神よ、最後の願いです! … 3
切れ目が中途半端なので、開始二行が前の投稿文とかぶります。
「アレン! いやだあぁぁぁぁ――――っ!」
モナの絶叫は、もうアレンの耳には届かなかった。
太刀筋が鮮やかに止まって見えた。
この剣に突き殺されるのだと思った。
だが、剣はそれて、アレンの脇腹を切り裂いていく。
ありがたい!
屋根に登った坊主達が投げた石が、悪党に命中したらしい。
アレンの剣がふりむきざまに相手の背中を払う。
返り血を浴びた。
生暖かかった。
次の相手が剣をふりあげる。
限界だ。
最後のひとりが、モナに襲いかかっていく。
助けの手は届かない。
「モナ!」
ローレリアンは、モナを抱きしめた。泣き叫んで暴れられたせいで、彼女を塀のむこう側へ押し上げることはできなかったのだ。
もういい。
彼女のために死ぬなら本望だ。
どうかアレンが、彼女を守ってくれるように。あるいは、はぐれた護衛が、一刻も早く追いついてくるように。
それまで刃は、わたしの体で止めてみせる!
神よ!
最後の願いです!
世界でたったひとりの、わたしの愛する人を、お守りください!
「いや――っ! 放して――――――――!」
強い力がモナを地面におしつける。
どうして?!
ローレリアンまでが、どうして……!
あがらいたくても、今まさに背中にふりおろされようとしている剣の気配に覚悟を決めて、モナにおおいかぶさってくるローレリアンの大きな体は、びくとも動かなかった。
だが、剣はふりおろされなかった。
敵の剣は戸惑い、宙を泳いだ。
しんと静まりかえった城壁の下に、モナが泣きじゃくる声だけが響いた。
脇腹に太刀を浴びて今にも地面に崩れそうになりながら、アレンは剣を構えなおした。
ところが、彼と向きあっていた男は、戦意を失っている。
モナの前にいた男が、退路を顎でしゃくって、仲間に示した。
暴漢はアレンが致命傷を与えた男が死んでいるのを確かめると、死体をそのまま捨て置いて、街の路地の奥へと消えていった。
アレンは、その場に倒れた。
子供達がばらばらと、塀の上や屋根の上から飛び降りてくる。
「アレン……!」
モナがローレリアンの腕の下から這い出てくる。
「アレン…、アレン……、死んじゃだめ」
せきあがってくる、彼女の嗚咽は止まらない。
「生きて……ます」
ぜいぜいと息を整えながら、アレンは答えた。
役得だ。
まるでモナさまを、みごと逃がし切ったときの、アストゥールさまみたいじゃないか。女主人に、ぼろぼろ泣いてもらって、カッコいいったらないぞ。
「手を貸してくれそうな大人を呼んでおいで。それから、レオニシュ先生の所にも、ひと走り。怪我人を運ぶからと」
てきぱきと子供達に指示をだしおええたローレリアンが、アレンの傷の止血をする。
モナが涙ながらに聞く。
「アレンは大丈夫?」
「大丈夫。傷は浅いし、内臓も無傷だ。人間は肉体に傷を負うと、心にまで傷を負って、立てなくなってしまうんだ。野生の動物にくらべたら、ずいぶんと弱い生きものなんだよ」
ああ、そうだとも。俺はもう立てないよ。ボロボロだ。
そうつぶやいたアレンの目の前で、モナがローレリアンに抱きついた。
「ローレリアン。どうして、あんなことをしたのよ! わたしを、かばうなんて!」
モナの涙が、ローレリアンの首筋に落ちる。
涙に湿った頬の感触。
黒髪から匂う汗と陽射しの匂い。
細い体。
ローレリアンの髪のなかに差し込まれる、十の指。
ローレリアンの五感に感じられるモナの気配のすべては、生きている生身の感触だった。
心から神々に感謝した。
「君が生きていてくれるだけで……」
「わたしだけ生き残ったって、ちっとも嬉しくない。ローレリアンが死んじゃったら、わたしは生きてなんか……いられないわよ!」
せつない瞳が、たがいを見つめあう。
モナの頬が、ローレリアンの頬におしつけられた。
ローレリアンは黙って、モナの温もりにおしあてた頬の感触に、体中の意識を集めた。
暖かい……。
――これで最後だ。さようならを言わなければ。ひとこと、さようならだ……。
ローレリアンが、どうして真実を告げるられるだろう。モナが何度も危険な目に会うのは、自分のせいだなどと。
想いを断って、いよいよ口を開こうとする。けれども、そのとき。
「………!」
胃の腑のあたりに、じわりとわきあがる奇妙な感覚を覚えて、ローレリアンは言葉を飲みこんだ。
暴漢はなぜ、あそこまでモナを追いつめておきながら、手を引いてしまったのだ?
