。
ずいぶんと大胆なことをしてきたわりに、いまは何ともいじらしい。
そんな王女様にまた、愛しさが募る。
「いいんですか? そんなことを言われたら、僕は自惚れてしまいますよ」
高鳴る胸を抑えつけながら尋ねると、王女様はまた、こくりとうなずいた。
一歩前に出ると、不安や緊張、照れからだろうか。
じりじりと王女様は後ろへ下がっていく。
このまま逃がしてあげるわけ、ないだろう?
僕はずっと……君だけを求めていたのだから。
後ろも見ずに下がっていたせいで背中に大木の幹が当たった王女様は、驚いたように目を見開いた。
「ロザリア殿下」
幹に片腕をつけて逃がさないように囲うと、王女様は潤んだ瞳で僕を見上げてきて。
どくんと大きく鼓動が跳ね、必死に欲望を抑えながら一度だけ静かに唇を重ねた。
「好き、と言ってはいただけないのですか?」
唇を離して耳元で囁くと、王女様の身体がぴくりと反応し、強く目をつぶられてしまう。
仕草の一つ一つがいちいち可愛くて、愛おしくて。
華やかな香りが、滑らかな肌が、柔らかな唇が、彼女の全てが僕を虜にしてきて、欲望が抑えられなくなる。
王女様のあごに手を添え、くいと顔を上げさせてまた唇を重ねる。
今度は角度や深さを変えて、想うがままに甘い唇を堪能した。
僕のキスを受け入れてくれている王女様に心が満たされていくとともに、もっと欲しいと願ってしまう自分がいる。
だけど、途中から暴れるように強く胸を叩かれたため、それは叶わなかった。
「く、苦しいの! 息くらいさせてよ」
僕を突き飛ばすように押してきた王女様は、顔を上気させながら、肩で荒く息をしていて。
「もしかして、ずっと息、止めてたんですか?」
「そんなの知らない!」
いたたまれなくなったのか王女様は逃げようとするけれど、僕は逃がすまいと後ろから抱きしめた。
「餌は嬉しくとも、飼い殺しというのは、なかなかしんどいんですけど」
「飼い殺し……?」
「僕を愛するつもりがなければ、中途半端なことは止めて、ひと思いにとどめを刺してください」
腕の中でぴくりと王女様が震える。
「……何が言いたいの?」
「僕は貴女を愛しています。けれど、僕には地位がありません。貴女に僕は選べても、僕にその権利はないんです。貴女が国を嫌っていたら、奪いとっていけるぶん簡単ですけど、貴女の幸せはロゼッタにある。そうでしょう?」
一つ一つ諭すように伝えていくと、王女様は腕の中でこくりとうなずいた。
何も言おうとしない王女様をさらにきつく抱き締めて、再び僕は口を開く。
「王の座が、どれほどの重圧になるのかはわかりません。ですが、お側にいることを許していただけるのなら……貴女と貴女の愛する国を守るため、どんなに険しい道でも進むつもりでいますから」
「カイル……」
甘く切ない声で名を呼んでくれた途端、遠くから王女様を探す声が聞こえてくる。
僕らは慌てて離れて、何事もなかったかのように二人で昼食の場へと戻っていったのだった。
昨日、あと三話くらいと書きましたが、次話が長くなってしまったため、それを二つに分けました。
ですので、あと三話で完結です!




