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すみれの瞳の姫君  作者: 小夜
第八章
28/40

神よ、最後の願いです! … 4


 そのころ、怒りにうちふるえるローレリアンは、街の中心部めざして走っていた。


 古い立派な街並みのなかには、中央政界で権勢をふるう大貴族達が、アミテージへ遊学で訪れる子弟のために維持している別邸がならんでいる。


 ローレリアンがめざすのは、枢密院議長パヌラ公爵の屋敷だ。


 貴族の屋敷が集まるこの一角は、さきほどまでローレリアンがいた貧しい人々が住む街とは、まったく異なる雰囲気だった。


 わずか15分ほどの移動で、外国へ来てしまったような気分になってしまう。


 ローレリアンの表情は、怜悧に固まっていた。


 これからくりひろげられる駆け引きには、必ず勝つ決心だ。


 勝たなければ彼は、最愛の少女を守れない。


 緊張のあまり、食いしばる歯がきしむ。


 すると彼の表情はますます険しいものとなり、往来を行きかう人々は、驚いて道のはしへ逃げていった。


 すれちがう人々がローレリアンを怖がるのも無理はなかった。


 ローレリアンの上着や手には、まだ生々しい血の跡がこびりついていたのだ。


 アレンの傷の手当てをしたときに、汚れが移ってしまったのである。アレンは自分が切り殺した暴漢の血を、派手に浴びていたから。


 薄暗い大神殿の伽藍のなかでなら見る人に畏怖の念を与えそうなほどの美貌をもった神学生が、血にまみれて走っていく様は、まるで鬼神の疾走だった。


 もし、芝居のなかの一場面として演じられるならば、その役柄は天がける雷神スミティルといったところか。雷を武器に地をはう人々へ天罰を与えると信じられている雷神スミティルは、青ざめた顔をした美しい青年だと言い伝えられている。


 パヌラ公爵邸の所在地は、かの人が自分の過去にかかわる人物だとつきとめた時に確認してあった。


 ローレリアンは迷うことなく、立派な構えの屋敷へ近づいていく。


 屋敷の前には、貴族が使う箱馬車が停まっていた。装飾がみごとな、古いものである。


 路面から数段石段を登ったところにある玄関では、いままさに客人の出迎えが行われているところ。


 客人はよほど大切な客とみえて、出迎えの人の列のなかには、パヌラ公爵本人の姿も見えていた。


 偶然に感謝だ。


 ローレリアンは、いっこくも早く、公爵とその娘、ディセット伯爵夫人に会いたかったのだから。


「な、何者!」


「狼藉者じゃ! みな、であえ!」


「公爵さまに怪しい者を近づけるな!」


 玄関へつづく石段に足をかけた瞬間、公爵家の使用人たちがローレリアンを拘束しようとする。


 血まみれの青年が枢密院議長のもとへ駆けよろうとしたのだから、当然の反応というべきものだろう。


 しかし、公爵家の使用人たちは主に一喝された。


「そのお方に触れてはならん!」


 そして、国家の要職にある男は、緊張に顔をゆがめて、問いかけてきた。


「お怪我をなされましたか。

 いったい御身に、何がございましたのか。

 とにかく、はよう屋敷のなかへお入りください」


 息を切らせたローレリアンは、早く早くと、公爵に背中を押された。


「だれか、女手を呼んでまいれ!

 殿下のお怪我の手当てをしろ!」


 公爵の大声が、屋敷の玄関の高い天井にこだまする。


「わたしは、無事だ。それより――」


 自分の肩からパヌラ公爵の手を払いのけ、突然の来襲ともいうべき訪問の理由を口にしようとした瞬間、ローレリアンは聞き覚えのある声に話しかけられた。


「ローレリアン殿……?

