ロゼッタ女王国へ
まだまだ先のことだと思っていたのに、旅立ちの日はあっという間にやって来た。
「剣よし、携帯食糧、水よし、ナイフ、火打石……よし」
扉の前で、必要物品をざっと確かめる。
馬車にも、僕を含めて十五名分の装備と食料があるし、万一のことを考えて、野営の準備もできている。
何も問題はないはずだ。
見知らぬ土地で孤立するのは少しばかり不安だけれど、それでも“心配なら士官をもう一人つけてもいい”という陛下のお言葉に、僕は“不要だ”と答えた。
『優男』とフランツ氏におちょくられようが、騎士団長グレイ様から『チャラついて見える』だとか言われようが、僕にもノースランドの大尉という矜持がある。
不安だから、という情けない理由で、与えられた責任から逃げるのは、どうにも耐えられなかったのだ。
「さ、そろそろ行くとしますか」
窓の外の朝日に目を細め、袋をかつぎあげて肩へとかける。
まだ見ぬロゼッタという国を思いながら微笑み、住み慣れた部屋にしばしの別れを告げた。
昨晩は遅くまで、気心知れた部下たちが『カイル大尉を送り出す会』とかいう名目で酒を飲んで騒いでいたし、さすがにこんな朝早くには、誰も見送りに来ないだろう。
そう思いながら馬を連れて部下たちと城門前へ向かったのに、そこには信じられない方々がいらっしゃった。
お忙しいだろうに、クライブ陛下とティア王妃殿下が、僕らの見送りに来てくださっていたのだ。
部下たちも、信じられない光景に、ざわざわとどよめきたっている。
「陛下、ティア王妃殿下! どうされたのですか」
僕の問いにティア殿下は「見送りに来たの」と優しく微笑んでくださった。
そして、ティア殿下はドレスを揺らしながら僕の前までやって来られ、なぜか不安げに表情を曇らせた。
「あのね、カイル。一個お願いがあって……」
「なんでしょう?」
「もし、姉様に会うことがあれば、これを渡してほしいの」
ティア殿下は赤いコスモスが貼りついた小さな紙を両手で差し出され、僕はそれをじっと見つめた。
「これは? そういえば昨日も、僕に話しかけてくださった時に持ってらっしゃいましたよね」
疑問を投げかけると、王妃殿下はばつの悪そうな顔をして微笑まれた。
「本当は昨日貴方に託したかったんだけど、勇気が出なくて今日になってしまったの。この花を見てると、なんだか幼い日の姉様のことを思い出して、ね」
「それで、押し花のしおりにされたのですね」
「ええ。姉様は本が好きだから、いいかなって。でも、いらないと言われたら捨てていいから」
ティア殿下の中では、いらないと言われることが九割くらいの予想なのだろうか。
微笑んではいるものの、その笑顔はどこか寂しそうに見える。
「捨てるなんて、とんでもございません。必ずお渡しいたします」
そう言ってにこりと微笑むと、ティア殿下もありがとう、と安心したように目を細めてくださった。
視線を隣に動かすと、今度は陛下と目が合う。
普段ほとんど笑われないそのお顔が、わずかに微笑んでいるように見え、自分に任された任務の大きさを感じた。
「カイル。頼んだぞ」
「ええ、お任せください。それでは行ってまいります」
敬礼をして僕たちは馬に乗る。
そして、朝日の昇りゆく方に向かって駆けていったのだった。
――・――・――・――・――・――・――
雨の日も晴れの日も馬で駆け抜け、夜には名前しか知らなかった町に寝泊まりをし、時にはイノシシを狩って食料も調達した。
近くに村がない日は、仕方なく野宿もした。
いいかげんな部下が隠れてブーブー文句をたれていたのも、それを真面目な部下が小声で叱りつけていたのも含めて、全て想定内の出来事だ。
もっと大きなトラブルが起こるのではないかと思っていたけれど、ロゼッタへの旅路は拍子抜けするほど順調で、予定よりも二日も早く城下町へとたどり着いた。
「すごい……」
「さすがロゼッタだ」
「ここが、王妃様の故郷か……」
華やいだ王都に、後ろから部下たちの声が漏れ出ている。
見知らぬ地にいる緊張でか、部下たちの顔は皆ガチガチに固まってしまっており、挙動不審な動きをしていた。
「キョロキョロするなよ。みっともないから」
