田舎貴族
寂しげに笑った王女様は、すぐに凛とした表情へと戻り、華やかなドレスを引きながら立ち尽くす僕の横を通り過ぎていく。
何も言えないままの僕は、そんな王女様の姿を見ていることしか出来なかった。
そのままロザリア王女は、安心したような表情を浮かべるメリダさんとともに城内へと戻っていってしまい、僕は一人庭へと取り残される。
痛いほどに耳をつく静寂の中、さっきまで彼女がいたベンチへゆったりと腰かけた。
夜の空を見上げていくと、欠けた月とともに、降り注いできそうなほどの数の星がきらめいている。
ぼんやりとそれを見つめながら、両手を股の間で組み、きゅっと軽く握った。
どうして、生まれながらにして、地位というものは決まっているのだろう。
あの日から自分を変えようと、大切な国やモノを守ろうと、田舎貴族が必死になって王国軍の大尉にまで昇りつめたのに、結局王族や由緒正しき上流貴族には敵わない。
成り上がりで得た中途半端な爵位が、いつだって僕の足を引っ張り、これまでの労苦を突き崩してくるのだ。
どんなに僕が願っても、本当に欲しいものは手に入らないようになっている。
愛しいものは砂のようにこの手のひらからすり抜けて、静かに零れ落ちていくのだから。
深く息をついて瞳を閉じると、若かったあの日のことが思い出されて、僕はぎり、と奥歯を噛みしめていった。
――・――・――・――・――・――・――
あれはそう、僕がまだ十代半ばの頃のこと。
そして、剣技よりも貴族としての教養ばかりを叩きこまれていた頃のこと――
当時、下流貴族である父親は、三人兄弟の真ん中である僕を上流貴族の娘のところへ婿入りさせようと躍起になっていた。
面倒がる僕に毎日毎日マナー講習やダンスの練習、楽器の練習をさせようとしてきたのだ。
父親からすると『教養を身につけ、その外見で娘さんを骨抜きにすればいける』ということらしかったが、僕にはその試みがバカバカしく思えて仕方なかった。
それに、残念なことに僕はダンスよりもケンカが得意で、音楽よりも数学や地学のほうが好きだった。
ダンスや音楽の時間に、しょっちゅう家を抜け出しては悪童と呼ばれていた友人たちを率いて、ケンカばかりしていたような気がする。
家は兄が継ぐ予定だったし、婿入りという未来にも魅力を感じていなかった。
大して目的もなく日々を過ごしていたけれど、そんな僕にも当時、一つだけ大切にしているものがあった。
親には内緒で付き合っていた下流貴族の娘、ジェーンだ。
ジェーンとは一年以上共にいて、毎日飽きもせずに話をしたり、手を繋ぎながら買い物にいったり、たまにはケンカもしたけれど、仲の良いカップルとして一部の間では有名になるほどだった。
お互いまだ若く、結婚は出来なかったけれど『カイルが働き出したら、お嫁さんにしてね』と早々と結婚の約束までもしていたことを、今でもはっきりと覚えている。
僕らの想いはこうやって、いつまでもどこまでも絶えず続いていくものだと信じていたし、疑ったことすら一度もなかったように思う。
けれど、あの日突然ジェーンが告げてきた言葉が、僕らの日常をあっという間に突き崩していったのだ。
「別れてほしいの」
いつも待ち合わせをしていた公園で、うつむいた彼女は呟くように言った。
ケンカをしたわけでもないし、ジェーンの親だって、僕のことを気に入ってくれていた。
彼女が別れて欲しいと言いだす理由が一つも思い浮かばなくて、真剣な表情で静かに尋ねる。
「どうして……? ジェーン、急に何があった」
ジェーンは静かに視線を落とし、苦しげな表情を浮かべて泣きだしてしまいそうな声でこう言った。
「親が勝手に婚約者を決めてしまったの……だから、もうあなたには会えない。さようなら」
そして、あっという間に僕の前から姿を消して、一年にわたる恋は終わりを告げていく。
ジェーンはこれで終わったつもりになっていたのだろうけれど、僕はガキながらも彼女のことを精一杯愛していたし、一方的に別れを告げられたことに納得がいかなくて。
僕に一言も相談せず、勝手に別れを決められたことが悔しくて悔しくてしかたなかった。
他人の家の事情に口出しするのは御法度。
そんなことはわかっていたけれど、僕は意を決して、ジェーンを理不尽な政略結婚から守ろうと、誰にも内緒で彼女の両親のもとへと直談判をしに向かった。
彼女の親に何を言われても、政略結婚なんて取りやめさせてやる。
そんな強い思いで乗り込んだのに、そこで聞いたのは嘘のような話……
ジェーンに婚約者などいないという言葉だった。
ジェーンと彼女の両親、双方の主張が食い違っていて、どちらが嘘を言っているのかもわからなかった。
何を信じたらいいのかもわからないまま、夕日の沈みゆく町をふらふらとさまよっていると、どこからか愛しい声が聞こえて来て、僕はそれに吸い寄せられるかのように、路地裏の方へと向かっていった。
たどり着いた人気のない路地裏にいたのは、今朝まで恋人だったジェーンと、僕らより五つ年上の上流貴族、ラウドだ。
「別れられたかい?」
色白でぽっちゃりとした身体を持つラウドは、ジェーンの唇をなぞるように触れ、にたりと気味の悪い笑みを見せていった。
下心満載の瞳と指に怒りがこみ上げてきて足は動き出し、ラウドの元へ向かおうとする。
だが、僕の目と耳は信じられない光景をとらえていき、ぴたりと足を止めた。
「ええ。これで私たち一緒になれるわ」
僕の視線の先にあったのは、両の口角を引き上げて、にこりと笑うジェーンの姿だった。
いつも僕に見せていたあの笑顔が、今度はラウドへと向けられていたのだ。
「これでようやく君も、上流貴族の仲間入りだね。早速明日、君の家へ婚約の挨拶に行こう。今日のご褒美にドレスを買ってあげようか」
「ありがとう! あのね私、ほしい宝石もあるの」
「宝石か、いいよ。それも買ってあげよう」
「本当! 愛しているわ、ラウド」
そして、二人は僕に見られているとも知らず、強く抱き合い、何度も何度も深いキスを繰り返した。
ハンマーで頭を殴られたのではないかと思わず疑ってしまったほどの、強い衝撃が僕を襲ってきた。
昨日まで僕に触れていた手もあの唇も、ひどく汚らわしいものに感じてしまい、立っていられたのが不思議なほどの眩暈と、強烈な吐き気を感じた。
ジェーンは僕ではなく、金や宝石、そして上流貴族の地位を選んだのだ。
ただ、自分でも驚いたことに、彼女を奪われたことに対しての怒りは、これっぽっちも起こらなかった。
むしろ、あんな女を一年も本気で愛していた自分がひどく情けなくて、バカらしくて。
そのまま踵を返した僕は、夜の闇へと包まれゆく町の中へ姿を消していく。
そして、それまで愛したジェーンという女の一切を忘れることに決めたのだった。