 では、わたくしどもがこれから盟主として仰ごうとしているお方とは」


 公爵が答える。


「アストゥール・ハウエル卿は、ローレリアン王子殿下と面識がおありか」


 一瞬の沈黙が、あたりを支配する。


 ローレリアンは、あるだけの勇気と誇りをかき集めて、姿勢よく背筋をのばした。


 堂々たらんと。


 パヌラ公爵のとなりには、見覚えのある隻眼の男が立っていたのだ。


 つい最近失った彼の片眼は、黒い革の眼帯の下にかくされている。


 あの気障っぽい口ひげは、怪我を癒す床のうえで養ったものか。


 死にかけていたときにはなかった風格が、いまのアストゥールからは、ひしひしと感じられる。


 その隻眼の剣士に、柔和な雰囲気の老人が問いかけた。パヌラ公爵に格負けしない、立派な衣装をまとった老人である。


「これは驚いた。

 わしの記憶ちがいでなければ、この地でアストゥール卿が知り合った神学生とは、娘が恋しがって追いまわしておるという、青年のことではないのか?

 今日も、わしがアミテージへ到着した時、娘は出かけていると聞かされて、困ったものだと思ったのだが」


 問われた隻眼の剣士は、戸惑いもあらわに答えた。


「さようでございます。こちらの神学生殿は、わたくしの命の恩人です。その御縁で、その……、姫君が」


「なんたる奇遇じゃ!

 わしは、モナシェイラと王子殿下をひそかに会わせるために、はるばるアミテージまでやって来たのだからな!」


 そこで、はたと、老人は笑っていた表情を硬くした。


 アストゥールが仕える第15代ヴィダリア侯爵エルウィン・ヨゼミアは、王より国務への奉職を命じられた、ローザニアの重臣の一人。見かけどおりの、優しげな老人ではない。


 侯爵のしわの中にある眠たげな眼がすがめられ、強い眼光がローレリアンに注がれる。


「この場では、王子殿下と、お呼びしてもよろしいのでしょうな」


 冷たい視線を、ローレリアンは正面から受け止めた。


「パヌラ公爵から、わたしの出自についてを明らかにされたのは、ごく最近なのです。

 正直なところ、戸惑うが。

 しかし、あなたが、わたしの血筋の正しさを信じるというのならば、そう呼べばよろしいでしょう」


「では、ひとつ、お答えくださらぬか。

 殿下が浴びておいでになる、その血は……、まさか……」


 さすがは、ヴィダリア侯爵。わたしが浴びている血と、おのれの娘が襲撃された事件のつながりを、たちどころに見ぬいたか。


 そう思いながら、ローレリアンは薄く笑った。


 酷薄といえるほど、怜悧な笑みだ。


 ぞくぞくと、背筋がふるえている。


 この暗い喜びは、なんだ。


 いま、わたしは国家の要職にある大貴族二人と、まったく対等の立場にある。


 これが、血の恩恵か。


 苦しかった幼年期を生き抜いた褒美ほうびとして、神々が与えてくださったもの。


 この恩恵をわが手につかめば、きっとまた、それと引き換えに、わたしは多くの物を失うのだろう。


 自由気ままに生きるすべ、親しい人々、たがいに何の見返りも求めない、ささやかな愛。


 心臓が、凍りつく。


 あの、すみれ色の瞳の少女が、わたしにむけて無条件に注いでくれる、まっすぐで暖かい愛情も失うのだ。


 せまりくる喪失の実感が、ローレリアンの感情を殺していく。


 大切なあの少女を、自分の運命に巻きこみたくはない。


 彼女には、おだやかな幸せを得てもらいたい。


 こうするしか、方法を思いつけない。


 ――だから。


 ローレリアンは、暗い決意を宿した瞳をあげた。


 愛を失うならば、代償に、わたしはこの国の未来を、この手につかもう。


 物の流れを変え、人々の生活を変え、この国を変えてやる。


 頭でっかちの神学生の夢想を、現実に変えてやるのだ。


 失敗と引き換えにさしだすのは、わたしの命。


 だから、文句はあるまい。


 神々よ、愚かなわたしに、このような大きな宿命を背負わせたことを、後悔めされるな!


