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すみれの瞳の姫君  作者: 小夜
第九章
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旅の仲間 … 2

 実際のところラッティは、彼らの旅にとって、とてもありがたい存在となった。


 現実的な庶民の生活については旅の仲間のだれよりもくわしかったし、機転がきく彼の賢さには、大人たちも舌を巻いたのである。


 丁寧な言葉づかいを驚くほどの速さでマスターしてしまうと、彼は主のローレリアンにかわって、とうとうとしゃべるようになった。


 その話の内容は、立派な詐欺だった。


 ラッティはローレリアンと出会う前までは、路上でスリをして生計を立てていた少年である。嘘八百で大人を煙に巻くなど、朝飯前なのだ。高位の神官の召使らしい小奇麗な服を着せてもらった彼の口から出る嘘は、立て板に水のなめらかさで、相手に疑念の欠片も抱かせなかった。


 いわく。


「ぼくの主人は、寡黙な方なのです。

 あまり話しかけないでいただきたい。


 ここだけの話ですが、主人は王都でもかなりの地位にある方の落とし種。

 あの御年齢で六位の神官位をちょうだいして任地へおもむこうというのですから、そのへんの事情は説明せずとも、おわかりいただけるでしょう?


 主人の父君は、せっかくの機会だから庶民の生活を見るために歩いて旅をするという主人の心がけに感心はしたものの、その身の安全の確保に、たいそうお心を痛められまして。

 で、護衛に騎士を二人もつけてくださったというわけです。


 ですから、主人のことは、そっとしておいてください。

 晩餐へのお誘いなど、過剰な気遣いも無用に願います。

 孤独を愛するぼくの主人の機嫌をそこねれば、王都においでになる父君のもとへ、いらぬ報告がいってしまいますよ」


 そっと、そんな内容をラッティから耳打ちされた宿泊先の神殿の神官たちは、慌てふためいた。このお坊ちゃま神官に、なにか失礼があったら、自分の出世にも影響がでるにちがいないと。


 高位の神官の位や任地の決定が、王都の貴族たちの思惑で、簡単に左右されるのは世間の常識だ。神々の世界も、いまではたいそう世知辛いのである。


 おまけに、ローレリアンは秀麗な容姿の持ち主だ。王都においでになるという父君が愛された、この青年の母親は、さぞかし美しい女性だったのだろうなと、見る者の想像力をかきたてる。


 一夜の宿を借りた神殿への礼儀として、朝夕の礼拝に参加するローレリアンを見た神官たちは、祈祷書の朗詠に唱和する彼の声と容姿の素晴らしさに驚き、もしかしたらこの青年は、将来大神官長の地位まで上り詰めるのではないかとさえ思った。


 神々に仕える準備期間中である神学生の男女交際は厳密に禁止されているが、神官の結婚じたいは、べつに禁止されていない。


 むしろ、生涯を地方の村ですごす下位の神官には、奨励されているくらいだ。使用人を抱えるよりも妻帯するほうが、生活費は安くおさえられるので。


 だから神官たちは、若いのに聖職者としての美しい所作を完璧に身に着けているローレリアンの父親は、ひょっとしたら王都の大神殿で高位を占める聖職者なのではないかと勘繰ったのである。


 本当のところ、礼拝で真剣に祈っていたローレリアンは、「どうかこの国の将来を良い方向へお導き下さい」と、神々へ願っていただけなのだが。その真摯な願いは、彼の美しい横顔を、さらに輝かせたのだ。


 かくしてラッティの華麗なる嘘は、ますます完成度を高めた。


 「何やらわけがわからないが、この青年を怒らせることだけはするまい」と心に決めた神官たちは、黙って旅の一行へ宿を提供し、近隣に住む同業者同士のあいだですら、彼らのことについて噂するのは控えたのである。






     **   **   **






 宿泊した神殿では、どこでも寡黙をつらぬいたローレリアンだったが、北を目指す道中のさなかは、よくしゃべる陽気な青年であった。


 彼は思慮深い人間であるが、けして陰気なわけではなかった。


 でなければ、興味がおもむくままに学問所を渡り歩いて、行く先々で教師に気に入られたりはしなかっただろう。


 彼を教えた教師はみな、彼の素晴らしい理解力と、教えたことからさらに思考を発展させてゆく才気に、惚れてしまうのだ。あわよくば自分の跡取りに育ってくれないかとまで思った教師の数も、一人や二人ではない。


 これは余談だが、ローレリアンが学問都市アミテージから姿を消してしばらくたったころ、最近顔を出さないが、うちの弟子は元気なのだろうかと、複数の学者や学者の助手などが神学校へ訪ねてきたという。のちの世になってから書かれたローザニアの王子ローレリアンの人となりを語ろうとする書物には、よくこのエピソードが紹介されている。


