旅の仲間 … 3
奇妙な組み合わせの四人組が旅を始めてからほぼ30日たったころ、彼らはとうとうローザニア王国の北部ノーザンティア付近へたどりついた。
ノーザンティア地方とは、王国の北部に走るノーズ山脈の足元に広がる台地をさす。
すぐそばには峻嶮な山脈がそびえているが、台地そのものは山脈の南面に広がっているので、冬の厳しささえ我慢できるのであれば、山から流れ出す水のおかげで夏の水不足に悩むこともない、豊かな土地であるといえた。
山土はあまり耕作にはむいていないので、うねって続く台地の大部分は牧草地になっている。この良質な牧草で育てられる牛やヤギの乳から作るチーズと、日当たりの良い南面の斜面で栽培されるブドウから醸造された酒が、この地方の特産物だった。
一行が歩いている道は、すでに街道から外れて、牧草地や畑の間に続く細い道となっている。
その道の両側は土止めと獣よけを兼ねた低い石垣で囲われており、北に迫る山と、その下へ続く台地、そして台地を区切るように配された石垣の道がある景色は、まるで美しい絵を見ているようなながめだった。
そのような景色のなかを歩くようになってから、ローレリアンは黙りこむことが多くなっていた。
いやでも道中、彼としゃべっていることが仕事のようになってしまっていたアレンは、そんな様子を見ていると心配になった。下町の庶民の暮らしも知るローレリアンは、仲良くなってみると、冗談だって通じる面白いやつだったのだ。
道がいよいよ田舎道となると、夜は村の旅籠や農家の納屋を借りての宿泊となることも度々あって、そんな夜には若者二人で遅くまで、くだらない四方山話をして楽しんだ。
アストゥールは、あいかわらずローレリアンに対して丁寧な態度をくずさなかったが、アレンとローレリアンが若者らしい友達づきあいで親しくなることを止めようとはしなかった。
彼らがふざけて、たがいを冗談でやりこめあっている様子などを見ると、目を細めて笑っているくらいで。
アレンとローレリアンが友誼を結んだとなると、今度はその関係に嫉妬したラッティが、アレンに意地悪なことを言う。
二人の嫌味の応酬にローレリアンがからんだりして、彼らの旅は、かなり楽しい旅になっていたのだが……。
** ** **
まただ――、とアレンは思った。
道が二つに分かれる場所の塚に、目印として植えられた木の陰で馬に水を飲ませてやりながら、アレンはローレリアンの様子をうかがっている。
午前中の小休止のために、一行は木の下で思い思いにくつろいでいた。
アストゥールは携帯用のコンロで火を起こし、ラッティに暖かい飲み物を作る方法を教えている。
アミテージを出てから、すでに30日がたつ。季節はもう、秋へ入っているのだ。山に近いノーザンティアの季節は、王都や草原の街アミテージより、早足で冬へむかっているようだった。
ローレリアンは、ひとり、木の幹へもたれて遠くを見ている。
その瞳はうつろで、いまの彼には美しい景色など見えていないのは明白だった。
秀麗な横顔には、疲れた様子もうかがえる。
ひたすら学問にはげんできただけのローレリアンにとって、この徒歩の旅行は、かなりの負担だったはずだ。けれども彼は一度だって、「疲れた」とか「休みたい」とかいった、愚痴を吐くことがなかった。
むしろ、おのれに苦行を科すことで、なにかに詫びているような空気を感じるのは、気のせいだろうか。
おもてを伏せ、ローレリアンは、静かなため息をつく。
その吐息を聞いたら、アレンはいてもたってもいられなくなった。
馬にさしだしてやっていた皮の水入れの始末をすると、一直線に、ローレリアンのもとへ行く。
「おい、ローレリアン! ションベンしにいくぞ!」
「どうぞ、一人で行ってきてください」
ローレリアンは目を閉じ、美しい横顔をひくつかせた。能天気な馬鹿とは、目をあわせたくないといったところか。
だが、今日のアレンは、能天気な馬鹿になりきるつもりだった。そのほうが、疲れたローレリアンの気持ちを、何とかしてやれそうだと思うから。
ずうずうしく、ローレリアンの腕に手をかけて引く。
「おまえもいっしょに、行くんだよ!」
「さし迫って、必要はないので」
「必要なくても、こい!
