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すみれの瞳の姫君  作者: 小夜
第八章
30/40

神よ、最後の願いです! … 6


 パヌラ公爵邸を後にしたローレリアンは、ふたたび下町を目指して歩いた。


 今度は、おちついて、ゆっくりとだ。


 道の途中で、顔や手についた血は洗い流したし、もっとも汚れがひどかった上着は脱ぎ捨てた。


 今は、風にはらむ半袖の白いシャツと灰色のズボンという、くだけた姿だ。ちょっと近所まで用をたしにいく、学問所の学生といった雰囲気である。


 彼の後ろには、アストゥール・ハウエル卿がつきしたがっている。


 こちらはつい先ほどまで、主とパヌラ公爵の正式会見につきそう腹心の部下の役割をはたしていたもので、やや仰々しい服装だった。黒を基調とした上着は地味ではあるが、要所には国中へ名をとどろかす名剣士にふさわしい装飾が施されている。剣も立派なら、帽子も立派。帽子の羽根飾りは、俊敏なイメージの山雉の尾羽が三本だ。


 ローレリアンは、うさん臭そうに、隻眼の騎士を見た。


「アストゥール卿。わたしについてくるのは、いっこうに構わないが、その、ぎょうぎょうしくて目立つ格好は、なんとかなりませんか」


「そうですなあ」


 アストゥールは帽子をとって、片手でくるりとまわした。


「いっそ、この帽子は売り払い、路銀の足しにでもいたしますか!」


「そんな、もったいない。

 これから、わたしの荷物を預けてあるところへよりますから、そこの子供たちにたのんで、侯爵邸にでも届けてもらいましょう」


「もったいないとは、王子殿下が口になさるお言葉とは思えませんな」


 ローレリアンは肩をすくめた。


「わたしは、何不自由なく育ったが、それほど贅沢をしてきたわけでもありません。庶民の生活感は、肌身で知っているつもりですよ。

 きっとこれから、その感覚は、わたしの武器になると思っている。

 時代は、変わりつつありますからね。

 大きな戦争がなくなって、庶民はささやかながら、財を蓄えられるようになった。財を成せば、それを守るために、子弟へ教育を施すようになる。

 知識を得た市民は、愚かな君主にはしたがいません。代々土地を所有し、税を徴収する権利を持つ貴族という存在に対しても、市民は疑問をもちはじめている。

 社会問題を論じる学問所に出入りしていますとね、そういう空気を、ひしひしと感じるのです。

 わたしはこれから、なにを成すべきなのか。

 精一杯、考えますよ。

 わたしがこうして、ここに生きていることには、きっと意味があると信じたいですから」


「ご立派なお心がけです」


「若気の至りの、空言です。笑っていいですよ」


「笑ったりするものですか。

 あなたのそういうところがよいと思ったから、わたしはあなたに、ついていこうと思った。ご老人が何と言おうが、わたしは、わたしの意に反することはいたしません」


「あとで、後悔しても知りませんよ」


「かまいません。どうせ、あなたに救っていただいた命だ。たとえ命がけになろうとも、受けた恩は返します。それが武人の道義というものです。わたしは、剣とともに生きるしか能がない、堅物男ですからな」


 そう言い放った隻眼の騎士は、陽気に笑った。あなたを守るのは、わたしの大切な姫さまのためでもあるのだとは、おくびにも出さずに。


「おや、ちょうどよい。あそこに、庶民向けの古着屋がありますよ。ちょいとよって、わたしの旅装を調達してもよろしいでしょうかね、王子殿下」


 ローレリアンは、あわてて騎士をたしなめた。


「アストゥール殿、声が大きい!」


「これは、わたしの地声です。

 では、これからあなた様のことは、どのようにお呼びすればよいですか」


 ひたすら闊達かったつな騎士を、ローレリアンは、まぶしげに見た。


 この男は、ローレリアンが王子であると知ってからも、なんら態度を変えることがない。


 自分の剣の腕だけを頼りに今日まで生きてきた男の潔さが、そうさせるのだろうか。


 きっと彼は、自分で見定めて、自分が信じるものだけに、したがうのだろう。


「わたしのことは、リアンと呼んでください。親しい者はみな、そう呼ぶのです」


「わかりました。リアンさまですな」


「さまは、いりませんよ」


「いやあ、さすがにそういうわけには、まいりますまい!」


 呵呵かかと、騎士は笑いつづける。


 ローレリアンは、どこかでほっとしている自分に驚いた。


 これからは、失うばかりの人生になると思っていたが。失うものもあれば、得るものもあるらしい。


 できることなら、この騎士から、本物の信頼を得たいものだと、ローレリアンは心から願った。






     **   **   **






 ローレリアンとアストゥールは、道々旅支度の買い物などをしながら、下町にある孤児達の掘立小屋へたどりついた。


 ふたりの間では、それなりの準備を整えてから旅へ出発しようという相談がまとまっていた。

 

 砂漠を渡ってきた商人たちが、ちょうど休憩するのにふさわしい場所にあったから、アミテージは町として発展してきたのである。


 富んではいるが、アミテージは本質的なところ、国境の田舎町なのだ。城壁から、いったん外へ出てしまうと、次の大きな街までは、草原の中にのびる街道を丸一日歩かなければならなくなる。先のことで相談しなければならない問題は、いくらでもあった。


 戦場に出た経験も持つアストゥールは、旅のエキスパートでもある。遠征成功のカギは事前の準備にあるなどと、王子殿下にむかってくりだすアドバイスは、まるで講義のようだった。


「あとをつけられていないか確認するためにも、今日はわざと遅めの出発にして、夜は草原で野宿をいたしましょう」


 アストゥールを頼もしく思いながら、ローレリアンも真剣に答える。


「荷物を運ばせる馬を調達したいですね。野宿の準備までして出発するとなると、持ち物が多くなります」


「幸い、季節は夏ですから、防寒の心配がいりません。野宿も旅行用のマントと毛布程度の準備で、なんとかなるでしょう」


「では、馬は必要ないだろうか」


「いるに越したことはありませんがね。

 なんらかの理由で街道を外れて行動しなければならなくなったとき、水や食料をもっているのとそうでないのとでは、行動の選択の幅がちがってきます」


「なるほど。では、つぎの街で馬を調達することにしましょう」


「いやいや、ちょいと、おまちを。

 ひょっとしたら、馬を買う必要は、ないかもしれませんよ」


 アストゥールは、愉快でたまらないといった様子で、前方に見えている掘立小屋を指さした。


 掘立小屋の前の杭には馬がつながれていた。あの丈夫がとりえの、ずんぐりとした体型の馬には、見覚えがあると思うアストゥールなのである。




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