旅の仲間 … 6
翌朝早く、ローレリアン達は王都へむけて旅立つべく、支度を整えた。
帰りは別の道をたどり、レヴァ川のほとりの街テンセルに出て、船で王都へむかうつもりである。せっかく得た旅の機会だ。ローレリアンは、できる限りいろいろなところへ、行ってみたいと思っていた。
しかし、次の旅への旅立ちを目前にしながら、ローレリアンの表情は、どこか暗い。
母を王都へつれ帰ることは、ある意味、王子としてのローレリアンにとって、切り札に等しい方策だったのだ。
父は現国王。母は前王弟の姫。
その息子のローレリアンは、婚姻によって結ばれた夫婦の間にこそ生まれなかったが、この国でだれよりも濃い王家の血を誇る王子である。
その事実に、より信憑性をもたせるためには、ローレリアンと容姿の似通った母が、宮廷人たちの目に触れる場所へいてくれたほうがいいに決まっている。
しかし、彼は、もう決心してしまっている。
山の神殿でおだやかな隠遁生活を送っている母を、いまさら王都へつれもどして、苦しめたりはするまいと。
母を王都へつれもどさなくても、何かまた別の手立ては見つけられるはずだ。
いまはまだ、よい知恵など思いつけないが。
「リアンさま。出発の支度ができたと、アレンが言っています」
ラッティがローレリアンを呼びにきた。
「ありがとう。母への挨拶をすませたら、すぐに出発するので、外で待っていてください」
忠実な少年に、そう告げて、ローレリアンは台所のほうへ歩いて行った。
さっきから彼は、母親を探している。
母は、自分の部屋にも、神殿の祈りの間にも、畑にもいなかった。
ならば、ご老人の世話でもしているのかと思ったが、グルニエル神官長は執務室の暖炉の前にすわって、うたた寝中だった。
台所へ探しに行くのは、これで三度目だ。
なぜ、母親は見つからないのか。
まさか、息子から別れを告げられるのが嫌だから隠れているなどといった、子供っぽい行動をとっているのだろうか。
台所には、人気がなかった。
石造りの建物の窓は小さく、低い日ざしがさしこむ朝の時間が過ぎると、たちまち台所は薄暗くなる。
竈では熾火がくすぶっている。
かすかにただよう煙が、目に染みた。
ローレリアンは首をふり、ため息をついて、勝手口から外へ出た。
建物づたいに表へ出ていくと、そこには彼を待つ、旅の仲間がいる。
天気は快晴。
旅立ちには、もってこいの日だ。
「おそいぞ、リアン!」
アレンが腰の剣の位置を直しながら言う。旅立ちにつきものの興奮は、彼の心もはやらせるのだろう。
「すまない。母が見つからなくて」
心底申し訳ない気持ちで、ローレリアンは答えた。
だれだって出鼻をくじかれれば、いい気分ではいられない。ここでもたもたしていたら、みんなの気分も悪くなるだろう。
ローレリアンが、そう思って、あたりをみまわしたときだった。
「おまたせして、ごめんなさい!
髪を結うのなんて、19年ぶりなのですもの。しかも、修道院には鏡がないでしょう? 裏の泉に姿を映して、変な髪形になっていないか確認したのよ。とんでもなく、手間取ってしまったわ。
あらあら、アリーチェ。
その壺は、なに?
もうチャッピーの背中に、荷物は積めなくてよ。
干し杏の砂糖漬け?
そりゃあ、干し杏は、わたくしの好きなものだし、お茶のお供には、ぴったりですけれどね。
ええ、ええ。日持ちもするし。
でも、もうチャッピーの背中は、他の荷物でいっぱいなのよ。
心配しなくていいわ。
ランドビルについたら馬車を雇うつもりですから、チャッピーは、そこの誰かに頼んで、ここへ送り届けてもらいます。
泣かないでちょうだい、アリーチェ。
あなたには、しっかりしてもらわなくちゃ。
グルニエル神官長さまのお世話を、よろしくお願いしますね。
オットー。王都へ着いたら、手紙を書きますから、こちらの様子も知らせてちょうだい。
とくに、こまったことが起きた時には、必ずですよ。
遠方からでも、わたくしにできることは、なんでもしますからね」
神殿の前庭にでてきたエレーナ姫は、長年ともに暮らした老夫婦と、いつまでもとりとめのない、やり取りをしている。
彼女は修道服を着ていなかった。
襟がつまった紺色の上着とひだが少ないスカートを組み合わせ、共布で仕立てた帽子を、優雅な形の髷に結った髪の上にのせている。地味だが気品あふれる、貴族の女性の一般的な旅行スタイルだ。
あっけにとられたローレリアンは、見当違いなことを口にする。
「チャッピーとは、なにものです?」
大真面目な顔で、アストゥールが答えた。
「こちらの神殿で、荷役用に飼っているロバです」
「ロバ!?」
「はい、あちらに」
アストゥールがさし示した家畜小屋の外の柵には、アレンの愛馬ガレットと、ガレットの半分くらいの小柄な体格のロバが、仲良く並んでつながれていた。二頭の背中には、すでに荷物がくくりつけられている。
ローレリアンのうしろで、母が言う。
「さあ、準備は、ばんたんですわ! 出発いたしましょう、みなさま!」
勢いよく、ローレリアンはふりかえった。
「どちらへおでかけになるのです、母上!」
母は、きょとんとした目で、息子を見あげてくる。
「どこって、王都へ行くのでしょう?
