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すみれの瞳の姫君  作者: 小夜
第六章
16/40

下町の人々 … 2


 下町の診療所で、とうとうローレリアンを見つけてからというもの、モナとアレンは派手な言い争いをつづけっぱなしだった。


「だから、いったい、どうやってお屋敷をぬけだしてきたんですかって、聞いてるんですよっ?!」


「ないしょ。簡単だったも~ん。しつこいわねえ、アレンは」


 雨樋を伝ったときにできたスカートの鉤裂きを、アレンには見られないように、こっそりと襞の中にかくすモナである。屋根を伝って、ああして、こうしてと、お転婆ぶりをローレリアンの前で披露するつもりはないのだ。


「あんたこそ、学問所へ行ったんじゃなかったの? どうしてこんな所で油を売ってるのよ」


「それはあ――」


 モナのために一肌ぬごうと思っていたなんて、悔しくて言えるものか。


 アレンの気持ちなど察しようともしないお姫さまは、しれっと言う。


「いいこと? わたしがここへ来たことを、ばあやに密告なんかしたら、あんたが学問所へ行かずに下町をうろついていたことも、アストゥールに告げ口してやるからね!」


「~~~~~~!」


 だれのせいでこうなったんだと喉元まででかかったけれども、プライドが辛うじて、アレンの口をつぐませた。


 その二人の前で、ローレリアンが笑いだす。えんえんと続くやりとりに、耐え切れなくなった両肩が震えている。


「たのみますから、泣きながら喧嘩するのは、やめてくれませんか。もう、おかしくて……」


 牛の足をかかえたローレリアンについてきた二人は、ぼんやり見ているのもマヌケだからと、彼の仕事を手伝いはじめていたのだ。


 下町の外れの、城壁に近い、もっとも貧しい人々が住んでいる地区にある掘っ立て小屋で、彼らは玉ネギをきざんでいたのである。


 当然、涙が出る。


 鼻水をすすりながらモナが言う。


「ローレリアンは涙が出ないのね」


「こういうのは、なれです」


 たしかに、現物そのものという形だった牛の足を煮物用に切り分けていくローレリアンの手つきは手慣れていた。


 肉を切る作業がおわると、きざんだ玉ネギと肉を大きな鍋で炒め、水を注ぎいれ、浮き上がってくる灰汁をすくい取る。


 しばらく火の加減を見ながら鍋の中身を煮込んでやると、あたりにはいい匂いが漂いはじめた。


「わあ、兄ちゃんが来てたのかぁ。今日は先生が当番だから、パンとお茶だけだと思ってた。すっげー、いい匂いじゃん! 肉、もってきたの!?」


 10才くらいの少年が、小屋に駆けこんでくるなり大騒ぎした。


 ローレリアンは、彼をたしなめる。


「ラッティ、ごあいさつ」


 薄汚れた少年は、ぺこりと頭を下げた。


「こんにちは」


「こんにちは、ラッティ」


 モナがあいさつを返すと、少年は照れた風にローレリアンの陰にかくれた。この界隈では、きちんとした勤め先を持った小間使いに見える女の人は、偉い人の部類に入るからだ。


「リアン兄ちゃん、綺麗な姉ちゃんだね。ご馳走もってきてくれたの、この姉ちゃん?」


「ちがうよ。レオニシュ先生。会った時に、お礼を言っとくんだよ」


「うん」


 そうこうするうちに、子供の数は増えていった。


 上は12、3歳くらいから、下は4、5歳くらいまで。総勢30人はいるだろうか。 


 ひとりの子供が持ちこんだ市場では捨てられるようなレタスの外葉がきざまれて、鍋にくわえられ、牛肉のスープに彩りをそえた。


 その子は市場で一日働いて、屑野菜をもらって病身の母親を養っているのだと言った。


 ここに持ちこむと、野菜をパンと替えてもらえるから助かるんだ――とも。


 モナには食欲が無かった。


 ローレリアンが作ったスープは、肉が沢山入っていて玉ネギの旨味も十分に出ていたが、味付けは単純に塩だけだったのだ。モナが普段食べなれている料理のように、香料や酒の旨味はくわえられていない。


