旅の仲間 … 1
ローレリアンの母親である前王弟の姫エレーナが、ひそかに身を寄せている神殿があるという北の地ノーザンティアは、東の辺境にあたるアミテージからは30日ほど歩かなければならない距離にあった。
途中にある街道の分岐点の街からなら駅馬車も利用できたのだが、目の覚めるような美貌の青年神官と、隻眼の中年騎士、童顔の少年剣士、そして10歳ほどの悪戯小僧という旅の仲間は、あまりにも印象的すぎて人々の注意を引いてしまうため、公共の乗り物の利用はあきらめたのだ。
彼らの旅の仲間は、出発した時より一人多い。
増えたのは、なんと、アミテージから旅立った、その日の夜である。
一行のなかで一番年上であり、旅の経験も豊富なアストゥールは、アミテージを出発した時から、背後に人の気配を感じていた。
日のあるうちに次の街道筋の大きな町までたどり着きたいという隊商は、いつもアミテージから朝早くに出発しているが、夕方の街道にも、草原で遊牧している羊飼いや、家路を急ぐ近隣の村の住人など、それなりの人の行き来はあった。
その人の往来のなかにあって、つねに自分たち三人と一定の距離をとっている人の気配があるとなると、守っている人が特別な人すぎるのも手伝って、アストゥールは過度に緊張した。
その人物は誰だと、何度となく背後をうかがうのに、彼の警戒心に引っかかるような人影は見つからない。どうやら問題の人物は複数ではないようなので、仲間に警告を発して警戒まではさせなかったが。
とうとう日が暮れる間際になって、道端から百モーブほど離れた灌木の茂みで野宿をすることになったときにも、アストゥールは彼らの後をつけてくる人物を見つけられないままだった。
街道のそばまではめったに出てこないが、ローザニア東部の草原にはオオカミがいる。
長い旅には野宿をすることも度々あろうと、一行はアレンの馬に安い屑石炭の袋を背負わせてきていたから、火をたいて朝まで交代で見張り、自分たちの身を守ることになった。
しかし、一行の後をつけていた人物には、火の準備などなかったのである。
太陽が西に沈み、上弦の月が天高くのぼると、はるか遠くからオオカミの遠吠えが聞こえるようになった。
それと同時に暗闇から、かすかにすすり泣くような声も聞こえはじめた。
火を囲んでいた一行は、ぎょっとした。
アストゥールとアレンは、自分のそばに置いていた剣を取り、ローレリアンは荷物のなかから布にくるんだ棒状のものをひっぱりだした。
布は袋状に縫い合わせてあり、その袋の口をといてローレリアンが取り出したものを見た瞬間、アストゥールとアレンは仰天した。
ローレリアンの手に握られたのは、黒光りする短銃だったのだ。
そのまま美貌の青年神官は、なれた手つきで撃鉄を半起こしにし、紙薬包の封を切って銃身に火薬をそそぎいれ、とんと銃床で自分の膝をひと突きした。
その振動で火薬が内部に落ち着いたのを見計らって索丈で素早く弾を押しこみ、点火用の雷管を装着する。
あとは撃鉄を全起こしにして安全装置を外せば、いつでも撃てる態勢である。
一連の動作は、訓練された兵隊なみの滑らかさだった。
紙薬包の封を切るときなど、自分の歯で紙をちぎって、時間短縮をはかるほどの芸達者ぶりである。恐ろしい兵器のあつかいに長けていることを、芸と呼べるならばの話だが。
アレンなどは、思わずわめいたほどだ。
「なっ、なんだあ! その凶悪な武器は!
聖職者が、どうしてそんなもの、持ってるんだよおおおおっ!」
いつでも撃てるように銃を泣き声の方向へむけながら、ローレリアンはすまして答えた。
「火薬の発明者は、200年ほど前の、東国の軍事専門家ですよ?
アミテージには、東国から伝わる最新の情報をもとに、火薬の性能の研究をしている専門家もいたのです。
学問というものは、必要とされるところに発展するのですよ。軍事目的なんて、もっともわかりやすい需要でしょう?
それに、わたしだって自分の身を守る方法くらい、それなりに考えていたのです。
神学生が剣術を学ぼうとするのは、あまり現実的ではありません。鍛錬に時間がかかる方法には、たいした魅力も感じられませんでしたしね。学びたいことがたくさんありすぎて、わたしはつねに、時間に追われていましたから。
この銃はね、まだ王都の軍にも使われていない最新型です。ちょっとした裏のルートから手に入れました。
ほらほら、見てください。この銃の発射機構には、火打石が使われていないんですよ。この部品は雷管といいましてね。ちょっとの衝撃で爆発する薬品が、このキャップの内側には塗りこんであって――」
ローレリアンのうんちくをさえぎって、アレンはわめいた。
「だーっ! うるさい!
銃なんて、接近戦では役に立つもんか!
やばいと思ったら、撃て!