 さて、道中ローレリアンが陽気だったのは、旅の仲間が愉快な連中であったせいでもある。


 北への街道は、大きな山脈へ近づいていく上り坂が多い丘陵地にのびる道だったが、鍛えた体の騎士達と、健康的な粗食のおかげで無駄のない体つきの青年神官、それに、いくら走っても疲れない年頃の悪戯小僧には、それほど苦にならない道であった。


 それどころか、乾燥した草原の中の街で育ったローレリアンやラッティにとっては、見るものすべてが感動を呼ぶ道である。


 ゆるやかな斜面に広がる果樹園をながめながら歩いたり、急坂のわきを流れる早瀬の水の冷たさを小休止のときに楽しんだりするたびに、それらの体験は心を潤す忘れがたい思い出となり、記憶の中の宝物になった。


 旅がよき思い出となったのはアストゥールとアレンの武人組も同じだった。


 とくに、旅の最中の貴重な時間を有効に使おうと、歩きながら士官に必要とされる知識を上司やローレリアンから伝授されたアレンは、おおいに旅を堪能した。


 彼の場合は、楽しいだけでなく、地道な努力を毎日くりかえさなければならない、辛い旅でもあったのだが。


 一度教えられたことを忘れてしまうと、上司のアストゥールは容赦なかった。問答無用で、「忘れた内容を唱えながら、この先の村まで走っていって、何かうまい昼飯を調達しておけ!」などと命令されてしまう。


 その長距離走は、ときに10メレモーブにもおよぶことがあったが、頭脳労働より肉体労働を好む見習い騎士は喜んで走った。


 武人の上司が与える罰は、それほど彼の名誉を傷つけはしなかったのだ。


 むしろ、年がそれほど離れていないローレリアンから、さまざまな分野におよぶ知識を噛み砕いて教えてもらうことのほうが、アレンにとっては屈辱的だった。


 優秀な頭脳をもつローレリアンの教え方は効率的ではあったけれど、「俺って、ひょっとして、かなりのバカ?」と、アレン少年を落胆させたのである。


 たとえばローレリアンは、アレンの数学の勉強がなかなかはかどらないのは、じつは寺子屋で身につけた九九の知識や大きな数の概念が、まだ完全に使いこなせていないからだと、たちまち見抜いてしまった。なにしろ田舎の生活では、万単位、億単位で、ものごとを考える必要はない。


 だからアレンは、ローレリアンから読み書き計算を習っているラッティといっしょに、九九の暗唱をやらされたりしたのだ。


 ぽてぽてと道を歩きながら、年下の小僧といっしょに歩調にあわせて「にいちがに、ににんがし、にさんがろく……」と唱えるのは、かなり惨めな気分だ。


 おまけに、九九を勉強しはじめたばかりのラッティは、もともと回転が速いすぐれた頭の持ち主なので、時々、アレンのまちがいを指摘してくる。


「アレン、またまちがった! 『しちは、ごじゅうろく』だよ!」なんて、調子で。


 だいたいアレンは、ラッティに呼び捨てにされることが気に入らなかった。


 しかし、悪戯小僧は、こう主張する。


「ぼくは、六位の神官リアンさまの召使だ。

 アレンは、名高い剣士アストゥール・ハウエル卿の見習い。

 ぼくとアレンの立場が、いったいどうちがうっていうのさ?

 さんづけで呼べなんて言われても、納得できないね!」


 かくして、アレンの数学の勉強は飛躍的に進んだが、彼の矜持は傷つきまくったというわけだ。


 しかし、この旅でアレンの素養は、かなり磨かれた。


 ローレリアンは教師としても優秀だったのだ。


 これは書物から得た机上論にすぎませんよと前置きしながら、彼は知識による諸国漫遊へ、アレンをいざなった。


 内海の西岸を支配するイストニアや南の大国オランタルの地理や風土、庶民の暮らしぶりにまで至る雑多な知識が、惜しげもなく披露される。


 公式に発表されている各国の年代記について話しているときには、ローザニアの年代記と比較して、双方の国の立場から同じ出来事をどのように解釈しているかも教えてもらった。


 その国にとっての正史とは、為政者にとって都合の良い解釈で書かれている。異国からだけでなく、庶民の立場から同じ出来事を見つめてみても、またちがう側面が見えるのだと、ローレリアンは熱く語った。


「書物を読むときには、自分が持っている知識を総動員して、はたして著者が記していることは本当に正しいのだろうか、論理にほころびはないか、別の解釈は成り立たないかといった検証的な態度でのぞむべきなのです。

 文字に起こされた知識を、すべて教導としてありがたがる態度でいては、ただ知識を持っているだけの馬鹿に成り下がりますよ」


 そういったローレリアンからの訓話の数々は、無邪気なアレンの物の考え方に、かなりの影響を与えた。



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