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すみれの瞳の姫君  作者: 小夜
第七章
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正義と陰謀 … 3

 それからしばらくのあいだ、時はおだやかにすぎていった。


 夏も盛りを越え、マイカの葉陰には朱色の宝石のような実が、たわわに実っている。


 街のあちこちで、マイカの木に登った子供達が騒いでいた。


 マイカの実は生ではかなり酸味が強くて酒の彩りくらいにしか使えないが、糖蜜と一緒に煮込んでやると冬中鮮やかな色とさわやかな風味を楽しめるので、この時期、木に登って実を取るのは子供達の最大の楽しみであり、大切な小遣い稼ぎにもなっていた。


 街の人々は静かに、終わる夏の名残をおしんでいる。


 ただ、領主カールス伯爵の所には、嬉しい実りの報せの代わりに、落ち着かない報せがやってきていた。


 伯爵は、考えれば考えるほど、気が変になりそうだった。


 自分は中央政界からは、離れた存在だったはずだ。アミテージは国境に近いとはいえ、港をもつ西部の街や、南の大国オランタルをうかがう難しい立場の街のように、問題を抱えたりはしていない。そこそこの広さの領地を平和に治めて、年に一度王都に上り、諸事を報告して租税を納め、陛下に労いのお言葉を頂戴する。自分は、その程度の平凡な領主であったはずなのだ。


 それなのに、なんで夏も終わろうかという今頃になって、政界の宿老と呼ばれるヴィダリア侯爵閣下と、枢密院議長であるパヌラ公爵閣下が、そろって避暑になど、やってくるのだろうか。どちらも老獪な人物と聞く。無理難題を突き付けられなければいいのだが……。






     **   **  **






 まずアミテージへ到着したのは、枢密院議長のパヌラ公爵閣下だった。


 パヌラ公爵がアミテージへ到着した翌日、カールス伯爵は市長をしたがえて公爵の私邸へ表敬訪問した。


 アミテージは古くから議会をもつ自治都市なので、市の行政は、ほぼ市長にまかされている。カールス伯爵が表敬訪問に市長を同行させたのは、無理難題を吹っかけられたときには、お互いに知恵を貸しあおうとの相談が、まとまっていたからだった。市長も、突然のお偉方の登場に、戦々兢々だったのである。


 ところが、でかけていってみると、パヌラ公爵はくつろいだ部屋着姿で現われて、


「そう固くなられるな。わたしは最近、老母をなくして、どうにも気分が沈みがちでな。少し旅行でもしてみようかと思って、アミテージへ来ただけだ。元気が出たら、また新たな気持ちで国王陛下にお仕えするべく王都にもどるゆえ、しばらく放っておいてくれ」


 と、のたまわった。


 一応、理屈は通っている。


「それならば、もっと風光明媚な土地へ旅行してくれればいいのに」と、伯爵がこっそりぼやくと、市長が小さな声で耳打ちしてくれた。


「公爵は、かなり昔ですが、こちらへご遊学あそばしたおりに、奥方様と出会われたらしいですぞ。大貴族には珍しい、恋愛結婚だったそうでございますよ。この街で、自身がお若かったころの思い出にでもひたるおつもりなのでしょう」


 市長とカールス伯爵は、うなずきあった。


 枢密院議長という国家の要職にある人でも、過去への感傷に浸りたい時があるものなのか。


 自分の親の死をきっかけに、おのれの老いにも気づく。それが人生というもの。


 しかし、気の毒なことだ。公爵は、きっと王都では、人に弱味を見せられないのだろう。


 カールス伯爵は、みょうに納得して、公爵邸を辞したのだった。






     **   **   **






 窓から客人を見送ったパヌラ公爵は、難しい顔で後ろへふりむいた。


 公爵の私室のソファーの上には、公爵の嫁いだ娘であるディセット伯爵夫人が、優雅な姿で座っている。


 娘は、媚びたような微笑を唇に浮かべながら、父公爵へいった。


「お父様が、みずから乗り込んでいらしたりなさるから、すっかり領主伯爵がおびえてしまわれたではありませぬか」


「そなたにまかせても、らちがあかぬゆえ。ヴィダリア侯爵が乗り気なうちに、すべての話を進めてしまわねば、機を逸するであろう」


「この問題は、なにかと微妙すぎますわ。本人にその気がありませぬのに、大役を無理に押しつけることもできますまい」


「そなたの説得が、まずいのではないか」


「とんでもございませんわ」


 ディセット伯爵夫人が扇を開くと、あたりには濃厚なバラの香りが満ちた。


 公爵は厳しい目で、自分の娘を見つめた。


 扇で表情をかくすのは、貴婦人があらゆる場面で見せるまやかしだ。時に男を誘う怪しげな流し目を引き立たせるために、時にたくらみの笑みをかくすために、扇は艶やかに、空気の裏と表を扇ぎ混ぜる。


