〜1〜
「自分が生まれた日がいつかなんて憶えている人は誰もいない」
昔読んだ本の中に、そんな言葉が描かれている一節があった。その本の題名は、確か「何とかの何とか」だった、ぐらいに記憶の奥底に埋もれているぐらいだから、その内容なんてことになると、もはや、簡単なあらすじを説明することすら不可能だ。
それでも、その一節だけは記憶の奥底に埋もれることなく、今尚思い返すことができる。きっと、そのころの僕は、読んだ本の内容などより、そのただの一節に含まれた言葉に感銘を受けたか、そこまではいかないにしても、共感をしたのだと思う。もしかしたら、内容を憶えていないのは、その一節に満足して、その先を読むことを止めてしまったからかもしれない。僕という人間性を考慮すれば、それは十分考えられることだ。
――そのときの僕はきっと、無意識にその一節を忘れてしまわないように、記憶の引き出しに、そっと保管しておいたんだ。
その言葉を、いつか信頼した人に伝えてあげるために。
この世界から、伝えるべき人がいなくなるなんて夢にも思わずに。
僕はただ、大切にそれを記憶の引き出しに、しまったんだ――。
護という名前は、母さんがつけてくれた名前らしい。姉さんの時も母さんが優と名づけたものだから、今度は自分がと父さんも自分の名前を一文字取った名前の候補を五つも考えていたらしいけど、結局は母さんに押し切られ、僕の名前は「護」となった。
その頃から、僕たちの世界は母さんを中心に回っていた。その頃十歳だった僕も、十四歳だった姉さんも、今より少しだけ顔にできたしわの数が少なかった父さんも、母さんのいない世界なんて考えられなかったし、考えてみたこともなかった。
いつも家にいて、食事の支度も風呂の準備も、掃除も洗濯も、買い物も、ごみの分別まで、生活のほとんどは母さんが仕切っていた。
「ただいまー」と学校から帰ってきて、一番に返ってくるのは「おかえりー」と台所から響いてくる母さんの声だった。僕だけじゃなくて、それは姉さんも、父さんだって同じで、つまるところ僕たちの世界はいつだって母さんを中心に回っていた。
その僕たちの世界から、すっぽりと母さんがいなくなったのは、僕がまだ十歳の頃だった。
それは何の前触れもなく唐突に現れて、僕たちの中心を奪っていった。