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すみれの瞳の姫君  作者: 小夜
第二章
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アミテージへの旅 … 2


 泣いちゃ駄目!

 泣いちゃ駄目!

 泣いちゃ駄目!


 歯を食いしばって自分に言い聞かせるのに、モナの頬をつたった涙は、とぎれることなく風に飛ばされていく。

 鞍から腰を浮かせ、風の抵抗をさけるために、前かがみに背中を低くする。

 馬の動きに身をそわせて、草原の中の道を疾駆する。


 アストゥールは私の身代わりになって、銃で撃たれたんだ。

 大好きなアストゥール!

 お願い!

 死なないで!


「モナさま! 追っ手はアストゥールさまが必ず防いでくれます! そんなに飛ばしては、長旅で疲れた馬が潰れます!」


 後ろからアレンの怒鳴り声が聞こえる。


 こいつ、馬鹿げたことをいう。

 自分だけが助かればいいってもんじゃないだろう!


 暴漢が、ただの強盗か、ヴィダリア侯爵令嬢の身柄を狙った狼藉者かは知らないけれど、とにかく助けを呼ばなくちゃいけない。不意打ちを食らって怪我をしたアストゥール達は、圧倒的に不利だ。


 愛馬に鞭を当てる。


 ごめんね、フランジェ。

 でも、お願い、頑張って!

 お前もアストゥールが好きでしょ?

 陽気な騎士達も好きでしょ?!


 死なないで!

 死なないで!

 死なないで!

 みんな、死なないで!


 涙で霞んだ地平に、城壁の影が見えた。


 ありがたい!

 アミテージだ!


 一度目に入ると、城壁はどんどん大きくなっていく。


 城門が見えた。

 そして、城門から出てくる、隊列を組んだ騎馬の一群も。

 旗印は、国境を警備するために駐屯している国境守備隊のもの。

 土煙をあげる早馬の接近に、城門警備の見張りが気づいたのだろう。


 モナの強引な手綱さばきに愛馬は応え、身を斜めに沈めて守備隊の面前に滑り込んでいく。

 早鐘の速さまで心臓の鼓動を早めた馬は、急には止まれない。

 馬の息を整えさせるために守備隊の隊列の前を往復しながら、モナは言い放った。


「わたしはヴィダリア侯爵家の末の姫、モナシェイラ! アミテージに至る街道で、同行者が暴漢に襲われ、戦闘になっている! ご助力を願いたい!」


 隊長らしき制服に金モールをぶら下げた男が、前に進み出た。

 彼の制服は、もとは立派なものだったようだが、手入れが悪くて垢染みていた。


 さらに、手入れが悪いのは、服だけではなかった。

 彼の顔色が赤くぬめっているのは、明らかに勤務時間中に飲酒をしていたためだ。


 酔った男は怖いもの知らず。

 下品な笑い声をあげながら、モナにたずねてくる。


「お嬢さんが侯爵家の姫さまだって証拠を見せてもらおうか。どこの世に、男の形をして埃まみれになった侯爵令嬢が、おいでになるっていうんだい。ふざけたことをぬかしやがると、身分詐称で牢屋へぶち込むぞ!」


 アレンが気色ばんで前に出ようとするのを、モナは無言で制した。それこそ、ひとにらみである。


 呼吸を整えたフランジェは、モナの足になりきって、隊長のそばへ寄っていく。


 すみれ色の瞳が、隊長を見据えている。

 絶対に目を逸らすことが許されない、強力な力を放射しながら。


「この剣を見てごらん。つかの刻印に、わたしのご先祖さまが王家から頂戴した、名誉ある鷹の御紋があるよ」


 いつのまに抜き放たれたのか。

 白刃の切っ先が隊長の鼻先をかすめ、なめらかな刃が頬の上を滑っていく。

 隊長は体の震えを必死に押さえている。

 今、わずかでも動いたら、刃は間違いなく彼を傷つけるだろう。

 したたか酔っていても、そのくらいはわかる。


 隊長の耳元で、静かな声が告げる。


「国境と王都につながる道を警備するのが、あなたの役目だね? ならば、その街道に銃を持った暴徒がいた理由を、のちほど、たっぷりと聞かせてもらおう!」


 力一杯肩を突き放されて、落馬しそうになった隊長は馬にしがみついた。


「わたしについてこい!」


 白刃を頭上に掲げた少女の命に、国境守備隊の騎馬兵達は一斉にしたがった。

 王都との人脈をかさにきて、ろくに仕事もしない隊長と取り巻きの下士官には、正直もう、うんざりしていたのだ。兵士達には、すみれ色の瞳を持つ少女が、戦場に現われる戦女神のように見えた。


