お別れ、そして……。~シヴァの旅路編~
*注意!*
最低な男が出てきます。
親が子を子と思わないような話が苦手な方は今回の話はスルーしたほうがいいかもしれません。
村の門をくぐり抜けると、ずっと動いていた馬車が止まった。
次いで、前方に座って馬車を操っていた灰色猫さんがこちらを振り返る。
「シヴァ、着いたよ。ここが、あんたの故郷だよ」
そう言われて、俺は周囲を見回した。
『故郷だよ』、と言われてみれば、確かにそうかもしれない、と思う。
見覚えのあるものもある……ような気がする。
七歳の時に初めて灰色猫さんに売られて以降、故郷の村に足を踏み入れていた時間は、二日にも満たない。
離れていた間に、多少なりとも村に変化はあったろうし、記憶が薄れていく事も相まって、"故郷だ"と言われなければ気がつかない程度には、故郷の村の印象は既に失われているようだ。
思えば、前回帰ってきた時も、似たような事を考えたな。
「シヴァ、先に宿に行って、他の子供達を休憩させるよ。あんたを父親の元へ連れていくのはそのあとだ。構わないね?」
「はい」
俺が頷くと、灰色猫さんは再び馬車を走らせ、ただひとつしかないらしい、この村の宿に向かった。
「御免下さい、シダチさん、ご在宅ですか? 御免下さい」
コンコンコン、と家の扉を叩き、灰色猫さんは声を張り上げた。
シダチ……ああ、そういえば、父さんはそんな名前だったな。
声を張り上げる灰色猫さんの横で、俺はぼんやりとそんな事を考えた。
見覚えのあるこの家を、『あんたの家だよ』と灰色猫さんに言われたのは、ついさっきの事だ。
けれど、それには異を唱えたい。
"俺の家"は、もうここじゃない。
「御免下さい。シダチさん、いらっしゃいませんか?」
「はいは~い、いらっしゃいますよ~」
灰色猫さんが再び扉を叩いて繰り返すと、中から返答があった。
ゆっくりと扉が開いて、男が一人、顔を出す。
男は灰色猫さんと俺を交互に見ると、首を傾げた。
「ええと……失礼、どちら様、だったかな? いやぁ、何しろ、うちに来客なんて珍しいもんだから。……この村の人じゃあないよな? 妻の、古い友人か何かかな?」
その言葉に、灰色猫さんは一瞬ぴくりと体を揺らした。
けれど俺には、何の感情も浮かんで来なかった。
……前回はまだ、悲しみが沸き上がってた気がするけど……どうやら俺は、もう父さんに思うものは何もないらしい。
「……お久しぶりでございます、シダチさん。私は奴隷商人の灰色猫にございます。ご子息のシヴァくんが、無事に契約奴隷としての従属期間を終えられたので、こうして生家へお連れ致しました」
灰色猫さんは笑顔を作り、そう言った。
だけど目は笑っていないし、"ご子息"の部分を強調していた。
契約奴隷になった子供達を、ただの"商品"とは扱わず、売られて行くまできちんと面倒を見る灰色猫さんにしてみれば、自分の子供を見て"どちら様?"なんて聞く父さんは立派な嫌悪の対象だろう。
しかし父さんはそんな灰色猫さんの様子には気づかず、ポン、と手を打つと、俺を見て口を開いた。
「ああ、そうか、お前シヴァか! そうかそうか、もう終わったのか! 確か三年……いや、二年だったか? まあ、どっちでもいいな! お勤めご苦労さんシヴァ!」
笑顔でそう言う父さんに、俺は頷く事で返事を返した。
"期間は一年だったけど"、なんて無駄な指摘はしても仕方がない。
「……シダチさん。ご子息は、一年、契約奴隷としてしっかり務めを果たしました。十分に労って差し上げて下さい」
……どうやら灰色猫さんは、無駄とは思わなかったらしい。
"一年"の部分を強調していた。
「そうですね! 本当にご苦労だったなシヴァ! それじゃあ次は、三年行ってきてくれ! 奴隷商人さん、またシヴァを売ります。三年分の代金を下さい。またシヴァにいい主人を見つけてやって下さいね!」
