正義と陰謀 … 4
ローレリアンには後見人の真意がわからないままだった。
年に一度、突然あらわれては様子を見て帰るだけだった彼女が、今回はどうしたわけか、アミテージに長期滞在している。そのうえ、しょっちゅうローレリアンをたずねてくるのだ。
たずねてくると彼女は、神学校の生活のこと、任地の希望、神官としての将来の抱負など、ありとあらゆることを聞きたがる。
相手の真意が読めない以上、ローレリアンは理想的な神学生を演じるしかない。
「どうして色々な学問をするのか」と問われたときには、「人々のあらゆる苦しみを理解して、なんとか助けの手をさしのべるためには、知識はいくらあっても邪魔になりません」などと答えた。そんな問答をくりかえしていたら、自分でも白々しくて、すっかり嫌気がさしてしまった。
ところが後見人は、それを聞いて目をうるませ、「あなたは、とても立派な考えを持っていらっしゃるのね。あなたのお母様も、とても優しい人でした。神官として人々につくそうとする今のあなたの姿をごらんになったら、きっとお母様も、お喜びになるにちがいありません。わたくしも、後ろ盾になったかいがあったというものです」と答えた。
不思議なのは、その言葉にだけは嘘を感じられなかったことだ。
他のすべては偽りだと、確信できるのに。
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「おい、ぼんやりするな! ちゃんと押さえとかんか!」
ローレリアンは、しかられて我に返った。
どうも最近、なにをやっても集中できないのだ。
腕に、あらためて力をこめる。
暴れる患者を押さえるには、コツがある。やみくもに押さえてもだめなのだ。関節をしっかりと固定して、動きを封じてやらなければならない。
だが、患者はあやまって石切道具で自分の太腿を切り裂いてしまった石工だ。すこしでも痛みが少なくてすむように、強い蒸留酒を飲ませてから傷を縫っているというのに、重い石をあつかって生計を立てている筋骨たくましい男は、ちっともおとなしくなんかしていなかった。まるで、手負いの熊と格闘しているようだ。
おかげで、レオニシュ医師の手元が狂わないように、助手が三人がかりで大汗をかいているというわけだ。
レオニシュが、あきれて言う。
「この親父、もともと大酒飲みなんだろうなあ。シャデラ酒を三杯ひっかけても、まだしらふなんだぜ!」
患者が怒鳴り返してきた。
「くそーっ! 薮医者ーっ! 覚えてやがれーっ! いつか、ぶっ殺してやるーっ!」
十分に、酔っ払っているようには見えるのだが。
「よし、終わった。もういいぞ」
血だらけの道具が投げおかれた。
「痛てえ、痛てえよぉ~、せんせ~」
「痛てえのは生きてる証拠だ。もうちょっとで太い血管を、スッパリやるところだったんだぜ? おまえさんの命までは取らなかった、道具の神様に感謝しとくんだな」
乱暴な言いようだが、レオニシュの顔は満足気に笑っていた。
下町で開業しているレオニシュのもとには、こうした怪我人が、たくさん運ばれてくる。手のほどこしようがない患者を、なすすべもなくこの治療台の上で死なせることも、しょっちゅうだ。患者が元気なのは、とても嬉しい。
レオニシュは古参の助手が石工に包帯をあてるのを見守ってから、次の患者を診察室へ入れるように言おうとした。
ところが、肝心の若手筆頭助手が、また、ぼんやりと立っている。猫の手も借りたいくらいに忙しいのに。
ため息が出た。
どうも、この不肖の弟子は、このごろ、なにか悩んでいるようなのだ。なにをさせても、陰気な顔ばかりしている。
ローレリアンは弟子入り志願で、ある日、突然、レオニシュ医師のもとへやってきた。
彼は、とにかく不思議な青年だった。
文字が読める人間なら、だれでも歓迎だと受け入れたら、いつのまにか研究室の一角を占領して、自分の勉強部屋にしてしまった。
