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すみれの瞳の姫君  作者: 小夜
第三章
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出会い … 2


 神殿の伽藍の歴史は、城壁より古いに違いなかった。


 積み上げられた石組みは、何度もこの都市が襲われたのであろう大火の煤を浴びて、黒々とした霊気に似た、時の経過の臭いを放っている。


 堂内は薄暗かった。


 深閑とした空気の中に、微かに参拝者の足音がこだまする。


 そこには口を開くことがはばかられる、神聖な気配があった。


 通路を照らすランプの火と、祭壇に捧げられた無数の灯明が、人の命数の危うさを、象徴しているかのように見える。


 モナは畏怖に駆られて祭壇の前に膝を折り、心にわきあがるままの言葉で、祈りをささげた。



 神々よ。

 三千有余におよぶという、世界の神々よ。


 わたしが愚かな存在だということは、もう十分に思い知りました。


 でも、アストゥールは、素晴らしい人なんです。

 わたしだけじゃない。

 あの人を必要としている人は沢山います。


 必要なら、わたしの命を削ってくださってもいいです。

 どうか、アストゥールをお守りください。



 祈れば祈るほど想いが募って、まぶたが熱くなった。


 押さえようのない涙が、ほとばしり出ていく。


「いいえ……、わたしの命と引き替えでもいいくらいです。どうか神様……」


 いつのまにか、口に出して祈っていたのだろう。


「神々は、人との取引を望んだりはなさいませんよ」


 薄闇の中を漂う静かな声が、そう答えた。


「神々は、すべてをあるがまま見守るために、かのごとく大勢、この地にあらせられるのです。今あなたを取り巻いている大気の中にも、跪いている石の中にも、神の意志が宿っている」


 落ち着いた声に諭されると、伽藍の中の闇が、無限に広がったように感じられた。


 灯明は無数の星に、遠い天窓から一筋おりてくる光は、日々必ず昇る太陽の営みの象徴に変化する。


 泣き濡れた顔をあげると、モナの目の前には、ひとりの青年が立っていた。


 薄闇の中でも、その青年が美しく透けるような淡い色の髪の持ち主だということが分かった。


 まるで神々が灯した灯火に縁取られるように、青年の輪郭が、輝いていたから。


 そして、瞳は穏やかな色を湛えて、モナを見つめている。


「あなたも火を灯してみますか」


 青年は左手に下げていた螺鈿細工の手箱に視線を落とした。手箱の中には、火が消えた蝋燭を燭台から刮げ取る小さな鏝と、新しい蝋燭が入っていた。


 モナは青年のもとへ吸い寄せられるように立ち上がって、差し出された蝋燭を受け取った。


 導かれるままに消えかけた蝋燭から火を移し取り、青年がここと示す燭台に載せてやる。


 火は、微かな人の気配に、揺らぎ続ける。


 その揺らぎは、モナの心を落ち着かせた。


 神殿の火は、こうして昼も夜も絶やされることなく、闇を照らし続けている。

 人の命が、親から子へ、子から孫へと、永遠につながれていくことを象徴するように。


 火を見つめていたモナのもとに、作業を終えた青年が戻ってきた。


「まだここにおられますか。もし話して楽になるものなら、お話をうかがいますが」


 モナの後ろに控えていたアレンは、注意深く青年を観察していた。


 どうやらモナ様に危害を加えそうには見えない。もし、そんな気配が微塵でもあれば、最初からモナ様に近づくことなど、許しはしなかったけれど。


 青年は参拝者の中に様子がおかしい者がいれば、当然神職にある者が取るべき態度を取っているのだろう。


 あるいはモナの奉公人らしい服装を見て、身分が高い神官に告白をする布施の持ち合わせはないだろうなと、気の毒がっているのかもしれない。


 神様に慰めてもらうためにも、金が要るのは世の常識だ。世知辛いご時勢だよと、思うアレンである。


「外へ、まいりましょうか」


 青年に誘われて、モナがうなずく。


「そちらの御供の方も、ご一緒に?」


 青年は微笑みながらアレンを見ている。


 冷汗が吹き出し、心臓が停まるかと、アレンは思った。


 この青年は、アレンがモナの家の奉公人であることを、とっくに見抜いているのだった。






     **   **   **






 青年に導かれながら、モナとアレンは通用口から伽藍の外に出た。


 神学校や神殿の事務棟に通じる渡り廊下を歩きながら、アレンは青年に開口一番で問いかけた。


「どうしてあなたは、俺の方がモナさまの御供だと、わかったんですか?!」


 明るいところで改めて見ると、青年は衿が詰まった上着に細身のズボンという神学生の制服を身にまとっていた。濃い灰色の制服が、背の高い彼には、とてもよく似合っている。


 小ざっぱりと整えられた髪は、モナが予想したとおり、淡い金色だ。そして色素の薄い髪と申し合わせたような組み合わせの、淡い水色の瞳を持っている。しかも、その瞳の中には、理知的な光がある。


