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すみれの瞳の姫君  作者: 小夜
第七章
18/40

正義と陰謀 … 1


 時はいくらか、前にもどる。


 モナが屋敷をぬけだして、ローレリアンと昼食を共にしてから、帰宅した時間へ。


 その日、モナの不在に気づいたヴィダリア侯爵邸で、騒ぎがおこっていないわけはなかった。


 下町からの帰り道、モナの後ろを歩きながら、アレンは「学問所からの帰り道でモナ様と偶然出会った」などという白々しい嘘が、はたして大人たちへ通用するものだろうかと、頭を悩ませていた。


 嘘がばれたら、今度こそ、鞭打ちくらいの罰では済まないだろう。


 下手したら、故郷の村へ追い返されてしまうかもしれない。


 頑固な父親の怒った顔が目に浮かぶ。それだけは何としても、避けたいものだ。父親はアレンの騎士修行のささやかな支度をしてくれるために、大切な牛を一頭、売ってくれたのだから。


 あと100モーブほどで侯爵邸にたどりつく。


 アレンは何度目かの、深いため息をついた。


 不意に、モナが振り返った。


「あんた、ちょっとそこらで、ヒマを潰していらっしゃい。そうね、十分かそこら?

 それから見習いの小僧らしく、裏口から帰ってくるのよ? いいこと?」


「は? あの……」


 ぼうぜんとするアレンをその場に残すと、モナは誇らしげに頭をもたげて、じつに堂々と足を運び、あっというまに侯爵邸の正面玄関へ入っていってしまった。


「うっわぁ……!」


 アレンは、ひとりその場で、あっけに取られるばかりである。


 なんだか良くわからないけれど、モナさまは自分をかばってくれるつもりらしい。


 それにしても、あの、堂々とした態度。


 きっと、シャフレ夫人やアストゥール卿を相手に、自分の主張を正面きってぶちまけるつもりなのだろう。


 こらえ切れない笑みがわきあがった。


 モナは必ず、自分の思う通りにするに違いない。


 大人達の、こまりきった顔が目に浮かぶ。


 緑の羽根つき帽を、アレンは「よっしゃー!」と、空にほうり投げた。


 落ちてくる帽子を受けとめて、しげしげとながめたあと、真鍮のイニシャルを袖口で研く。


 どうしても顔が、にやついてしまう。


 そのあと、モナに言いつけられたとおり物陰で10分ほど暇をつぶしてから、アレンはやっとの思いでにやけ顔を引っこめて、勝手口から侯爵邸へ帰宅した。


 勝手口に責任者の将校はいなかった。


 きっと、呼び出されて上司の所だろう。彼らが、どういう話し合いをしているのかは知らないが。


 とりあえず、学問所に通わせてもらう礼と、無事に初日をすごせましたという挨拶を、アストゥール卿にするのが世間の常識というものだろう。


 そう考えてアストゥールの居室の前にいくと、内部からかなり激しい調子の言い争いの声が聞こえた。


 あとで出なおそうかと思って帰りかけたところで、ドアが勢い良く開いた。


 出てきたのはモナだった。


 アレンを認めると、「ふふっ」と笑って、勝利宣言である。


 その意気揚揚とした後ろ姿に見惚れていたら、開け放ったドアの中から声がかかった。


 モナは侯爵家の姫君である。本来、姫君は、自分でドアの開け閉めなどしない。それは常に、あとをついて歩く、お付きの人間の仕事である。


 もっとも、モナはお付きなどつれ歩かない型破りな姫君なので、ドアは自分で開けている。だが、開けたドアをしょっちゅう閉め忘れるところが、やっぱりお姫さまなのだ。


「アレンか?」


「あ、はい」


 アレンはあわてて、開け放たれたドアのむこうにいるアストゥールにむかって、一礼した。


「ちょうど良い。入りなさい」


 恐縮して部屋に入る。アレンにとってアストゥールは、侯爵に次ぐ最高上司である。


 アストゥールのベッドのそばには、シャフレ夫人と侯爵邸の家令がすわっていた。


 アレンは、おおいに大人達へ同情した。


 苦悩ぶりは三人三様だったが、みな重苦しく考え込んでいる。シャフレ夫人などは、ガンガンと頭の中に響く搏動痛があるのだといいながら、濡らしたハンカチで、こめかみをしきりに撫でまわしていた。