ションベンなんて、出そうと思えば、いつでも出るだろう。
まえから言おうと思ってたんだけど、おまえは歩いている最中、ふいにどこかへ消えるから油断ならん。
ションベンしているあいだなんて、人間、めちゃくちゃ無防備だぞ。一人で行くのは危ないから、やめてくれ。
これからは、俺といっしょに行こうぜ!」
もたれていた木の幹から背を離して、ローレリアンはアレンへ抗議した。
「ションベン、ションベンと、下品な言葉をくりかえさないでください!
それに小用を足すあいだくらい、一人でいても大丈夫ですよ。
とっさのときにどうすればいいのかは、アストゥール殿から教えてもらったし」
「そういう油断が危ないんだ。
それに、俺はアストゥールさまから、『野外では片時もリアンさまを、お一人にするな』と、命じられているからな。上司の命令は絶対だ」
「べつに、アレンがわたしに四六時中、つきっきりでなくてもいいでしょう。アストゥール殿だって、そこまでしろとは――」
「つべこべ言うな! ほら、行くぞ。いいから、おまえ、おとなしく俺に護衛されてろ!」
アレンは腰の剣を少し鞘からぬいて「チン」と鳴らし、有無を言わさぬ強引さでローレリアンの背中を押した。
ローレリアンは、しょうがないなといいたげな様子で、アレンと歩きはじめた。
横に並んで、アレンは言う。
「なあ、おまえさあ、ここ2、3日、元気がないぞ。体調が悪いのか?」
ローレリアンは苦笑する。
「そんなことはありませんよ」
「なら、いいんだけど。
じゃあ、なんで、黙り込んでばっかりいるんだ?
おまえって、しゃべりだしたら、やたらとうんちくが長くて、けっこう五月蝿いやつなのにさ」
「心配かけてしまいましたか?」
「え? いやあ、うん」
今の自分の気持ちをうまく語れなくて、アレンは口ごもる。口下手は、十分に自覚しているのである。
分かれ道の塚から距離を取って、若者二人は腰より背丈がいくらか高い草むらの陰で用を足した。
ふいに隣りの気配の変化に気づいて、ローレリアンは声をあげる。
「ちょっと、わきから、のぞきこまないでください!」
「いいじゃんか。減るもんじゃあるまいに」
「あなたのそういう下世話なところだけは、好きになれませんよ!」
「ああ、そう」
アレンは、けらけらと笑った。
男同士、いっしょにションベンをすれば、かなり打ち解けられるはずだ。
これはアレンの持論だった。
実際、故郷の友達とは、『いっしょにションベン』で、かなり楽しくすごした。崖の上から遠くへ飛ばしてみたり、蜘蛛の巣をどちらが先に破るかで競争してみたり。
これぞ、馬鹿で楽しい、男子のつきあいである。
アレンの持論は正しかったのか、ローレリアンは用をすませた帰り道で、ぽつぽつと語りだした。
「たぶん明日には目的地へ着くと思うので、その先のことを考えていると、陰気な気分になるのですよ」
「なるほど。旅行ってのは、目的地へ着くまでが、一番楽しいっていうもんな」
「そうですね」
「なあ、聞いてもいいか?」
「答えられることなら、答えます」
アレンはローレリアンの横顔をうかがった。
ひと月一緒に旅をして、アレンにはなんとなく、わかってきていた。
ローレリアンは、なにかとてつもない大きな目標を持っている。
そして、それが何なのかについては、まだ語るつもりはないのだと。
ちょっぴり、悔しかった。
こいつとは、かなり仲良くなったと思うのに。
気を取り直して、聞いてみる。
「おまえ、こんな辺鄙なところへ来て、何をするつもりなんだ?
