〜11〜
美冴は、まるで読み終えた小説の物語を心の中で読み返すみたいに、しばらく目を閉じて顔を上げていた。美冴のひざの上ではメルシーが、くつろいだ眠りの中に身を投じている。
「ねえ」
美冴が目を開けて、僕のほうを見ていた。
「なに?」
「記憶って、いつから思い出に変わるのかな」
僕は、美冴の言いたいことがよく分からずに、首を傾げてから「どうして?」と聞き返した。
「別に深い意味なんてないの。ただ、ふとそんなことを思ったから」
「そう?」
「うん」
それでも、僕を見る美冴の目は、僕に深い意味を求めているみたいだった。
「よく分からないけど」
断っておいて、僕は声を出す。
「誰かに自分の記憶を語って聞かせるとき、それは思い出に変わっていくんじゃないかな」
「それは、今の私たちみたいに?」
「うん。今の僕たちみたいに」
「じゃあ、それは幸せなこと?」
僕は少し考えるふりをしてから、声を出す。
「多分ね」
美冴が嬉しそうに、小さく笑って「よかった」と呟いた。
それから、僕たちはしばらく黙って、同じ方向を見つめた。そこには、広場の真ん中で、無邪気に走り回る子供たちの姿があった。
夕焼けに照らされる公園。広場のベンチ。隣に座る美冴。サッカーボール。走り回る小学生。響いては消える、無邪気な掛け声。
すべてが媒体になって、僕を懐かしさの深みに優しく誘っていく。そして、僕たちはそこで、記憶を思い出へと変えていく。
「ねえ」
美冴が、横でそっと声を出した。
「いつか――」
美冴は、子供たちに視線を向けたまま、しばらくその先を言葉に変えることをためらっていた。それから、結局美冴は「ううん、なんでもない」と言って僕に照れくさそうに笑いかけてきた。
そのとき、美冴は言葉にできない思いを、そっと心の中で呟いていた。
(いつか――この瞬間が思い出に変わる時が来ても、あなたは私の隣にいてくれますか?)
十五歳の女の子が言葉に変えることのできない、儚い想い。
僕は気恥ずかしさのあまり、美冴から目を逸らして、美冴のひざの上で眠るメルシーをつつき起こした。
僕につつき起こされたメルシーは、面倒くさそうに顔を上げて僕をにらみつけた。
「ガキか、お前は」
そう言われたような気がした。
やがて、メルシーは眠そうに大きなあくびを一つしてから、美冴のひざの上でまたまどろみだした。
美冴が僕を見て、おかしそうにクスッと笑った。
僕は、顔を赤くして美冴から目を逸らした。
無邪気な叫び声が、僕たちの横を通り過ぎていった。
公園が薄い闇に沈む頃、僕たちは広場を出て、遊歩道を並んで帰る。
ここで出会ってから一ヶ月、僕たちは毎日公園で待ち合わせて、毎日公園で別れた。
そして、今日も僕たちは公園で待ち合わせて、公園で別れる。
僕たちは、出会いにも別れにも続く遊歩道を歩いている。もちろん、メルシーも一緒に。
「ねえ」
美冴は自分のつま先を見つめて歩きながら、言った。
「不躾な質問をしてもいいかな」
僕は横を歩く美冴の横顔をのぞいた。それから、美冴の真似をして自分のつま先を見つめて歩く。
「なに?」
「お母さんのことは、藤堂君の中ではもう解決してるのかな」
僕はもう一度美冴の横顔をのぞいた。今度は美冴も僕の横顔をのぞいて、僕たちはほぼ同じタイミングで目を合わすこととなった。
「本当に、不躾な質問なんだけど」
美冴が、申し訳なさそうに声を落とす。僕は、美冴の質問の意味を予感しながら「大丈夫だよ」と言った。
「それはもう、僕の中では解決してることだから」
「そう」
そして、僕たちはそれから無言のまま公園の出口へたどり着いた。
「もしよかったら、聞かせて欲しいの」
さよならを言う前に、美冴は言った。
「いつか、そのときのことを」
「うん。じゃあ、そのときが来たら、話すよ」
「うん」
そのときがいつになるかは分からない。でも美冴は満足そうにうなずいて、僕に「さよなら」と言った。
僕も「さよなら」と言って、メルシーも短く鳴き声を上げた。
僕たちは、手を振り合って別れた。