 積みあげたクッションの上に半身をもたれさせたアストゥールの様子は痛々しかった。失った右の眼は、まだ顔の半分を覆いつくす包帯の下だ。


 けれど、残された左の眼の光に、弱々しさは微塵もない。その眼は、真っすぐにアレンを見つめてくる。


「アレン・デュカレット。悪いがな、学問所通いは、しばらく見合わせてくれ」


「はい。わかりました」


 アレンが特に「なぜ?」と聞き返すこともなく承諾したので、大人達は顔を見合わせた。


「どうしてと、聞かないのか」


「俺は代々侯爵家にお仕えしてきたデュカレット家の息子です。侯爵家に対する恩義を忘れてはならないと、父には厳しく言われて育ちました。いつでも命じられた任務は、最優先でこなす覚悟です」


 アストゥールは微笑した。


 アレンの父親は、この三男坊は出来がいいから、立派な軍人になれるように取り計らってほしいと、侯爵のもとへ預けたのだ。


「おまえは、昔気質だな」


「田舎者ですから」


 生真面目な少年の瞳が、アストゥールを見つめ返している。


「おまえに頼みたいのは、モナさまの側仕えだ。幸い、お前はモナさまに気に入られている。いちいちつきまとっても、煩がりはなさるまい。

 あの姫さまが、いつまでも大人しくしていて下さるとは、わたしも思ってはいなかったが。どういう風の吹き回しか、下町の孤児の世話をすると、言いだされた。

 時々思い出したように孤児院の慰問をするだけでは、貴婦人の義務は果たされないというお考えはご立派だが、どこまで本気なのやら」


「モナさまは、一生懸命ですよ。ご自分には、今、何ができるのか、いつもそれを考えていらっしゃるだけです」


 アストゥールは驚いた。


 たった15才の少年が、アストゥール達がこまりながらも頼もしく思っている、姫君の本質を言い当てたのだから。


 アレンの瞳の輝きには汚れがない。曇りのない目には、真実が見えるのだろうか。


 純粋な心に宿る十代の正義感は、真っすぐすぎて痛々しように、アストゥールには思えた。


 やましい気持ちで、胸が塞がる。自分は少年の正義感につけこんで、理不尽なことを命じようとしていると、わかっているからだ。


 だが、これはどうしても、必要なことなのだ。


「わかっているな、アレン」


 少年は黙ってうなずいた。


「何度も言うが、いつもモナさまの側にいろということは、いざとなったら盾になってでもモナさまを守れということだ。

 モナさまはいずれ、ローザニア王国の要職につく方に嫁がれる女性だ。モナさまが築かれる絆が、王国を守る力になる。

 貴族達は、複雑にからむ血縁で、たがいの力の均衡をたもって、王家を頂点に国を守ってきたのだ。

 もし、何かあったときには、モナさまを無事にお逃がしすることを一番に考えろ。

 いいな」


「承知しました」


 アストゥールは枕元に置いてあった一枚の書類を取りあげた。


「今日から正式に騎士見習いを命じる。身分は、わたし、アストゥール・ハウエル卿直属の見習いだ。心して勤めるように」


 腰をかがめて辞令を受け取りながら、アレンは嬉しさにゆるむ口を必死に引きしめた。


 ヴィダリア侯爵の片腕として名高い名剣士の見習いになれるなどとは、夢にも思っていなかった。せいぜい侯爵が持つ騎士団の使い走りをしながら、騎士の作法などを勉強させてもらえる程度だと。


 そうやって軍人としての素養を研いたあと、国王陛下のもとに出仕するのが、ローザニアにおける一般的な士官コースなのだ。


 それが、どうだ!


 直属の見習いということは、騎士になれるまで、その上司がきっちりと面倒を見てくれるという意味なのだ。のちのち上司の威光が出世のぐあいにも影響していくのだから、これは大変な名誉だった。


 アストゥールが、にやりと笑った。


「直接見習いの面倒を見るなんざ、俺も十年ぶりだ。せいぜい可愛がってやるからな。

 それではさっそく、今夜から勉強だ。学問所通いが出来なくなったから、歴史だ数学だは、俺が教えてやる」


 家令が、ふうと、ため息をついた。


「では、外国語は、わたくしめが。それがせめてもの詫び。

 かわいそうに。たった15で、あの姫君さまにお仕えしろとは……」


 シャフレ夫人が、しかめっ面で同意した。


「まったく、命がいくらあっても足りませんよ。

 アレン、朝はわたくしの所へいらっしゃい。礼儀作法の勉強のめんどうは、わたくしが見てあげます」


 下げた頭が上げられなくなった。


 名教師達の申し出はありがたすぎて、アレンは吹き出す冷汗で溺れそうだったのだ。



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