田舎者丸出しな部下たちに呆れて、笑いながら言う。
すると彼らはぴしりと背筋を伸ばし「はっ!」と見事なまでの敬礼をしていった。
そんなノースランド兵たちを見て、通りすがりの貴族たちがほほ、と微笑む。
「挙手で敬礼してくれるのはいいが、時と場所と会話の内容を考えてやってくれ……」
そういうところが、田舎くさくてみっともないんだよ、と苦笑いをした。
薔薇の町と呼ばれるロゼッタ城下町。
その印象は、品がよく、洗練された町といったところだろうか。
町は色とりどりの花で彩られ、歩くたびにブーツと石畳がコツコツと小気味いい音を立てていく。
道行く人々はみなセンスのいいドレスや質の良さそうな服をまとっており、彼らの動作一つ一つが優雅だからか、ノースランドの新市街よりもさらに高貴に感じる。
そして、ロゼッタ女王国は薔薇と香水が特産品なだけあって、女性とすれ違うたび、ふわりといい香りが漂ってきていた。
こうやってあたりを見渡していると、祖国ノースランドはやはり騎士の住む国なのだということを実感する。
なんというか、この町は気品ばかりがそこかしこに溢れていて、どこかとっつきづらく感じてしまうのだ。
平和で高貴な町の様子を眺めながら馬をひいて歩いていると、すぐにロゼッタ城へとたどり着いた。
「ノースランド王国から兵指南に参りましたカイルと申します。女王陛下にお目通り願いたい」
「案内の者を呼んでまいります、しばしお待ちを」
門を守る衛兵に自分の身分を伝えると、嫌な顔をされることも、無駄に長く待たされることもなく、案外すぐに対応された。
二日も早く着いていたし、こんなにあっさり入れるとは思っていなかったためなんだか拍子抜けしてしまう。
ロゼッタの女王は厳しい女性だと聞いていたのに、意外にも融通がきく人のようだ。
兵に連れられて城の中に入ると、すぐに自国との違いに圧倒された。
重厚なイメージのあるノースネージュ城と比べると、ロゼッタの城内は反対に華美な雰囲気に包まれていたのだ。
足元には深紅の絨毯が敷かれ、天井には細かい装飾のされた豪華なランプ、廊下の左右には高そうな壺やら絵やらがそこらじゅうに置かれている。
さすが、ユーリア三国の中心国だ。
豊かになりつつあるとはいえ、ノースランドではまだここまでは出来ない。
ただ廊下を歩くだけでも、この国は経済的にも相当潤っていることがうかがい知れる。
「カイル様は、こちらの者と謁見の間へお向かい下さい。お連れの方々は、私がお部屋にご案内いたします」
白いブラウスと若草色のスカートをまとった侍女が深々と礼をし、僕は部下たちと別れることになった。
緑色の軍服をまとった兵士に連れられ、歩きながら視線だけを動かして城内を見渡していく。
なかなか複雑な造りをしていて攻めにくそうだ、なんて、職業病を発揮させていると、隣を歩く兵士がにこりと微笑みながら話しかけてきた。
「やはり、ノースランドの剣技は違いますね」
唐突にそんなことを言われて、僕は首をかしげる。
剣を抜いてもいないのに、なぜこの男は他人の実力がわかるのだろう。
「剣技、ですか……」
全然強そうには見えないけれど、もしや相当な実力者なのか? と、訝しく思いながら視線を送ると、兵士は苦笑いをして自身の首筋をさするように撫でていく。
「はい。先日、ノースランド王の剣技を間近で拝見する機会がありまして。対峙してすぐ、いつのまにやら私はひっくり返っていました」
なるほど。どうやら兵士が言いたかったのは僕のことではなく、陛下のことだったようだ。
腕試しか何かで、この兵士は陛下に首をやられたのだろう。
あの方は戦を知っているぶん案外容赦がなくて、手合わせでさえ一撃で息の根を止められる首や心臓といった急所を狙ってこられるから。
「陛下には、さすがに僕も毎回は勝てません。陛下のレベルまで引き上げるのは厳しいですが、ロゼッタ兵のレベルアップのため、明日からびしばし指南させていただきますので、よろしくお願いしますね」
そう言って微笑むと、兵士は勘弁してくれとでも言いたげな瞳で乾いた笑いを発してきた。
「ついていけるか不安で仕方ないですよ、はは……」