 わたしは、宿命にしたがって、世界を変える!


 ローレリアンの強い瞳が、二人の大貴族を見つめる。


 パヌラ公爵を喜ばせた、覇気に満ちた強い瞳だ。


「ヴィダリア侯爵、モナシェイラ殿は無事です。ご心配なさらぬように」


 ほうと、ヴィダリア侯爵の口元から息が漏れた。


「とりあえずは、安堵いたしましたが。

 しかし、殿下の口から我が娘の名が出るということは」


「ええ。襲撃を受けたのは、モナシェイラ殿です。

 彼女のことは、彼女の従者が守りました。アレン・デュカレットという、まだ少年の見習い騎士です。あとで褒美のひとつでも、やっていただきたい。

 この血は、その少年と、少年が倒した賊の血ですから」


 あらためて、ローレリアンが浴びている血を見て、大貴族達は眉をひそめた。


 美貌の青年が血を浴びて立っている様は、凄惨な事件を、鮮明に想像させる。


 その場のまがまがしい雰囲気を最大限に生かそうと、ローレリアンは声を低めた。


「パヌラ公爵。わたしはひとつ、大切なことを、あなたから聞いていない」


「は」と、公爵はかしこまった。


 しかし、それはあくまでも形式である。


 まだパヌラ公爵は、ローレリアンを自分のあるじとは認めていない。主たる人物かと、観察しているにすぎないのである。


 これからが勝負だと、ローレリアンは思った。


 ここで、この二人の大貴族から底の浅い人物だと判断されたらば最後、第二王子ローレリアンを派閥の領袖として仰ごうとする貴族たちから、わたしは高貴なお飾り人形として扱われるようになってしまうだろう。


 なりたいのは、飾りの王ではないのだ。


 その思いが烈気となって、秀麗なローレリアンの顔を輝かせる。


「わたしの母はだれだ?

 ディセット伯爵夫人は、自分の従妹の姫だといっていたが」


 うやうやしくパヌラ公爵は答えた。


「前王弟殿下の姫君、エレーナさまでございます。前王弟殿下の妃は、わたくしの姉でございますれば、我が娘ディセット伯爵夫人アランナは、ローレリアン殿下の母君の従姉ということになります」


「母も王族か。しかも、あなたとも親戚とは驚いた」


「前王弟殿下は御体が弱く、社交も苦手とされた方でしたので、エレーナさまは前王弟殿下のお住まいであったモレイワの離宮から一度も外へ出たことがない、まことの深窓の姫君としてお育ちになられました。

 おそらく、前王弟殿下は、ローザニアの王家によくあらわれる美しい水色の瞳をお持ちであったエレーナさまを愛しく思われるあまり、権力闘争の道具とされないように、離宮へ閉じ込めていらしたのだと言われております。


 エレーナさまと現国王バリオス3世陛下が出会いを果たされた当時、エレーナさまは15歳の初々しい姫君でした。

 前王弟殿下の病がいよいよ重くなったとき、甥にあたるバリオス3世陛下は請願に応じてモレイワの離宮へ行幸なさった。前王弟殿下からの、姫君の行く末を頼むとの願いは聞き届けられ、前王弟殿下が薨去されたのち、エレーナさまは王宮へ迎え入れられた。

 父親以外の後ろ盾をもたなかったエレーナさまが、バリオス3世陛下をお慕いするようになるのは、当然の成り行きのようなものでございました。


 エレーナさまとバリオス3世陛下が出会われたときには、もうすでに現宰相カルミゲン公爵の娘であるティレディ王妃は病でお亡くなりになられておりましたので、当然、陛下はエレーナさまを後添いの王妃として迎えることを望まれたのです。