そうですわよね、アストゥールさま?」
話を振られたアストゥールは、言葉を濁す。
「は、その。最終的な目的地は、そのようにうかがっております」
「アストゥール殿っ!」
ローレリアンの頬に、興奮した若者らしい、朱色が走る。
叱られた隻眼の騎士は、肩をすくめた。
「リアンさま、わたしの立場もご理解いただきたい。
一介の騎士にすぎないわたしが、リアンさまの母君に『嘘は許しませんよ』と迫られましたら、真実を申し上げるしかございません」
その程度のいいわけでは、納得できない。
ローレリアンは、アストゥールに詰め寄った。
「だからといって、一から百まで、真実を告げることはないでしょう!
あなたとは、ここまで一緒に旅をしてきた仲だ。
ならば、わたしの気持ちを、すこしくらい察してくれてもいいだろう!」
アストゥールは、すまして答えた。
「リアンさま。人の上に立つものが、『わたしの気持ちを察しろ』などと、言ってはなりませんぞ。
命令は、受け取りまちがいがおこらないように、明確でなければ。
それに、いちいち部下が上司の気持ちを推察して行動などしていたら、末端部の意思統一は、めちゃくちゃになります。
あなたは、ただ、お命じになればよろしいのです。
わたしに、従えと」
落ち着き払ったアストゥールの態度を見て、『こいつ、確信犯だな』と、ローレリアンは思った。エレーナ姫に事情を教えろと迫られて、これ幸いと、すべてをうちあけてしまったにちがいない。
「あなたは、情より実を取れと言いたいのだな? 駆け引きを有利に進めるための、手駒を増やせと」
「否定はいたしません。
リアンさまが選ばれた道は、非常に困難な道です。本懐を遂げるためには、手段など選んではいられないはずでしょう。
ですがね」
隻眼の騎士は笑った。
「今回は、わたしも情に負けました。息子を思う母の情にね」
「母の……?」
アストゥールが何を言おうとしているのか理解できなくて、ローレリアンは眉をひそめた。
その彼のうしろで、アレンが、のんびりと言う。
「おまえって、けっこう涙もろいからなぁ。
お袋さんに、見られてたんだよ。
俺と口喧嘩したあと、おまえが、べそべそ泣いてるところをさ」
「あれは!」
慌てたローレリアンのもとへ、エレーナ姫が歩みよってくる。
「ローレリアン。
わたくしが、どんな思いで19年の歳月を、ここですごしてきたかわかりますか?
いつか、あなたに会いたい。
いつか、あなたに何かしてあげたい。
その思いだけを生きる励みにして、わたくしは、ここで暮らしてきたの。19年も神殿で暮らしていたのに修道の誓いを立てなかったのは、いつでもここから出ていけるようにしておきたかったからなのよ。
あなたのためなら、何でもするつもりです。それが、あなたには母親らしいことを何ひとつしてあげられなかった、わたくしの唯一の望みなのですから。
まして、アストゥールさまから、あなたの志について、うかがってしまえば。
わたくしにも、あなたの夢をかなえるための、お手伝いをさせて。
たとえ命をかけることになっても、わたくしは後悔などいたしません。
いま、この時のためだけに、わたくしは生きてきたのだと、言い切れますから」
「母上、そう言っていただけるだけで、もう十分です。
どうか、母上はこちらで、心安らかにお過ごしになってください」
「息子が苦難の道を歩んでいると知っていて、心安らかでいられる母親が、どこにいるというのですか」
「母上……」
自分を生んでくれただけで、感謝するのに。
ローレリアンは、この時初めて、そう思った。
未婚のまま、王の子を身ごもって、まだ若かった母は、どんなに不安だっただろう。彼女がローレリアンを生んだ歳は、いまのローレリアンの歳より、さらに若いのだ。
そして、女性としては最も美しくて充実した時代を、母は、この地でかくれてすごさなければならなかった。
自分が思っていたより、母は強い人なのかもしれない。
身のまわりで起こる理不尽な出来事に翻弄されても、決して負けることなく、しなやかに生きてきた人なのだ。この人は。
「リアンさま」
アストゥールが大きな声で言った。
「どうか、ご理解いただきたい。
あなたのまわりには、あなたを助けたいと思っている者が、けっこうおりますよ。
もちろん、わたしも、その一人です」
無遠慮に、アレンがローレリアンの背中をたたく。
「もちろん、俺もだぞ」
「ぼくもです!」
アレンに負けるまいと、ラッティが声を張りあげる。
ローレリアンは目を閉じ、うなだれながら、消え入るように「ありがとう」と言いった。
それ以上は、なにも言えずに、口元を固まらせてしまう。
そうしなければ、泣いてしまいそうだったのだ。
涙をこらえるために、遠くへ視線をむける。
晴天の山の上からは、広大な地平が見渡せた。秋の実りで黄金色に輝く、豊かな土地が。
ここから見えるすべての土地は、ローザニア王国の国土だ。ローレリアンが覇権を手にして、よりよき国として導きたいと望んでいる、大切な祖国である。
山の乾いた秋風に吹かれても、ローレリアンの瞼は、いつまでも熱いままだった。
おまえは涙もろいというアレンの指摘は、あながちまちがってはいないなと、ローレリアンは思った。