「ローレリアンさまは、かの方によく似ていらして、優しい人間なのですわ。

 神々とともにお育ちになられたせいで、本心から人々の心の安寧のために尽くそうという、立派なお志をもっておいでになります。

 ですから、いきなり神官位を捨てて、本来の地位を回復するべく立ち上がれと言われましても、戸惑われるだけだと思いますのよ」


「それでは困るのだ。

 ローレリアンさまには、何が何でも、本来の地位へ返り咲いていただく。

 そのためだけに、わたしはヴィダリア侯爵へ下げたくもない頭を下げて、盟約を結んだのだからな」


「宰相派に、対抗なさるためですか」


「ローザニア王国のためだ!」


「そう叫んで、いったいどれだけの者が、枢密院議長パヌラ公爵に私心なしと、信じてくれるというのですか?

 はたから見れば、お父様がなさろうとしていらっしゃることは、単に王位にすえる傀儡を自分の息がかかった者にすり替えて、今の宰相が占めている地位を我がのものにしようとしているだけに見えるのです。


 まだ、さすがに、ローレリアンさまに直接害をなそうとする者は現れてはおりませんが。

 お父さまがヴィダリア侯爵との盟約を画策なさったとたんに、侯爵の令嬢が危うく命を落としそうになったそうですわね。


 つまり有力な大家の姫君の嫁入りさえ阻止すれば、ローレリアンさまを宰相一派への対抗の旗印として擁立することは難しくなるだろうと、考えている者がいるということでございましょう?


 さて、ヴィダリア侯爵家の姫君に刺客を放ったのは、いったい誰なのでございましょうね?」


 公爵は窓辺を離れて、伯爵夫人のもとへ歩みよった。


「それが不思議でならないのだよ、アランナ。

 ローレリアンさまの存在は、いまはまだ、後見人のそなたと、わしだけしか、知らぬはずではなかったのか? ローレリアンさまは赤子のときに、病死したことになっているのだからな」


 老公爵の瞳は年令のせいで濁りはじめており、灰色の怪しい光を放っている。


 じつの娘ですら、心から信じたりはしない。


 まず疑うことから、パヌラ公爵が上り詰めた道は、はじまったのだから。


 娘は動じることなく、その瞳を見つめ返した。


「かくしごとは、いつかは明るみに出るものでございますよ」


「ふん、まあいい。とにかく、ローレリアンさまには、わしが直接会ってみる。じゃまだてはすまいな?」


「よろしいように。今日の午後にでも、ご案内いたしましょう」


 伯爵夫人は、扇の陰で静かに微笑んだ。


 事を急がねばならぬ。


 てはずを整えるのだ。


 ローレリアンを殺めることはできない。


 公爵の言うとおり、まだローレリアンの存在は、世間に知られていないのだから。


 いま、ローレリアンが死ねば、真っ先に疑われるのはローレリアンの後見人で、もっともよく彼を知っている、このわたくし、ディセット伯爵夫人。


 それに……、アランナは従妹のエレーナと約束したのだ。


 手をあわせて「どうか、どうかローレリアンの行く末を、たのみます」という従妹に、心配しなくてよいと、約束した。


 ローレリアンの瞳の色は、本当に従妹と、よく似ている。


 ふと、伯爵夫人は我にかえって、首をふった。


 過去を懐かしむなんて、馬鹿げたことだ。


 今更、怖気づいてはいけない。


 息子アンリのためにも、ローレリアンのためにも、これが一番いい選択なのだ。


 アンリは次期ディセット伯爵として政界の要職につかせ、ローレリアンには大きな教区の神官長の地位を準備する。それですべては、丸く収まる。


 ローレリアンが本来得るべき地位を回復させてやる必要なんて、どこにある?


 そこそこの地位で、あの子はきっと満足するし、感謝もするだろう。


 エレーナへの義理だって、問題なくはたせる。


 だから、政略結婚の相手など、殺してしまえばいい。


 アランナの婚家ディセット伯爵家の経済事情は、夫が貿易船の投資に失敗したため、困窮を極めていた。


 父パヌラ公爵が直接アミテージへやってきたせいで、彼女は自分の息子のためなら陰謀のひとつやふたつ必ずやり遂げてみせようと、ふたたび決意を新たにしたのである。



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