 エレーナさまとバリオス3世陛下は、従兄妹同士でございます。

 本来なら、王家の血を濃くするものとして、この結婚は歓迎されるはずでした。

 しかし……」


「歓迎しない者も多かったということか」


「だれとは申しませんが……」


 公爵は深い吐息をはいてから、話をつづけた。


「国王陛下の再婚問題については、議会が紛糾いたしましてな。

 王家の姫であるというのにエレーナさまは、いつまでたっても公には、愛妾あつかいのままでございました。

 しかも、何度も、暗殺未遂の事件が起こる始末。

 しまいには、お生まれになったばかりのローレリアン王子殿下にまで陰謀の手がおよび、とうとう国王陛下はエレーナさまとのご結婚を断念されたのです。

 そして、ローレリアン殿下は、『病で死んだと発表し、かくして育てよ』と、国王陛下から我が一族へ託されました」


「なるほど。あなたのおかげで、わたしは生きながらえたということか。感謝しなければなりませんね、公爵」


「感謝など。わたくしは、我がローザニア王国にとって良かれと信じたことを、王国陛下の臣民として、なしたまででございます」


「では、わたしの母は、まだ存命なのか」


「はい。王子殿下を失って心の病になられたと周囲を偽り、王国の北部ノーザンティアの神殿で、静かにお暮らしとうかがっております」


 その瞬間、勝ったと、ローレリアンは思った。


「なるほど。母は、まだ生きていますか」


「はい。周囲の注目を集めるわけにはまいりませんので、わたくし自身の眼で御無事を確かめたことはございませんが。お元気でお暮らしと、うかがっております」


 ローレリアンは、低く笑った。


 その笑い声はかすれており、陰惨な響きをともなっている。


「では、母には、わたしとともに王都へおもどりいただこう」


 大貴族二人は、驚いて王子を見つめた。


 王子の水色の瞳は冬空のように冷たく凍りついており、白刃と化した視線には、老人達を刺し殺しそうなほど危険な意志が宿っている。


「パヌラ公爵、ヴィダリア侯爵。

 あなた方は、なにか勘違いをしておられる」


「勘違いとは、いかなるものでございましょうか」


 眉をひそめたヴィダリア侯爵が、そう問い返すと、ローレリアンはますます凄みに満ちた笑みを深めた。


「あなた方は、わたしが王子として中央政界へ返り咲くためには、有力貴族との血縁によって得る、後ろ盾が必要だと思われているようだが。

 それは、おかしくないか?

 わたしは、現国王と前王弟の姫とのあいだに生まれた、生粋の王族なのだろう?

 このローザニアにおいて、だれよりも濃い王家の血筋を主張できるのは、このわたしをおいて他にはあるまい?

 ついに、雌伏を強いられた王子が至正の大義を主張して立とうというのだ。

 そのわたしが、どうして、臣下との血縁という名の鎖に、縛られなければならない?

 わたしを隠し育てて、生きながらえさせてくれたことには、感謝もする。

 だが、それとこれからのことは、別の話。

 あなた方からさしだされた首輪を、わたしが喜んでつけるとでも思ったのか?」


「首輪だなどと!

 我らが、殿下にお願い申し上げるのは」


 あせったパヌラ公爵へ、王子の叱責が浴びせられた。


「わたしは、だれにも屈しない!

 だれにも、組しない!

 求めるのは、対等な関係などではない!

 わたしへの、ひいては王国への忠誠だ!

 わたしを盟主として仰ぎたければ、傲慢な交換条件など撤回することだ。

 返事は、いますぐする必要はないぞ。

 ゆっくりと、考えればよい。

 いずれかのときに、暗愚だと噂され、国民から真に王たる器なのかと疑われている我が兄を至高の座に頂くか、それとも、わたしとともに、欺瞞と苦難に満ちた茨の道を歩むのか。

 どちらでも、好きなほうを選ぶがいい!」


 ローレリアンが檄して言い放ったその時、急に公爵邸の玄関ホールの空気が変わった。


「まあ、大変! どういたしましょう!」


 玄関ホールにつながる階段の上に、ディセット伯爵夫人が現れたのだ。



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