 その知的な瞳が笑った。


「お嬢さまは、モナさまと、おっしゃるのですか。南国風のお名前ですね」


「母が南の出身なのです」


 若くて親切で見目も麗しい青年に話しかけられて、モナは放心している。


 なんだかんだ言っても、モナは侯爵家のお姫さまだ。未婚のうちは、そうそう外へは出してもらえない。


 だから、今まで彼女のまわりにいた男性といえば、父親や侯爵家の騎士達、それに使用人くらい。


 3人いる兄とだって、母親が違うので年がかなり離れている。


 目の前にいるような貴公子然とした青年と話をするのは、初体験なのである。


 反対にアレンは、噛みつきそうな勢いだった。


「質問に答えてください!」


 モナを守るためというよりは、男としての格が負けたような悔しさのほうが先に立ってしまっているから、自分でも情けなくなるアレンである。


「どうしても答えなければいけませんか」


 青年は困ったように首をかしげた。


「ぜひとも!」


 催促してみたものの、青年の言い淀んだあとの答えを聞いて、アレンは頭を抱えた。


「モナさまの表情といっしょに、あなたの表情も、百面相していらっしゃいましたからね。わたしがモナさまに声をかけたときなど、視線で射殺されそうになりましたし。よほど大切に思っていらっしゃる、ご主人さまなのだろうなと、思いました」


 どっと、アレンの背中に汗がわく。


 やっぱり聞かなければ良かった。これでは、隠密としても、護衛としても、失格もいい所だよと、宣告されたようなものだった。


 そのあと神殿の事務所に手箱を戻しに行った青年は、盆に冷たい水を満たした茶わんを載せて戻ってきた。


 渡り廊下の一角に置かれたベンチの上で粗末なもてなしを詫びた後、青年は苦笑してアレンに言った。


「なんなら、わたしが、アレン殿の指定した茶わんで、お毒味をいたしましょうか」


「もう、アレンたら! いい加減に神官さまをにらむのを、やめなさい!」


 アレンは盆の上から茶わんを引っつかむと、ぐいと煽った。モナさまにまで叱られて、散々だ。


 冷たい水は美味だった。


 いい水が湧くところに、神殿が作られ、町が出来たのかもしれない。


 そう思えるくらい、水は美味だった。


 もうだいぶ日が高くなっており、神殿の庭に生える夏草の上を渡ってくる風が青く臭っている。


 三人は、そよぐ夏草が作る波涛を、しばらく黙って眺めていた。


 やがてモナが口を開いた。


 そして一通り、なぜ泣いていたのかを打ち明けたあと、哀しげに話を締めくくった。


「神官さま、人の命数には、限りがあるのですね。さきほどの火のように」


 アストゥールの命が明日にも尽きようとしていることを、いつかは、そんな風に受け入れられるとは、とても思えないけれど。


 誰かに打ち明けたら、少しは楽になるかと思った心は、まだこんなに、ひりひりと痛んでいる。


 神官として慰めになる聖句のひとつも教えてくれるのかと思った青年は、ごく普通の口調で答えた。


「どうでしょう。人にはそれぞれ、持って生まれた宿命のようなものがあるとは、わたしも感じていますが」


 モナが変な顔をする。


 水色の瞳の青年は笑った。


「神官らしからぬことを言うと、お思いですね。ですが、それが、わたしの実感なのです。

 例えば、医者にかかれば必ず助かる病気なのに、医者にかかるだけの財力がない親のもとへ産まれた子供は、簡単に死んでしまいます。これも、命数と言えるでしょうか。

 わたしは人の死を見るたびに、動揺してしまいます。神職を目指す者としては、失格ですね」


 青年は杯の中の水を揺らす。ゆらゆらと。


「でも、わたしは神官になるでしょう。これも、宿命です」


「神官さま……」


「わたしはまだ、神官ではありませんよ。ただの神学生で、名はローレリアンと申します。お気軽に、リアンとでもお呼びください」


「姓は、なんとおっしゃるのですが?」


 神職にある人を気安く愛称では呼べないと思ってしまうのが、モナの育ちというものであった。


 問いは、何気なく投げかけられたのだ。


 だが、神学生は、きっぱりと答えた。


「ありません」


「ない?」


「ええ、本当にないのです。正確には、知らされていないというのが、正しいのですが。

 子供の頃は自分が何者であるのか知りたくてたまりませんでしたが、この歳になりましたら、もう、どうでも良くなりました。大切なのは、わたしが何者であったかより、何者になりたいのかだと思うようになりましたので。

 だから、わたしは宿命にしたがって神官にはなりますが、わたしがなりたいと思う神官になるつもりです」


 神官に種類などあるのだろうか?

 まるで哲学問答だと、モナは思った。


 ローレリアンは声をひそめた。これから話すことを誰かに聞かれたら、ただでは済まないとばかりに。


「つまり、わたしは命数論を信じていない、とんでもない神学生なのですよ。モナさまは、わたしを、異端者だと思いますか」


 モナは音がしそうなくらいの勢いで首を振った。『すべてなるようにしかならない。受け入れなさい』などと言われるより、よほど胸が躍る話が聴けそうだ。


 ローレリアンは、そっと、ささやきかけてくる。


「一昔前は命数だと諦めていた命も、科学の力で救えるのが今の時代だと、わたしは思うのです。これからも時と共に科学は進歩して、人の命数を人の力で継ぎ足すことが出来る世の中になるのではないかと、わたしは思っているわけです。

 科学は今に、世界を変えます。

 今も、モナさまのお話をうかがっていると、もしかしたら、わたしの師匠が怪我人の命数を継ぎ足してさしあげられるのではないかなと思うのですが」


 モナは身を乗り出した。


 すがれるものなら藁にだってすがりたいのが今の気持ちだ。


 聖なる神殿の中庭で、異端の怪しげな相談は延々続いた。


 絶対の保障は出来ないがと念を押しながら、ローレリアンはヴィダリア侯爵邸に『師匠』を連れていくと約束してくれた。


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