旅の仲間 … 4
翌日も、ノーザンティアには雨が降っていた。初秋にありがちな、霧雨と小雨が入り混じって降る、あいまいな空模様である。
目的地を目の前にして時間を無駄にする気にはなれず、一行は雨をおして宿から出発していた。
昨夜の宿は、狩人が住む山小屋のひとすみだった。
彼らが目指す神殿は、修道を目的として辺鄙な場所につくられた小さな神殿である。夜の雨をしのぐ場所としてこころよく小屋の片隅を貸してくれた初老の狩人は、彼らの目的地を聞いて、納得顔でうなずいた。
「じゃあ、あんたが、あの神殿のつぎの神官さまかい? 今度はまた、えらく若い神官さまが来なさったもんだ。あそこが嫌になって、すぐに街へ帰っちまうんじゃないかって、心配になるよ」
山で生まれ育った狩人は、ローレリアンが身におびている神官としての位を示す略章の読み方など知らなかった。ローレリアンの年恰好だけを見て、彼のことを任官したばかりの下っぱ神官だと思ったらしい。
このような会話の流れを読んで、うまく話をごまかすのは、いつも悪戯小僧ラッティの役目だった。その時も、たちまち『へき地へ赴任してきた新米神官の召使』になりきって、すまして狩人へ事情をたずねた。
「うちの旦那様の前任者って、かなりの御齢なんですか?」
狩人は声をあげて笑った。
「かなりも、かなりさ。
年を取りすぎててボケボケだし、眼もあまり見えてないみたいだ。
近隣の村のもんが心配して、何度も上のほうへ、お願いに行ったみたいだぜ?
あの爺様がぶっ倒れる前に、なんとか次の神官さまを派遣してくれって。大昔から、山の神様をお慰めしてきた神殿が、つぶれたりしたら大事だからな。
しかし、なかなかこんな辺鄙なところへ来てくれる神官さまは、見つからなかったみたいでさ。
いまじゃ、あの神殿の御用は、修道女のエレーナさまが、ほとんど一人でこなされているよ。
エレーナさまは、ちっとも威張らない、優しい方さ。神官長の爺様のことも、大切にしてるしな。
あんたも、仕事のことはエレーナさまに聞けばいい」
思わぬところで母の名を聞いたローレリアンは、言葉を発することができなくて、黙ってうなずいた。
ローレリアンの戸惑いを察して、その夜、旅の仲間達は無口にすごした。
** ** **
道は前日の午後から、かなり登りがきつい山道になっていた。人づてに聞いた通り、小さな神殿は人里からかなり離れた山腹にあったのだ。
アレンは荷物を背負わせた愛馬のガレットの足場を確かめてやるのに必死で、先頭をいくローレリアンを、かまっている暇がなかった。
そもそもガレットは、ご主人様を背中に乗せて戦場を駆ける軍馬である。
そりゃあ、見てくれはずんぐりとしていて、あまり俊敏そうには見えない中年の牡馬だけれど、スタミナは結構あって、使えるやつなのだ。
だから、なれない山道で、足に怪我をさせたりはしたくない。当然、ガレットの轡を取ってひくアレンは、足場選びに慎重になる。
足元をにらみながら、またつぎの一歩をふみだした瞬間、アレンは後ろから袖口を引かれた。
馬の轡をとっているのとは反対側の、左の腕である。
「なに?」
顔をあげて相手を見たら、アレンの袖をにぎっていたのはラッティだった。悪戯小僧は、心配そうな顔だ。
「ねえ、アレン。やっぱり、リアンさまは具合が悪いみたいだよ。なんでもないって言われたけれど、手に触れたら、とても熱かったんだ。疲れているのに、昨日から体を濡らしたりしているから」
「アストゥールさまには、報告したのか」
「うん。でも、ここから昨日の宿へ引き返すよりは、先へ進むほうがいいだろうって」
アレンもうなずいた。
「そうだな」
いまは午後3時。
当初の予定では、そろそろ目的地の神殿へ着くころだったが、ローレリアンの足取りが遅くなっているせいなのか、まだ神殿は見えてすらいない。
ずいぶん山道を登ってきたせいで、周囲に生い茂る木は樺などの高地に生えるひょろりとした木ばかりになっていた。
そうした木は密生することがないので、もういいかげん、木立の間に目的の神殿が見えてもいいのではないかと思うのだが。
アレンは、すこし前を行くローレリアンの背中をにらんだ。
体調が悪いと一言いってくれれば、馬の荷物を降ろして、あいつを乗せてやれるのに。
でも、あいつは自分だけ楽をして仲間に荷物を背負わせるなんてこと、絶対に受け入れやしないだろう。それこそ、いよいよ自分が動けなくなって、足止めされた仲間に迷惑がかかるほどにでもならない限りは。
そのようなことは、アストゥールも予測ずみであるようだ。ローレリアンの足元が危うくなったとき、すぐに助けの手をさしだしてやれるように、隻眼の騎士は、ぴたりと青年神官の後ろへ着いて歩いている。
まったく、意地っ張りの主を持つと、したがう者は苦労する。
そこまで考えて、アレンは我にかえった。
いつのまに、自分はローレリアンのことを、主だと認識するようになったのだろうかと。
表面では仲の良い友達だと言いながら、じつは、ローレリアンのことを守らなければならない大切な人だと、いまのアレンは思っているのだ。
ローレリアンには、いっしょにいる人間に、そう思わせる何かがある。
ほんの些細なことでも決め事が生じると、アレンは自分で考えるよりも先にローレリアンの意向をうかがってしまう。
もちろんローレリアンは「自分はこう思うが、アレンはどうか?」とたずね返してくる。
それに対して、アレンが賛成の意見をのべれば、ローレリアンは笑顔を返してくるし、反対の意見をのべれば、アレンの意見を入れた修正案を提示したり、自分がアレンの意見を否とする理由をていねいに説明してくれる。
そして、どのみち最後には笑いかけられて、アレンはとても満足する。
こいつといっしょにいて、よかったなと、思わされているのだ。
大家に生まれると、こういう才能も受け継ぐものなのだろうか?
