〜5〜
あれから一週間が経って、美冴もずいぶんクラスの雰囲気に慣れてきたみたいだった。初めのうちは自分からクラスメイトに話しかけることができないようで、休憩時間を一人で過ごすことが多かったけど、今では休憩時間になると美冴の周りには二、三のクラスメイトが寄ってくるようになっていた。笑えるのは、転入初日に美冴を取り囲んで質問攻めにしていた連中が、今では一人も美冴に興味を示さなくなっていることだ。僕も健太も、絶対あいつら三日も持たないよな、と話し合っていたが、実際に三日目から連中が一人として美冴に近づかなくなったときは、おかしくて笑いをこらえるのが大変だった。
どうやら、美冴はクラスを仕切る連中のおめがねにはかなわなかったらしい。もっとも、そのおかげで美冴の人間性はある程度保証されたようなものだった。
「図々しい」
「限りない自己中」
「救えないバカ」
この三つの条件が満たされて初めて、クラスを仕切る権利が与えられることとなることは、僕たちのクラスでは暗黙のルールとして広がっていた。もちろん、当人たちがそのルールを知る由はなく、美冴だってこの先自ずとそれを知ることになるだろう。要は、見ていれば分かる、ということだ。そのとき、美冴は「あの時、友達にならなくてよかったあ」とホッとするだろうか。少なくとも僕の知っている美冴なら、冗談交じりにそう言うだろうけど、今の美冴がどうなのかは正直、分からない。
僕は、未だに美冴との距離をうまく測れないでいた。
美冴が転入してきた日から、僕は一度も美冴と言葉を交わしていなかった。
別に、僕から美冴を避けてるわけじゃなくて、美冴から僕を避けてるわけでもない。その証拠に、僕は美冴と目が合うと一瞬目のやりどころに困りながらも笑いかけるし、美冴も戸惑いがちに笑みを返してくれる。
それでも、未だに僕と美冴は言葉を交わしていなかった。
約四年のブランク。
人と人との関係にブランクというものが存在するのかどうかは分からない。でも、数年ぶりに会った人間に僕が「やあ、久しぶり! 元気してた?」なんて気軽に声をかけられないことは事実だった。その相手が異性であるなら尚更で、思春期の時期を挟んでいるなら尚更だ。もっとも、四年前に美冴がこの土地から引っ越していってから、僕たちは三年ほど手紙のやり取りを交わしていた。だから、実質ブランクがあるといえば一年程ということになる。ただ、その手紙のやり取りが、根本的な言葉を交わせない原因とも言えた。
一年前、突然美冴から手紙の返事が来なくなったのだ。それから、途切れた手紙のやり取りは、時間とともに忘れ去られて、まるで初めからそんなことなどなかったみたいに風化していった。
一度、僕から時間を置いて手紙を出してみたこともあったけど、やはり、美冴から返事が返ってくることはなく、それから僕からも手紙を出すことはしなくなった(何度もしつこく手紙を送りつける図々しさも、なぜ手紙をくれないのかと問いただす度胸も僕にはなかった)。
そして、二週間ほど前に唐突に僕宛に手紙が送られてきた。
差出人の書かれていない、無地の封筒に、便箋。そこには、事務的で、簡潔な文字が一行だけ綴られていた。
(近いうちに、そっちに帰ることになりました)
そして、行を開けて、一番下に控えめに美冴の名前が記されていた。