明日は目的地っていうなら、そろそろ話してくれてもいいんじゃないかな」
「そうですね」と、ローレリアンはうなずいた。
「ノーザンティアには、わたしが赤ん坊のころに別れたきりの母親に会うつもりで来ました」
「へえ、そりゃあ、よかったじゃないか。
おまえ、自分の過去が謎だらけって状況に、そうとうイラついてたもんな。
おふくろさんに会ったら、かなりすっきりするんじゃないのか」
「そんなにいいものじゃ、ありませんよ」
ローレリアンの口元に、力が入る。
何かに覚悟を決めようとして、奥歯を噛みしめたようだ。
やがて、重い口調で告白がはじまる。
「母には、わたしといっしょに死んでくれないかと、たのみに行くのです」
「死ぬって、おまえ!」
アレンは顔をこわばらせた。
そのあと、ローレリアンを怒鳴りつけようとする口から、大きく息が吸われる。
しかし、アレンのそのしぐさを、ローレリアンは手で制した。
「みずから死ぬという意味ではありませんよ。
ただ、わたしの生まれた家は、わたしが思っていたよりも、もっと大きな家で。
相続争いの余波が、モナ様におよんでしまうくらいにね」
「ああ、そうだったな」
「母は、赤子のわたしが殺されそうになったせいで、父との結婚をあきらめたのだそうです。
わたしを死んだと世間にいつわってアミテージへかくした後、母もまた心の病になったとして、北の地へかくされました。
わたしと母が生き延びるためには、それしか方法がなかったのでしょう。
ところが、あれから20年近くが経過して、父はこまっているのです。
本来、父の後を継ぐべき、わたしの異母兄は、あまり優秀な人ではないらしくて」
「それで、おまえに声がかかったってわけか。
親父さんの気持ちも、わかるなあ。ローレリアンくらい頭がいいやつって、そうそういないだろ」
「正確には、わたしを担ぎ出そうとしているのは、父の配下の人間たちなのですがね」
「馬鹿な兄ちゃんより、賢い弟のほうがいいやってことだろう? 誰だって親分として敬うのは、尊敬できる人間のほうがいいと思うさ」
「そうでしょうかね。
とにかく、妾腹のわたしが異母兄と跡取りの立場を争うとなると、当然、わたしの母にも影響が及びます。わたしが大きな失策を犯せば、母の命だって危うくなるかもしれない」
「おまえの家って、どんだけ陰謀好きなんだよ!」
「300年くらい前から、どろどろと、やっているようですよ?」
「さん、びゃく……!」
アレンは絶句した。ローレリアンの生家ってのは、いったいどういう大家なのだと。
ローレリアンは、陰気につぶやく。
「最初はね、親にだって、わたしを生んだ責任があるのだから、失敗した時には一緒に死んでくれと要求するのは、わたしが持つ当然の権利だと思っていました。19年間、親が生きていることすら知らされていなかったせいで、わたしは慢性的な不安にとらわれていましたから、積年の恨みといったところです。
けれど、旅をするあいだに、いやでも、いろいろ考えて。
ここまで自分の足で歩いてきたおかげで、わかったんですよ。
結局のところ自分は、あの草原の中の学問都市から一度も外へ出たことがない、頭でっかちなだけの人間だと。
アストゥール殿と、きみと、ラッティが、『リアンさま、リアンさま』と、わたしを持ち上げて支えてきてくれたから、ここまでなんとか、たどり着けたのですよ」
「いや、そんなこと、あるもんか。おまえは芯が強いやつだから、一人でも大丈夫だったはずさ。
ただ、一人よりは、二人。二人よりは三人。三人よりは四人のほうが、もっともっと、楽しかったってことじゃねえの?」
照れて赤くなったアレンに、ローレリアンのはかなげな微笑がむけられた。
その微笑を見て、アレンはひどく動揺した。
何かをなしとげようとして表情に強い意志をみなぎらせているときのローレリアンは、秀麗な容姿を冷たく凍らせていて、怖いくらいだというのに。
それがいまは、誰かが守ってやらなければ、消えてしまいそうに見える。
「おまえって、本当は、優しいやつなんだよな……」
遠い目で、ローレリアンは、自分のまわりの美しい風景をながめやる。さらに、その背中を、アレンが見つめている。
かすかな風が吹いて、牧草の葉先がざわめいた。
山からは乳白色の霧が下りてきて、周辺の空気は急に湿り気をはらむようになっている。
なんて、静かなのだろうか。
秋を迎えた、ノーザンティアは。
「19年前、王都から一人でこの地へやってきたとき、母はどんな思いで、この景色をながめたのでしょうね?
住みなれた大都市から、この山すその静かな土地へやってきて」
ローレリアンのつぶやき声は、アレンの耳の奥を、そっと打った。
ぽつりと、彼らの頬に水滴が当たった。
「雨だ」
ふたりは、雲と霧が流れる空を見あげた。
雨粒は、ぽつりぽつりと落ちつづけ、やがてあたりの風景は、しのつく秋雨に濡れていった。