〜3〜
夏休みが明けて新学期に入った初日、美冴は転入生として僕のクラスの教室に入ってきた。担任の野沢先生の後について教室に入ってきた美冴は、控えめに教室の中を確かめてから、僕と目が合うと、何か安心したように緊張した顔にかすかな笑みを浮かべた。つられて、僕もあいまいに微笑んで見せる。すると、野沢先生はざわついたクラスメイト全員に「えー静かに」と言ってから、おもむろに僕たちに背を向けた。
本多美冴。
美冴の名前が、野沢先生の手によって黒板の真ん中に書かれた。それから、ざわついていた教室はまるで示し合わせたかのようにシンと静まり返った。
「今日から、このクラスの仲間になる本多美冴さんだ。みんな、仲良くするんだぞ」
まるで、小学生を相手にしているような野沢先生の言葉を、高校生として初めての夏休みを終えたばかりの僕たちは、みんな黙って聞いていた。そして、野沢先生に促された美冴も、うつむけていた顔を上げると小学生のような自己紹介の台詞を口にした。
「本多美冴です。よろしくお願いします」
美冴がぺこりと頭を下げると、どこからともなく、手を叩く音が響いてきた。まばらに響くその音は、やがてじょじょに増えていって、拍手となった。
その拍手の中で、美冴は照れ笑いを顔に浮かべながら、もう一度僕のほうを見てきた。僕は拍手に加わりながら、妙に照れくさくなって、照れ笑いを返した。
高校生にもなって、恥ずかしくて女子と話なんてできません、なんて言うつもりはないけど、さすがに女子の集団の中に割り込んで話に入っていく勇気を僕は持ち合わせていなかった。
自己紹介が終わって、一時間目の授業が終わると同時に、さっそく美冴はクラスの女子数人に囲まれることとなった。美冴を囲んだ数人の女子は、みんながみんなクラスの中である程度ポジションを獲得している連中だった。その中にはクラスの学級委員もいれば、体育委員や保健委員、中には何の委員にも入っていない女子もいる。でも、クラスの決め事のほとんどは、この数人の女子によって決められていたし、実質、クラスの主導権を握っているのも、今、美冴を囲んでいる連中だった。
「やっぱ、こうなったな」
廊下側の一番前の席から、美冴を取り囲む集団をわざと遠回りするようにして、窓際一番後ろの僕の席まで歩いてきた健太は、僕の席の後ろの窓に背中を預けて、僕に顔を向けて声を出した。ちなみに、美冴の席は廊下側から二列目の、前から五番目の席だ。
「ああいうの、抜け目ないっていうんかな」
苦笑して言う健太に、僕も苦笑を返して、美冴を取り囲む集団に目を向けた。
「抜け目ないっていうか、如在ないっていうんじゃないの、あれ」
「如在って、どういう意味?」
「なんて言うのかな。ておちとか、てぬかりとか」
「ははっ。言われてみれば、そっちの方があいつらっぽいな」
「だろ?」
僕と健太は、目を見合わせてから吹き出した。
健太は、小、中、高を通して、もう十年以上の付き合いになる僕の親友だ。他にも、小学校の頃からの知り合いは数人この高校にいるにはいるけど、十年以上の時間を通して、お互いの距離を縮め続けられた相手は、今僕の横で笑っている健太しかいない。お互い、趣味も性格も、類似点はまったくといっていいほどないのに、よくもこれだけ長い間親友としてやってこれたものだと正直思う。健太よりも、ずっと僕と類似した性格の持ち主や、趣味の持ち主の友達は他にもいたのに、彼らとはすでに、小学校を卒業した時点で疎遠になってしまった。こういうものは、趣味や性格が合うかどうかより、縁があるかどうかなのかもしれない。
「なあ、護」
しばらくお互い無言できゃあきゃあはしゃいでいる集団に目を向けていると、不意に健太が声を出した。
「お前、本多がこっちに戻ってきたこと、知っとったん?」
「え、なんで?」
「いや、なんとなく。なんか、本多お前のほう見て、笑っとったから」
ということは、僕が美冴に笑みを返したところも、健太は見ていたのだろうか。
「まあ、知ってたっていえば、知ってたけど」
「ふうん。そうか」
僕は健太に目を向けずに返事を返した。多分、健太も僕に目を向けることはしなかっただろう。
あの頃美冴に抱いていた気持ちを、健太は今なお大事に心の奥底にしまい続けているのだろうか。そう思うと、なんだか健太に悪いことをしたみたいで、僕は休憩が終わるまで健太の顔を見ることができなかった。
休憩が終わると、美冴の周りにたむろしていた連中は、つまらなそうに自分たちの席に戻っていった。健太も無言で自分の席に戻っていく。その途中で、何気なしに僕に向けたのであろう美冴の視線と目が合って、僕は意識的に美冴から目を逸らした。
逸らした視線の先では、ちょうど健太が自分の席に座っているところだった。