 二騎の馬は、その数を、ほんのいっときで十数騎に増やし、ふたたび街道へと走り出た。





     **  **  **






 馬は疲れていた。

 早駆けの振動で舌を噛まないように歯を食いしばりながら、アレンは心の中で、ぼやいていた。


 姫さまの馬はヤコフ産の名馬だけれど、俺の馬は貧乏豪族の親父が三男坊への唯一の財産分けにとくれた、駄馬なんだぞ!


 このままでは自分が集団から脱落するのも時間の問題だとアレンが思いだしたころ、行く手に見覚えのある馬車が見えた。


 その光景は、喜ばしいのもではなかった。

 道から大きくそれて、草原の中に横転している塊は、馬車だった物体としか言いようがない様子だ。

 車軸は折れてねじ曲がり、まだ生きている馬が一頭、軛に首を絞められる苦しさから逃れようと、地面の上で虚しく身をよじっている。


 横倒しになったとき、遠くへ投げ出されたのだろう。道端に倒れた御者は、すでに事切れていた。


 散乱する衣裳箱などの荷物が、荒らされた様子はない。


 ふたたびこみあげてくる涙を懸命に抑えながら、モナが馬車へ近づいていく。


 内部から女が啜り泣く声が聞こえる。


「ばあや!」


 姫様が馬の背から車体に取りついて、よじ登る。

 もちろん、アレンも後へ続いた。


「ばあや! ばあや!」


 ドアは、ひしゃげた形のまま開いていた。


 暗がりの中で、侯爵令嬢の乳母は、小間使いの少女の遺骸を抱いて泣いていた。


 ババアに用はないと、暴漢は迷うことなく、少女に切りつけたのだ。少女は声をあげることとすらできないまま、殺された。


 哀れすぎる。


 令嬢と間違われて命を奪われたのか。


 そのおかげで、モナは暴漢に後を追われず、助かったのかもしれない。


 うなだれたモナは、「ごめんなさい」とつぶやいた。

 侯爵令嬢の小間使いになどならなければ、この子は死なずに済んだのだろう。


 なんて冷たい現実。


「姫さま、ご無事で……」


 下からモナを見上げたシャフレ夫人は、それきり絶句して、うつろな表情になった。


「こっちの男は生きております!」


 報告の声を聴いて、モナは馬車から飛び降りた。


 四十モーブほど後方に、脚を折った馬と、投げ出された男がいた。


 モナは男の傷を調べていた兵士を押し退けて、傍らにひざまずいた。


 砂色の髪、緑の胴着、見慣れた体格。


「アストゥール!」


 もう涙は止まらなかった。


 血塗れだ。


 どこを触ったらいいのか分からない。


 震える手が、騎士の身体の中の傷ついていない場所を探して、宙をさ迷う。


「その声は……、モナ…さまか……」


 大切な人の無事を見届けてから死ねるかと、アストゥール・ハウエル卿は力の入らない口元で、微かに笑った。


 力尽きるまで、馬車を追う暴漢に、追いすがった甲斐があったというもの。

 そのおかげで、暴漢達は侯爵令嬢が馬車の中にいるものと思い込んでくれた。


 大切な、大切な、娘なのだ。

 奥方さまから預かった、すみれの瞳の、大切な姫。


「アストゥールッ…………!」


 モナは絶叫し、自分の両手の中に泣き崩れた。


 モナに向けられたアストゥールの瞳は、ひとつだけしかなかった。


 もう片方の目は、無残な傷の中に潰れていたのだ。


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