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すみれの瞳の姫君  作者: 小夜
第十章
38/40

それぞれの道へ … 1


 王国の北から王都を目指す旅も、楽しい旅であった。


 今度はつれに無理をさせられない貴婦人がいるので、馬車を雇って宿屋を泊まり歩く、優雅な旅である。


 ありがたいことに、ノーザンティアへむかっているときのように、詐欺まがいの姑息な手段で路銀の節約をする必要もなかったのだ。


 山からおりて、ふもとの町で馬車を雇おうとなったとき、エレーナ姫は「お金はこれで足りるかしら?」と言いながら、ずしりと重い麻袋を出してきた。


 中身を確認したローレリアンとアストゥールは絶句した。粗末な麻袋の中には、そこそこ大きな農場が買えるくらいの大金が入っていたのである。最愛の寵妃を僻地へきちへ落ちのびさせるとき、王はどうやら、十分な逃亡資金をもたせたらしい。


 ローレリアンは額をおさえながら、母親にたずねた。


「母上、このような大金をもっておいでだったのに、どうしてお住まいの雨もりを放置なさったり、手ずから畑の世話をなさったりしていらしたのですか? いくらでも、人を雇えたでしょうに」


 エレーナ姫は、心底こまったといった顔をした。


「だって、わたくしは、金貨一枚で何がどれくらい買えるのかを、知らないのですもの。

 それに、あの神殿のそばでは、金貨など使えませんよ。

 もらった人が、こまってしまうわ。

 あのあたりに住んでいる人々はみな、金貨になんか、一生に一度、お目にかかれるかどうかという暮らしぶりなのですからね」


 ローレリアンは胸の護符に手をあて、「天と地にあらせられる我が神々よ!」と、つぶやいた。


 なるほど。


 これから僻地で生活するという母に、金貨を大量にもたせた父王も、そうとうな馬鹿だといえる。


 自分の両親は、どちらも金の使い方ひとつまともに知らない、無知な教養人と呼ばれるたぐいの人なのだ。


 両親の人柄は、しだいに明らかになってくる。それに伴って、頭痛の種が増えたような気分になるのは、どうしようもないなと思う、ローレリアンなのだった。






     **   **   **






 なにはともあれ、旅は順調に進んだ。


 初秋の天候不順さえおちつけば、ローザニアは収穫期にふさわしい充実した日々がつづく、もっとも生活しやすい季節に入る。


 ローレリアンは馬に乗って、アレンと並んで馬車の前を進んでいた。王都へ着くまえに乗馬も学んでおいたほうがよかろうとの、アストゥールの配慮のせいであった。


 乗馬に関しても最初は教師役であったアストゥールだが、いまでは馬車のうしろで後衛を務めている。


 ローレリアンは何を教えても、飲み込みの早い青年だった。乗馬も、教えはじめてから一週間ほどで、早駆けを楽しめるほどのレベルに達してしまったのだ。


 そうなるとローレリアンは、またアレンへの講義を再開した。仲良く馬のくつわをならべ、二人はさまざまなことをしゃべりつづける。


 ときにはアレンが馬の首を返し、後方のアストゥールにむかって、「アストゥールさま! 俺たち、ちょいとションベンです!」と、怒鳴ったりする。


 するとローレリアンは顔を赤らめ、「下品な言葉を使うなと、いつも言っているでしょう!」と叫ぶ。


 アレンが怒鳴り返す。


「うるさい! あの丘の上まで、競争だ!」


「おい、ずるいぞ! 先に馬に鞭をくれておいて、なにが競争だ!」


 かくして二騎の馬は、疾風のごとく駆けていってしまう。


 見送るアストゥールは、おかしくてたまらない。


 小用を足すなどというのは、どうせ口実だ。


 難しい話がつづいたせいでアレンが飽きてしまったか、それとも言葉だけで物理現象の説明をするのにローレリアンがいきづまって不機嫌になったか。


 とにかく、二人の間に、気分転換をする必要ができたのだろう。


 旅にアレンをつれてきたのは、正解だったなとアストゥールは思った。