なんとなく、自分が仕えているヴィダリア家の長男、ファシエルさまのお顔を思い出す。アレンが知っている大家の跡取りといえば、ファシエル様くらいなので。
ファシエル様とモナ様は母君がちがう。
だから、ファシエルさまの年齢は30代半ばだし、外見も神経質そうな細面で、あまりモナ様と似たところはない。今は内務省で、ヴィダリア侯爵の秘書のような仕事をなさっていらっしゃるらしい。
言葉をかわしたことはないが、いつも忙しそうにしている方だ。たまに廊下ですれ違う時などにアレンが道を譲って目礼しても、視線すらむけてくれない。ローレリアンならそんなとき、たとえ相手が初対面の召使であろうとも、必ず「ありがとう」の意味をこめた笑顔をむけてくれるだろうに。
「あっ! いま、木立のむこう側に、何か見えましたよ!」
ラッティが大きな声をあげ、一同は立ち止まった。
少年が指さした道のむこうには、小さな石造りの建物が見えていた。
** ** **
まばらに木が生えた林をぬけでると、その先は天然の草原だった。
ローレリアンはアミテージで植物学者から受けた講義を思い出した。
植物の植生と土地の高さには関係がある。高木が育つことのできる山の高さには限界があるのだ。それを、森林の限界点と称する。
木の生えない高さに達した山の冬の厳しさは相当なものですよと、先生は言っていたけれど。
草原のむこうに見えている石造りの建物は、その山の長い冬に耐えるためだけに造られたかのように見えた。
風に負けないように屋根は低くしつらえられ、しかも瓦は漆喰でしっかりと固められている。くすんだ石壁の色などは、いかにこの家が風雪に耐えてきた年月が長かったかを物語っている。
さらに道をすすむと、神殿の全貌が見えてきた。
建物の周囲には、低い石塀がめぐらせてあった。おそらく、あの建物のまわりにある自給自足用の畑を、獣から守るためのものだろう。
いま歩いている道の行きつく先が、神殿の正面にあたるようだ。門扉は開かれており、門の上にアーチ形に渡してある飾りには、神聖文字で『天と地と山の神々に祈りをささげる家』と記されていた。それが唯一、この建物が単なる山小屋ではないことを示す印だった。
「やっと、たどりつきましたな」
ローレリアンの後ろを歩くアストゥールが、感慨深げにつぶやいた。
ローレリアンは、ただ、うなずいた。
感動の言葉は出なかった。
ここを訪れた目的を思えば、気は重くなる一方なのだ。
それに、息苦しくて、しゃべりたくもない。
雨に濡れて体は冷えているはずなのに、ローレリアンの吐く息は熱かった。これは熱があるなと自分でも思ったけれど、アストゥールやアレンに心配をかけるのは嫌だった。ただでさえ自分は、彼らに頼ってばかりなのだから。
道は、ゆるやかに曲がっている。
その曲がりをまわりきると上り坂は終わり、神殿の門が目前に迫った。
馬をひいた人が一人、通り抜けられる程度の小さな門だ。その大きさで十分なのだろう。ここまでいたる長い山道を、登ってこられる馬車など、ありはしないのだから。
塀のむこう側から、女の声が聞こえてくる。
「アリーチェ、雨がやんだわ。今のうちに晩御飯用のお野菜を取ってきてちょうだい」
「はい、エレーナさま」
「わたしは、西の斜面の畑を見てきますからね。あそこの柵、グラグラしていたのよ。雨で土がゆるんだら、倒れてしまうかもしれないわ。収穫前の赤カブをイノシシに食べられたら、がっかりですもの」
たしかに雨はやんでいた。
山の頂には、雲間から差し込む光の筋が、いくつも降りてきている。
山鳥の声も、もどってきていた。
風には、煙の臭いがある。目の前の建物のなかで、火が燃やされているのだろう。
それらのすべてを自分の五感で感じながら、ローレリアンは一歩も動けなかった。
塀のむこうから、人の歩く気配が近づいてくる。その気配は、母のものなのだろうか。