それまでは、おとなしく俺たちに守られてろ、このクソ神官!」
そのアレンの怒鳴り声、『このクソ神官!』の部分にかぶって、悲鳴があがった。
「撃たないでぇ!」
草原オオカミの遠吠えにおびえて、すこしずつ火へ近づいてきていた追跡者は、ついに「うわーん!」と号泣した。
なにしろ、追跡者の目からは、火のそばにいる三人の様子がよく見えたのだ。
彼らは三人三様に、恐ろしい顔をしていた。
隻眼の騎士は、自分が守るのはローザニア王国の未来だと気負っていたし、まだ見習いの少年剣士は、クソ神官野郎に怪我なんかさせたら、また女主人に泣かれてしまうじゃないかと、腹を立てていた。
そして、問題の青年神官は、これから成そうとしている壮大な野望の実現の発端にもたどりつかないうちに死ぬつもりなどないので、鬼神とはかのごとくという、怜悧な表情をしている。
この三人の様子を見て、おびえない者など、いるわけがない。
「子供……?」
まず最初に、そうつぶやいたアストゥールが剣をひき、つぎにアレンがそっぽをむく。
最後にローレリアンが銃を置き、優しい微笑で表情をゆるめ、追跡者へ歩みよった。
「ラッティ、驚くじゃないか」
「兄ちゃん!」
大粒の涙をぽろぽろこぼしながら、少年はローレリアンにかけよってきた。
「お願いだよ、リアン兄ちゃん!
おいらも、いっしょにつれてって!
兄ちゃんは、どこだか遠くの任地へ、いっちゃうんだろう!?
そしたらきっと、もう二度と会えないよ!
そんなの、いやだ!
ちゃんと面倒見てやるから悪いことは二度とするなって、おいらに約束させたのは、兄ちゃんじゃないか!
ひどいよ!
自分の言葉には、最後まで責任持てよ!
おいらを置いて、どっかへ行っちゃうなよ!
おいてけぼりは、もういやだ!」
わんわん泣きつづける少年を、ローレリアンは痛ましい気持ちで抱きしめた。
ラッティの親は、あまりの貧しさに魔がさして、息子を置き去りにして消えてしまったのだ。そこから、この子の苦難に満ちた人生は始まった。
「ごめん、ごめんよ、ラッティ」
「兄ちゃん、兄ちゃん!」
ローレリアンから切ない目で見られたアストゥールは、ため息をついて答えた。
「あとをついてくる気配には気づいていましたが、まさか相手が、こんな子供とは思っていませんでした。
わたしの危機管理能力も、まだまだですな。
これからは、索敵の対象に先入観が入らないよう気をつけます。
で、リアンさま?」
ローレリアンが何を言いたいのか、とっくに予測がついているアストゥールは、苦笑いするしかない。
そして、嬉しそうにローレリアンが言う。
「つれていっても、いいですよね?
当初の目的をはたしたら、この子の身の振り方については、きちんと考えますから。
だいたい、わたしたち三人組は怪しすぎます。神官一人に剣を持った騎士二人なんて組み合わせですからね。そこに、神官の身の回りの世話をする子供の召使がくわわれば、いくらか怪しさは緩和されるでしょう?」
「へ理屈は結構です。お好きなように、なさればよい。よほど理不尽なご命令でなければ、わたしは、あなたにしたがいます」
「だそうだ。よかったね、ラッティ」
ローレリアンとラッティ少年は、ひしとばかりに抱きあった。
「兄ちゃん、おいら、一生懸命、いい召使になるように頑張るから」
「そんなに気負わなくていいよ」
「おいらは兄ちゃんのこと、大好きなんだもん。ずっと、いっしょにいたいんだ」
その望みは、まずかなうまいと思いながら、ローレリアンは少年の頭をなでた。
せいぜい、いっしょにいる間に、この子にいろんなことを教えてやるつもりだ。
そうすれば、この子にも、何らかの道が開けるはずなのだから。
「では、まず、自分のことを『おいら』と呼ぶのはやめよう。照れくさくても、『ぼく』と言う。普通の街の家庭に生まれた男の子は、ある程度の年齢になるまで、自分のことをそう呼ぶよ。
言葉づかいを改めれば、他人がきみのことを見る目も変わってくる。それが世間というものなんだ」
ラッティは真剣な態度でうなずいた。
「うん。おいら、がんばる」
「おいらではなくて?」
「ぼく、……でした」
照れて笑うラッティを、ローレリアンは火のそばへつれていく。季節は夏の終わりである。草むらでは虫が絶え間なく鳴いており、夜のとばりにつつまれた草原の空気には、すでに秋の気配があった。
暖かな火のそばにおさまって、たったいま主従の約束を交わしたばかりの青年と小僧は語りあう。
「それから、わたしのことは、リアンさまと呼ぶんだよ。いちおう、きみは、わたしの召使ということになるからね。きちんと、お給金もあげるから」
「兄ちゃんは神官さまなのに、あだ名で呼んでもいいの?」
偽名を使う理由は説明できない。
そう思ったローレリアンは、なにげないそぶりで答えた。
「こっちの呼び方のほうが好きなんだよ。
リアンとは、大昔に使われていた言葉で『癒し』を意味するんだ」
「ふーん。神官さまには、とてもよく似合う名前だね。わかった。リアンさま」
「わかりました、だよ。ラッティ」
「わかりました、リアンさま!」
たき火のまわりで、楽しそうな笑い声が、はじけちった。
こうして、いたずら小僧のラッティは、旅の仲間になったのである。