対抗勢力が集結するのをふせぐために、王子の政略結婚の相手を殺してしまおうと考えるような自分勝手なやつらなら、下町の住人を巻きぞえにすることくらい、なんでもないと考えるはずだ。かばう人間も、一緒に殺してしまえば済むことではないか。
―――― !!
あいつらは、わたしが誰なのか、知っていたということか?!
落ち着いて、よく考えろ。
宰相派の連中だったら、わたしの正体を知っているなら、迷わずあの場で、わたしのことも殺してしまったにちがいない。そのほうが、手っ取り早い。
ということは、この襲撃を仕組んだのは、わたしが誰かを知っていて、あえてモナだけを殺したい人間だ。
わたしがここで死んだら、自分に疑いがかかって、こまる人間か……?
それは、誰だ?
「ローレリアン?」
モナが、自分を抱きしめたまま石のように固まってしまったローレリアンを、不思議そうにみあげている。
ローレリアンの瞳は、恐ろしい真実を悟った恐怖で見開かれていたのだ。
わたしが立ち去ることで、本当にすべては終わるのか?
判断を誤れば、今度こそ彼女は……?!
激しい動揺のせいで、言葉を選べなかった。
今思っていることを、そのまま口にすれば、愛しい少女を傷つけると気づけぬほどに、ローレリアンは混乱していた。
「もう、わたしと、かかわりになってはいけない」
「えっ?」
「今度こそ、これで最後に」
「ローレリアン……!」
「さようなら、モナ」
まってとすがるモナの手を払って、ローレリアンは立ちあがった。
路地のむこうから子供達に先導されて、戸板をもった男達と、レオニシュ医師が駆けてくる。
「おい、おまえは大丈夫なのか?! ローレリアン」
「大丈夫です。アレンの傷も、そんなに深くはないですから」
「そりゃあ、なによりだが」
「よろしくお願いします」
「おい、どこへ行く?」
モナはぼうぜんと、その会話を聞いていた。
虚ろな目の先から、ローレリアンの後ろ姿が消えていく。
「なんだい、あいつ。どうしちゃったってぇのかね? 心配したのに」
ぼやきながらレオニシュ医師は、アレンの傷の具合を確かめた。
「よしよし、ちゃんと手当てしてある。すぐに診療所へつれていって、傷を縫い合わせてやるからな。 これがなあ、ちょいと痛いんだぜ。大の男でも、ぎゃあぎゃあ、わめきやがる。ローレリアンは暴れる男をおさえつける、名人なんだがな」
だから外見は青白いくせに腕力はあるのかと、アレンは思った。
なんだか面白くない。
すねたアレンは、「ふん!」とレオニシュ医師から視線をそらして、うろたえた。
アレンのそばにへたりこんだモナが、さっきよりひどく泣いていたのだ。
涙の量はものすごいのに、声も嗚咽もでないようで、ただとうとうと、悲しいと、宙を見つめるすみれの瞳が泣いている。
「モナさま、どうして?」
「さよならだって……。もう、かかわりになるなって……。そうだよね……。陰謀めいた権力闘争になんか、普通の人は、かかわりたくないよね……」
「あいつ、そんなこと!」
「ふえぇ……っ。
ちからいっぱい好きになって、ちからいっぱい失恋したっ!
馬鹿……みたい。
一生懸命やってるのに、どうしてやることなすこと……、ひとつも…うまくいかないのよぉ……!」
ひいひいと泣きじゃくるモナは、まるっきり子供のようだった。
アレンは、とほうにくれた。
モナの落とす涙がアレンの服に落ちて、しみを広げていく。
必死に、むなしい慰めだとわかっている言葉をくりだした。
「泣かないでください。頼みますから。
モナさまには、今にきっと、もっといい男が現われますよ。
絶対です!
この俺が、保証しますから!」
わめきながら、アレンは思った。
そうとも。こんなに一生懸命、自分の生き方を探しているモナさまが、幸せになれないはずがないじゃないかと。