尋ね人 … 1
モナは小間使いの衣裳を着て、市庁舎前広場に立った賑やかな露天市場を歩いていた。
木綿のスカートは、今日もごわごわと足にまとわりつく。きっとまた役に立つと思って、先日の外出のあと、「物干し場のある厩の陰で剣の稽古をしていたら、切っ先を引っかけて破いてしまったの。ごめんなさいね」と持ち主に嘘をつき、上等な服と物々交換してもらって我が物にしておいた代物である。
――わたしってば、けっこう先見性があるじゃない? このスカート、さっそく役に立ったものね!
嬉々としているモナの後ろで、アレンはふくれっ面だ。
「俺にはよく分かりません」
「なにがよ」
「結局、モナさまの命を取ろうとしたのが誰なのかも、判らずじまいなんですよ? それなのにどうしてモナさまは、お屋敷でおとなしくしていてくれないんですか」
「だって、神殿にお礼参りに行きたいし」
「お礼が言いたいのは神様にじゃなくて、神学生さんにでしょ。手紙でも書いてくれれば、俺がひとっ走り、お使いに行くのに」
「お礼というものはね、遠い離れた土地にいる人にならともかく、ご近所さんには直接言うのが礼儀なのよ」
「あれからまだ、三日しかたってないじゃないですか」
「いいの。今朝アストゥールが初めてはっきりと目をさまして、暖かいスープを飲んだんだって報告したら、きっとレオニシュ先生も喜んでくださるわ」
「喜ぶのは、神学生さんでしょ?」
「彼の所には、先生のお住まいを教えてもらいにいくのよ」
モナが急に歩調を早くしたので、アレンは必死に追いすがった。市場の人混みの中でモナさまを見失ったりしたら大変だ。
まったく、素直じゃないお姫さまにつきあう自分は、そうとうなお人好しだと思う。
「アレン!」
「はい、はい、はい。今度は、なんですか」
アレンがもたされている大きな篭の中には、すでに葡萄酒の壜だの、ドライフルーツの包みだのといった、色々な手土産が入っていた。この量から察するに、半分はあの神学生の所に置いてくるつもりなのだろう。
アレンの頭の中に、ローレリアンの涼しげな顔が思い浮かぶ。
見てくれがいい奴ってのは、何かとお得だ。すぐに女の子が、よってくるのだから。
もっとも、あいつは頭も良さそうだけれど。
くそ、そういえば背も、だいぶ俺より高かったな。あいつ、歳は十九だとか言っていた。俺だって、十九までには、もう少し、たくましい体つきになるさ。
独り言をつぶやいていたせいで、老女と鉢合わせてしまった。
うっかり突き飛ばしてしまうところだったじゃないか。
しっかりしろと、自分で自分を叱りつける。
老婆に道を譲って、アレンがモナのまつ露天商の前にいくと、彼女は両手に男物の帽子をもっていた。
アレンの我慢も限界である。
「モナさま! 神学生さんは羽根つき帽子なんか、かぶりませんよ!」
「あら、これはあんたのよ? 見習いの見習いでも、勤め先を持ったからには、身形くらい整えなくちゃ駄目よ」
「は?」
アレンは、まぬけ面で棒立ちになった。
汗でぺたりと張りついたアレンの髪の上に帽子をかぶせられそうになって、帽子屋の親父が今サイズを測るからと慌てている。商品を次から次に汚されたのでは、かなわないと。
モナは思案顔だ。
「アレンってば、童顔だものねえ。あんまり立派なデザインは似合わないと思うのよ。それに、見習いの見習いが高価なかぶり物をかぶっていると、先輩達から苛められたりするっていうし」
「それなら、つばの幅が狭い、こっちのデザインはいかがで? 後ろ半分を折り上げて、こうやってかぶると粋ですぜ? 羽も控えめに、こんな所を一本」
露天商の親父は自分の頭に帽子をかぶせて、手元の箱にいっぱい詰まったブリキの筒の中から、ひとつを抜き取った。慣れた手つきで筒から羽を取り出すと、帽子に合わせて具合を見せてくれる。
「どうです? 鷹の風切り羽ですぜ? 地味だけど、カッコいいでやんしょ?」
モナが手を打ち合わせる。
「いい、いい。小父さん、それにして。帽子も濃い緑が茶色い瞳によく映る」
「で、やんしょ? ちょっと待ってください。あっという間に、羽をしっかりと縫い付けちまいますから。羽一本ですからね、根元に縫い跡をかくす紋なんか付けると、カッコいいんですがね」
「アレン、あんたの家の紋ってなに?」
「あの、紋って、俺は三男坊で……」
「じゃ、イニシャルにしときやしょ」
裁縫箱のひきだしが抜き取られた。綺麗な書体の文字が掘られたボタンが、小さく区切られたひきだしの中に詰め込まれている。
「こっちが金、これは銀、こっちは真鍮。真鍮ならサービスにしときますけど、毎日研かねえと錆が出ますぜ」
「目立たないところくらい、張り込んでもいいわよね~。金にして!」
「真鍮でいいです! 真鍮でっ!」
モナはやっぱりお姫様育ちだ。小さなイニシャルの細工物だって、金ならアレンの俸給半年分くらいはするはずだ。なにしろアレンは、騎士見習いのそのまた見習い。食事と寝床と小遣い銭付きで、侯爵家に養ってもらっているような身分なのだ。
「はい、出来ましたぜ」
ボタンのまわりに、ギャザーを寄せて丸く絞った黒いリボンが縁取りに飾られている。その飾りから羽が生えたように見えて、なかなか見事な仕上がりだった。
「あとは顎紐ですな。これをいい位置に付けとかねえと、馬に乗ったら、たちまち帽子とさよならになっちまう」
親父はアレンの頭に帽子をかぶせて、顎紐を付ける場所の印を付けながら、耳元に囁いた。
「若旦那の、これっすか?」
素早くアレンの目の前を、突き出した小指が通り過ぎた。
「ち、ちがう。妹、妹みたいなもんだ!」
「なんだ。けっこうお似合いだと思ったのに。気の強そうな娘だけど、南国気質の女は、情が深くていいっていいますしね。せっかく金ボタンを付けてくれるって言うんだから、貢がせときゃいいのに」
そして帽子をはぎ取るなり、流行中の恋愛歌の節で歌いだす。それも、朗々と。
「あの娘にもらったものならば~、毎日研くも~また楽し~ってかぁ」
不意に、背筋がぞくりとして、アレンはモナのほうへふり返った。
恐い……!
モナは、帽子屋の親父と、いったいどういう内緒話をしたのだと尋ねる目つきで、アレンを睨んでいた。