 旅は若者を成長させる。


 頭はいいが、ひ弱な印象をぬぐえなかったローレリアンは、体を使うことを覚えたので少したくましくなった。


 体はしっかりと鍛えているが、子供っぽくて頼りない印象だったアレンは、物を考えることを覚えたので、顔つきに落ち着きのようなものが出てきている。


 父親兼教師の立場が板についてきたアストゥールにしてみれば、「よきかな、よきかな」と、微笑みたくなる状況だ。


 馬車は速度を変えることもなく、のんびりと丘を登っていく。貴婦人の旅に、無理は禁物だ。


 やがて馬車は坂道を登りきった。


 御者が道のはしに、馬車をよせる。馬を少し休憩させてやろうと、御者とはさきほど相談をすませていた。


 丘の上では、やはり同じように馬を休ませている若者が二人、草むらに寝そべっていた。


 追いついてきた一行を見あげて、二人は立ちあがる。


「小休止にしますか?」


 アレンにたずねられて、アストゥールはうなずいた。


「ここはながめがよいし、足元も乾いていて快適そうだ」


 すかさずローレリアンも動きだす。


「では、火を起こして茶など入れますか」


 馬車の後部の荷物入れには、簡単な野外用の茶道具が積んであった。簡易コンロで火を起こせば、エレーナ姫に暖かいお茶をさしあげられるように。


 アストゥールが馬車の乗客に小休止をつげると、それぞれがなすべきことをなすべく行動する。


 御者は馬に水をやる準備を始め、馬車からは、お小姓のラッティが降りてきた。


 彼は馬車の昇降口に足台を設置する。ドレスをまとった貴婦人が馬車から降りるためには、これがなくてはどうにもならない。


 ラッティはすっかり、優雅なお貴族様の小姓になりきっていた。言葉づかいや態度も、アストゥールやローレリアンがエレーナ姫に敬意をささげる様子を観察しただけで、それなりに、さまになるものを学び取ってしまっている。


 動作や話し方がおっとりとしてきたのは、いつも馬車の中でエレーナ姫の話し相手を務めているからだろう。


 この変わり身の早さは、彼が生きるために身につけてきた習性のようなものだ。少年の変身ぶりを見て、アストゥールは、なんだか痛々しいものを感じてしまった。


 自分も馬から降りて御者に馬の世話をたくすと、アストゥールは草むらの草を払って簡易コンロを地面に設置しようとしている若者たちのほうへいこうとした。


 一歩をふみだしたら、足に何かが、コツリと当たる。


 若者二人が寝そべっていた場所には、いくつか物が散乱していた。


 よく見ればそれは、アレンがローレリアンから高度な数学を教えてもらうときに使っている石版や計算尺、公式を書きとめた紙つづりなどだった。


 あいつめ、苦労しているようだな。


 そう思ったアストゥールは、笑いながら石版を拾いあげた。


 しげしげと、なにが書いてあるのかを見てみると……。


「初速、落下量、……重力と、空気抵抗? 大砲の弾の中間弾道の計算式か、これは?」


 石版には、さまざまな公式や、図形が書き散らされていた。


 いつのまにか若者達の勉強は、指揮官クラスの軍人に求められる知識へと、ふみこんでいたのである。現代の戦争には、銃と大砲に関する知識がかかせない。


 それを人に教えられるローレリアンの頭の中には、いったいどれだけの知識がつめこまれているのだろう?


 アレンとローレリアンは、火口の麻の繊維になかなか火がつかないと、火おこしの道具を手にして騒いでいる。


 火打石を打つ音が、何度もアストゥールのところまで聞こえてくる。そのたびに若者たちは、わっと笑う。


 楽しそうな様子のローレリアンの横顔を見て、アストゥールは空恐ろしい気分になった。


 彼が宿願をかなえ、この国の頂点に立つ時がきたら、ローザニアはいったい、どういう国になるのだろうか。


 いまのアストゥールに、その未来像は、まだとても予測できなかった。



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