「……シダチさん。ご子息はたった今帰宅されたんですよ? まだ家にも入っていないのに、またお売りになると仰るのですか?」
「え? いやぁ、だって、貴女がいるうちでないと売れないでしょう? 貴女だって奴隷が手に入れば儲かるんですから、いいじゃありませんか! シヴァ、悪いな。頑張ってくるんだぞ!」
父さんはへらへらと笑ってそう言った。
……やっぱり、またこうなったか。
父さんに売られるのは、これで四度目になるな。
ひんやりとした空気を感じて、俺はちらりと灰色猫さんのほうを見た。
灰色猫さんは絶対零度の微笑みを浮かべていた。
けれど父さんはそんな様子にも気がつかないのか、灰色猫さんに両手を上に向けて差し出した。
「さあ奴隷商人さん、三年分の代金、早く下さい」
「…………わかりました。三年分ですね」
灰色猫さんは腰袋から金貨と銀貨を数枚取り出し、父さんに渡すと、俺の腕を掴んだ。
「それでは失礼致します。行くよシヴァ!」
挨拶を口にしながら、灰色猫さんは俺を連れ、歩き出した。
父さんはひらひらと手を振ると、家の中へ消えて行った。
今度は三年か。
だとすると、成人するまでに少なくともあともう一回売られるな……。
いっそ一気に五年にしてくれれば良かったのに。
ああでも、父さんは俺の歳なんて覚えてないかもしれないな。
なら、仕方ないか……。
「……シヴァ。もうたくさんだ。私は今度のあんたの従属期間が終わる頃、あんたの主人に相談して、保護者を変えるよう役所に訴えるよ。……フレンの、時のようにね」
「灰色猫さん……」
今度の、主人、か。
どんな人が今度の主人になるのかわからないけど、変える場合、"相談して"というなら、その人が俺の保護者になるんだろうか?
けど……。
「……灰色猫さん。誰が保護者だろうと、俺は成人したら一人立ちします。どのみちあと五年ですから、別に、無理に変える必要はありません」
そう言うと、灰色猫さんはふっと表情を和らげた。
「大丈夫だよシヴァ。安心しなさい、あんたの望まない事態には、決してしないから。五年も、待つ事はないよ。今度の従属期間が終わったらそのまま、クレハ様の元へ帰りなさい」
「!!」
クレハ様の元へ、帰る……帰れる?
魅力的なその言葉に、俺は目を見開いて灰色猫さんを凝視した。
すると灰色猫さんは微笑み、しっかりと頷いた。
村を出発して、数日。
俺は再び、クレハ様の家の近くの街、トルルの街の奴隷商館で座りこんでいた。
すると近づいてきた貴族らしき親子連れの子供が、俺を見て、『お父様、私この子が欲しいわ!』と言った。
ああ、今度はこの子が俺の主人になるのか、とぼんやりと思った。
……主人など、誰でもいい。
俺は一日でも早く、三年の従属期間を終えて、クレハ様の元へ帰るんだ。
けれど次の瞬間、灰色猫さんは意外な言葉を口にした。
「ああ、大変申し訳ございませんお客様。その子は既に、売約済みなのですよ。相手は私のお得意様なので、破る訳にはいかないのです。御了承下さいませ」
……売約済み?
いつの間に、そんな事になったんだろう?
不思議に思って灰色猫さんを見ると、灰色猫さんは俺の視線に気づき、微笑んだ。
"クレハ様の元へ帰りなさい"と言った、あの時と同じ顔で。
……まさか。
……いや、そんなはずはない、あって欲しくない。
その相手がもしクレハ様なら、それは、実の親に何度も売られているという事実を、知られるという事だ。
周囲に善良な人々しかいないあの人に、そんな事、知られたくない。
……けど、もしクレハ様なら。
三年さえも待たず、あの家に帰れる。
知られたくない、でも、帰りたい。
相反する気持ちを抱え、俺は俯いた。
しばらくそうしていると、誰かが俺の前に膝をつくのが目の端に移り、俺は、顔を上げた。
シダチ……"シ"ヴァの "ダ"メな "チ"チオヤ
という意味です。