スマホ社会
スマホ社会
スマホが震えた。ぼくはメールを見た。
「まもなく花崎行快速急行が到着します」
昔は電車のホームでアナウンスがひっきりなしに流れていたらしい。今はすべてメールに取って代わった。ホームは静かなものだ。
電車が到着するとまたスマホが震えた。
「不正防止のためカメラ機能は停止します」
わが社が開発した迷惑防止アプリだ。
車内に空席はない。ぼくがつり革につかまっているとまたメールが届いた。
「後ろの学生は次の駅で下車予定です」
ぼくは学生の前のつり革に移動した。
次の駅で学生が電車を降りると、空いた席に座り携帯小説の続きを読む。スマホはぼくの目を自動的に追ってページをめくってくれる。片手本読みアプリ。これもわが社で開発した。
電車を降りて会社に着くまでにメールを五回受けた。デスクに着いてスマホを社内LANに接続する。パソコンを使わなくなって久しい。今日は企画提案会議が予定されている。時間になると会議アプリが起動した。
プレゼンの動画が動いている。今日の会議は海外も含め三百人ほど出席しているはずだ。もちろん自席に座ったまま出席する。今や一か所に集まって会議するような企業はどこにもない。
画面には動画に重なって、演説の内容が文章でリアルタイムに映し出される。
「今のスマホは『自動翻訳アプリ』が標準搭載されています。先月からはスワヒリ語も追加されました」
うまいプレゼンだ。コメントに合わせたバックの映像が効果的だ。
「ところが需要があるのに搭載されていない言語があります。そう『幼児語』です。スマホに触ったこともない一、二歳の幼児の言葉を翻訳するアプリ。これこそ今求められているのです」
プレゼンは終わった。
「ご意見のある方、いらっしゃいますか」
司会者が文章を流すと、取締役のひとりが発言ならぬ発タイプした。
「実現可能なのかね。わたしの孫などは何言っとるかさっぱりわからんのだが……」
「人が理解できないからこそ必要なのです。このアプリで、取締役とお孫さんのコミュニケーションはますます深まりますよ」
結局、わが社はこのアプリ開発に乗り出すことになった。
退社時間になった。ぼくは部屋の連中に「お先に」とメールして会社を出た。
今日はデートだ。彼女と公園で会うことになっている。公園への道すがら気象台からメールが届いた。
「午後から雨が降りそうです。ずっと公園にいるのはやめた方がよさそうです」
すかさず、いろんなところからメールが届く。まずは映画館「カップルにお勧め『愛のテーマ』上映中」、次に遊園地「屋内絶叫マシンで彼女のハートをゲット!」、次に寄席から「こういうときこそお笑いでっせ」
スマホおさいふ残金は五千円ちょっと。これで遊園地はきつい。ぼくは映画館に誘うことにした。彼女にメールを打つ。
「待ち合わせ、映画館でどう?」
「いいわ。先に行ってて」
ぼくは映画館に入って空いてる席に座る。少しして彼女から「後ろの方に座ってるわ」とメールが届いた。映画ではエミリーとジョンが愛をささやきあっているが誰もスクリーンを見ていない。スマホに同じ映像が映っているからだ。映画館からメールが届いた。
「このあとエミリーはどうする。今すぐ結末を知りたいという方はここをタップ」
ぼくは最後まで見る気がなかったのでタップして映画館を出た。喫茶店に入りコーヒーを飲みながら彼女を待つ。しばらくして彼女から「お待たせ」とメールが届いた。入り口の方を見ると若い女性がスマホを見ながらカウンターの前に座るのが見えた。
「映画面白かった?」
「エミリーがかわいそうで泣けちゃった」
彼女からのメールには泣き顔の顔文字が描かれている。
彼女とのデートはこれで何度目だろう。ぼくは意を決して入り口の方に行った。そしてカウンターの前の若い女性に生の声で言った。
「ぼくと結婚してください」
ぼくはどきどきしながら返事を待つ。彼女は言った。
「あなた誰?」
そう言えば、ぼくらは一度も会ったことがなかった。
ぼくが呆然としていると、若い女性の隣に座っていた老婦人が金歯を見せて言った。
「いいわよ。その言葉、待ってたの」
婦人のしゃがれた声がぼくの耳に響いた。