仮面に隠した想い
僕たちは人込みをかき分けて、ようやく会場の中心へとたどり着いた。
弦楽器にピアノ、フルートが奏でるワルツは優雅で美しく、僕らの周りでは相手を見つけた男女がそれぞれステップを踏んでいる。
足を止めた僕は、深緑色の髪をした女性へと向き直った。
彼女は、おろおろとどこか不安げな様子で僕を見つめてきていて。
なぜそんな態度をとられるのかさっぱりわからなかったけれど、せっかく出会えた相手をみすみす手放すわけにはいかない。
彼女を逃がさないように少々強引に両手を伸ばし、右手は細い腰に、左手は華奢な右手へそっと触れた。
すると、彼女は観念したのか、左手を恐る恐る前へと出し、僕の腕へと添えてきた。
呼吸を合わせて足を斜め後ろへ一歩引き、彼女は一歩を踏み出していく。
僕たちは、ゆったりと流れるようにステップを踏んだ。
幼い頃しつこいほどに教え込まれたせいか、思っていた以上にこの身体は踊りを覚えてくれていたようだ。
久しぶりのダンスで上手く踊れるのかという心配は杞憂に終わり、わずかばかりほっとする。
そんな自信がない僕とは対照的に、深緑の髪をした女性は、ずいぶんと踊りが得意な様子だった。
すました様子で息をするように、たやすくステップを踏んでいく。
彼女がくるりと回ると、ネイビーのドレスがスミレの花のように広がった。
ダンスを上達させたいのなら、上手い相手と踊った方がいい、と過去に家庭教師が話していたけれど、その意味をようやく理解できたような気がする。
主張をせずに合わせてくれる彼女とのダンスは無理がなく、とても自然でいられるのだ。
こんなにも舞踏会が楽しいと思ったことは、未だかつてなかったかもしれない。
そんな一曲目のワルツも中盤にさしかかった頃、僕と踊る女性を見つめて微笑み、静かに口を開いた。
「お久しぶりですね」
言葉の意味がわからなかったのだろう。
彼女は踊りながら首をかしげている。
まぁ、こういう反応をされるのも無理はない。
僕は深緑色の髪の女性など知らないし、彼女だって亜麻色の髪の男など知らないだろう。
僕らは、ここではじめて出会ったはずなのだから。
でも……それは仮面をつけた僕と彼女の話。
僕は仮面を脱いだ彼女の姿を知っているし、彼女も恐らく僕の正体に気づいている。
確たる証拠はないが、そんな気がしてならない。
彼女の正体は、この一週間どんなに僕が忘れたいと願っても、決して忘れることの出来なかった女性なのだろう。
絹糸のような金の髪と、琥珀色の瞳、そしてみずみずしい薔薇色の唇が美しい貴女。
花のように柔らかな笑顔を浮かべる貴女。
身分も素性も偽っているけれど、いま僕と踊る深緑髪の女性は間違いなく……
「ロージィなのでしょう?」
仮面の奥に潜む瞳をじっと見つめて尋ねるけれど、返答どころか反応も一切ない。
おそらくロザリア王女はこのまま踊り終えるまで、しらばっくれるつもりなのだろう。
まぁいい。
僕としては、避けられないでいてもらえただけで御の字だ。
「ここにはいらっしゃらないものだと思っていました。貴女様と踊れるだなんて、光栄です」
相も変わらず言葉を発しようとしない彼女に、懲りずにまた話しかける。
穴が空きそうなほどじっと見つめる僕の視線に耐えかねたのか、彼女は僕からすっと視線をそらしてきて。
その様子に、人知れず笑った。
これは、照れてしまった時にだけ、ふと現れる王女様の仕草だ。
ほら、本当に正体を隠したいのなら、そういうところも演技をしないと。
他の誰を騙せても、僕の目はごまかせない。
まとう香りも仕草もそのままで、表面だけ繕った貴女に騙されるほど僕は甘くないんだから。
ツメの甘い王女様がなんだか可愛く思えて、さらにまた愛しさが募ってしまう。
「ねぇロージィ。どうして貴女は……」
『王女なのですか?』
言いかけたその言葉を必死に飲み込んで視線を落とし、顔をしかめた。
こんなことを言ったところで、状況は何も変わらないし、自分が惨めになるだけだ。
きゅ、と少しばかり左手に力をこめると、繋がれた彼女の手がぴくりと動き、温もりが伝わってきた。
絶対に手に入らないと、当たり前のようにわかっているのに。
住む世界が違うのだと、痛いくらいに知っているのに。
こうやって貴女と踊っていると、何もかも忘れて、いつかこの手が届くのではないかと錯覚してしまいそうになる。
仮面をつけている今なら、何をしても許されるのではないか。
そんな想いが沸き起こり、いますぐにでも彼女をこの腕の中に閉じ込めたくなる。
彼女の滑らかな背中に添えた手に力がこもりそうになるのを、幾度も堪えた。
このままいつまでも踊っていたいとさえ思えた一曲目のワルツは、驚くほどあっという間に終わっていく。
バイオリンの音が消えた途端、深緑髪の彼女は、僕の手をそっと離してスカートをつまみ、優雅に貴族式の礼をしていった。
そして、無言のまま去ろうとするけれど、このまま逃がすつもりなんかない。
反射のように、か細い手首を捕まえた。
「待ってください。ここで、とは言いません。どうか、その仮面を外していただけませんか?」
どうしても“ロザリア王女”に会いたくてそう伝えていったけれど、うつむいた彼女はやはり無言のまま。
顔を上げることもなく、ふるふると首を横に振ってきて。
僕の手からするりと逃れた彼女は人混みへと駆け出していき、幻のように消えてしまったのだった。