なぜか、その図々しさに、腹は立たなかった。
知識欲に駆られて、息切れする寸前まで自分を追い込んでいる姿が、レオニシュ自身の若いころの姿に重なるのかもしれない。あるいは、流行り病で死なせてしまった、女房と息子達に重なるのか。
おかしなものだと、レオニシュは思う。
もし息子達が生きていたら、ちょうどこのくらいだという年頃の若者を見ると、自分はいつも、その若者の姿を目で追ってしまう。
「おい、リアン。ぼんやりするくらいなら、奥へひっこんでていいんだぜ?」
レオニシュは研究室にむかって顎をつきだした。
金色の髪の青年が、弾かれたように顔をあげる。
「すみません!」
むけられた淡い色の瞳には、可愛がってくれる師匠への、切ない思いが漂っている。青年のほうにも、「父親とは、こんな感じの人なのかな」という郷愁があるのだ。
ローレリアンの肩に、師匠の手がおかれる。
「このごろ、熱心だった学問所通いも、あまりしてないようじゃないか。ここにいる以外は、ほとんど子供達の所へ、いってるんだって?」
「不思議と、もうどうでも良くなってしまったんです」
「なにが」
「いぜんは、知らないことがあるのが、恐いような気がしていた。目が覚めているときは、とにかく勉強していないと不安だった」
レオニシュは笑った。
「そりゃ、めでたいじゃないか」
「は?」
「おまえ自身の心の中で、決着がついたってことじゃないのか? 自分は誰なのか知りたいって問題にさ。なんでも知りたいって気持ちの原動力は、やっぱり理屈より感情だったんだと、俺は思うがね」
「そんなの、とっくの昔に……、決着をつけて……」
「そうか?」
そうかと問われて、ローレリアンは黙りこんだ。
自分自身が、よくわからなくなっていた。
野心と、良心のあいだで、心が大きくゆらいでいる。
憎んでいる身内から、できうるかぎりの援助を引き出して、力を手に入れようという野心。なにしろ、相手は枢密院議長パヌラ公爵だ。
そして、そんなことは馬鹿げたことだと、正しい選択を迫る良心。
でも、正しい選択とはなんだ?
そもそも、与えられる地位を拒否して人々の中に入っていこうという考えだって、おおもとは今まで自分を苦しめてきた身内に、意趣返ししてやろうという発想が発端だ。
姑息な手段で手に入れた力でも、使い方を誤らなければ、それでいいのではないか。
男として生まれたからには、権力を手にして、世界を変えたいと思わないか?
その考えを捨てられなくて、後見人の前で理想の神学生を演じている自分が嫌いだ。
レオニシュ医師は、陽気に言った。
「おまえ、なにを悩んでいるのかは知らんが、おまえの将来は、けっこう薔薇色だぜ? なにをやっても食っていけるだけのものを、おまえは身につけているからな。
いっそ、神官になるのなんか辞めちまえ。
俺の跡を継ぐなんてのはどうだ?
なんでも、子供達の所にきてる可愛い娘と、楽しそうにやってるんだってな」
「……!」
絶句したローレリアンが照れたのだと誤解したレオニシュは容赦なかった。肘でローレリアンの脇腹をつついてくる。
「うりうり、どうなんだ。なんか言え」
「先生」
「おう」
「彼女は侯爵家の姫君です。ほら、いぜんご一緒した、ヴィダリア家の」
「……!」
レオニシュが絶句したところで、診療所へ子供が飛び込んできた。
「レオニシュ先生、助けて! ラッティが親方に殺されちゃうよ!」
めんくらったローレリアンとレオニシュは、お互いの顔を見た。
しかし、レオニッシュはすぐに気を取り直す。面倒事の始末は弟子の仕事なのだと、彼はいつも思っているのだ。
「殺されるとは、おだやかじゃねーな。俺は忙しいから、なんとかしてやれ」
「ちょっと、先生!」
弟子の抗議は、聞いてもらうことすらできない。
ローレリアンは蹴りだされるようにして、診療所から追い出されてしまった。