やがて小さな門から、その人は姿を現した。
ほっそりとしたその女性は、まだ十分に若く見えた。淡い金色の髪を、ひとつに編んで背中にたらしている。贅沢をいましめる修道系の神殿では、修道女はみんな髪を編んでいるのだ。
しかし、彼女が身にまとっているのは、修道女見習いの灰色の制服だった。その衣装を身につけているということは、彼女はまだ、神々へ自分の一生を捧げる誓いを立てていないことを意味する。
ローレリアンは複雑な気持ちで、初めて会う母親の姿を見つめた。
まだ母親は、神の花嫁ではないらしい。ならば彼女は、いつでも下界へ、人々の怨念渦巻く世界へ、下りていくことができる。
門から歩み出てきた母親は、すぐにローレリアンの存在に気がついた。
立ちすくんで、驚いている。
こんな辺鄙な場所へ、先触れもなく若い神官と騎士階級の男たちが訪ねてきたりしたら、だれだって驚くだろう。
見開かれた彼女の瞳は、ローレリアンとよく似た淡い水色だった。
震える手が、こちらへのばされる。
指さされて、悲鳴をあげられるのかと思った。
しかし――。
「ローレリアン!」
かの人は、大きな声で、息子の名を呼んだ。迫る山の肌から、こだまが返ってきそうなほど大きな声だった。
そして、声とともに走ってくる。
粗末な修道服のすそに足をからめとられ、転びそうになりながら。
「ローレリアン! ローレリアン!」と、叫びながら。
棒立ちになった息子の胸へ、母は抱きとめられた。
息子にしがみつく母の力は強く、ローレリアンは息がつまるかと思った。
母はすでに泣きじゃくっている。
涙の筋がいくつも伝う顔が、息子を見あげる。
「まちがいないわ。わたしの、かわいい坊や!
いつか必ず、また会えると、信じていたの。
ローレリアン、立派になって……!」
戸惑いながら、息子は答えた。
「わたしがだれか、聞かずとも、おわかりになるのですか?」
母は、ためらうことなく言い切った。
「ええ、わかりますとも。あなたの瞳は、生まれてすぐに、わたくしを見つめてくれた時の瞳と、ちっとも変っていませんから」
「母上……!」
初めて会う人を、母と呼べるだろうか。
その疑問は、旅を始めた時からずっと、ローレリアンの胸の奥でくすぶっていた。
けれど、そんな心配は無用だった。
ローレリアンの腕の中にいる女性は、まちがいなく彼の母親であった。
会えない時が長すぎたせいで、彼の腕の中にすっぽりと納まる、か弱い存在になってしまってはいたけれど。
その場にいた人々は、しばらくのあいだ母と息子の再会をみて、感動のおすそ分けにあずかった。
雨上がりの湿った風に吹かれながら、みんなが満足している、静かなひと時だった。
そのあと、静かな雰囲気を一番に破ったのは、アレンであった。
「よかったなあ、ローレリアン。母君に会えてさ」
アレンの口調には、ちょっぴり、もらい泣きめいた響きがある。
しかし、この旅で、アレンも少しは成長した。口下手だろうと、照れ屋だろうと、言うべきことがあるときには、きちんといわなければと思うのだ。
「さあ、いつまでも外に立ってないで、火にあたらせてもらおうぜ。
リアンは、どうも体調が悪そうだから、濡れた服を着替えて、体を温めないと」
それを聞いたエレーナ姫は、たちまち母親の顔になって、ローレリアンの体をあちこち触った。
「まあ、大変! 熱があるじゃないの! どうして男の子って、こういう無茶をやるのかしら! 熱があるのに雨の中を歩いてくるなんて、ダメじゃないの! さあ、早く家のなかへ入りなさい!」
説教口調になったエレーナ姫は、ローレリアンを引っ立てるようにして、神殿の建物のなかへと連れていく。
母親というものは、どこでもだれでも同じだなと、アレンは思った。
故郷の母親は、元気だろうか。
そのうち手紙でも、書いてみようかなと。