 そのうえ、狭い掘っ立て小屋に子供たちが満員になると、汗と垢と排泄物の匂いがあたりに充満した。


 夏なのだ。


 自分の汗の湿り気に、いやな匂いがからみつくような不快感がある。


「姉ちゃんは、リアン兄ちゃんの友達?」


 人懐っこい笑顔で笑いかけながらたずねられたというのに、モナはあいまいに笑って、思わず身を引いてしまった。


 モナのとなりにすわっているその子の髪の分け目には、はっきりと虱がうごめいているのが、見下ろせたのだ。 


 アレンは虱がたかっている子供くらい平気だった。


 村の寺子屋で取っ組み合って遊んでいた友人から、蚤をもらって帰ったことだってある田舎育ちだからだ。


 くったくなく粗食を楽しみ、子供たちから「本物の剣をもった騎士さんだ!」などと言われて、気を良くして田舎の山の話などをしている。


 モナには、それが、うらやましく見えてならなかった。せめて自分もひるむことなく、会話くらいできればいいのにと思う。


 子供たちに給仕をしてやりながら、ローレリアンが、こちらを見ている。


 彼の瞳には、モナを責めるような色はなかった。


 ただ、瞳は語っていた。


 あなたとわたしは、住む世界が違うのだと。


「あの子供たちは、いわゆる路上生活者です。

 親がいなかったり、あまりの貧しさに家に居場所が無かったり、酒びたりの親の暴力から逃げていたり、事情は色々です。

 この小屋は、せめてあの子たちが犯罪へ走らずにすむようにと、下町でも比較的地位のある仕事についているレオニシュ先生のような人たちが、一日一回の食事と、雨をしのげる屋根を提供している場所なんです。

 あの子たちは、飢えれば盗みます。

 あの子たちも、それが悪いことだとは知っているけれど、生きていくためには、どうしようもないんです。

 食事を与えるだけでは、根本的な問題解決にはならない。

 でも、先生方には、これが精一杯です」


 後片付けをしながら、モナとアレンは、ローレリアンから事情を説明された。


 しゃくぜんとしなかった。


「アミテージにも孤児院や救貧院はあるはずじゃないの?」


「神殿が運営しているそういう施設にはね、代々アミテージに住んでいた住民だと、証明出来ないと入れないのです。もともと助け合いの精神で作られた施設で、住民が収めた税金と寄付金で運営されているものですからね。

 よそ者は税金も寄付金も払っていません。それで援助だけ受けようなんて、虫がいいという考えです。

 ところが、社会の最底辺で苦しんでいるのは、仕事を失って都市に流れてくる人たちでね。

 下町の貧しい地区に住んでいる人で、何代も前からアミテージに住んでいるという人は、じつはほとんどいないのですよ。

 大きな町は、どこでも同じです」


「ローレリアンさんは、そういう困っている人たちを助けたいから、神官になるんですね」


 アレンが納得したと、うなずいた。


「偉いですねえ。

 たしかに、そういう人たちには、何でもできる神官さまが、いちばん頼りになる存在だ。医者にかかるにも、法律の相談をするにも、とにかく金がかかる世の中です。

 俺、なんか、あなたのことを誤解してたみたいで、申し訳なかったなあ」


「誤解?」


 モナはまぶしげに、とまどったローレリアンを見あげた。


「アレンたら、ローレリアンは、お金で地位を買うことができる人だって言うんです。きっと、偉い神官さまになるって」


「だからあ、誤解してましたって、謝ってるでしょ。

 モナさまはねえ、俺がそう言ったら、怒って口をきいてくれなくなっちゃったんだから」


「わたしは、ローレリアンを信じていたんだもの!」


 きっぱりとしたモナの口調を受けて、ローレリアンは苦笑した。


「わたしは、そんな、立派な人間じゃありませんよ」


「いいえ、立派よ。わたしも何か、お手伝いができればいいんだけれど。そうだわ」


 モナは首からさげていた金の鎖をはずした。


 母親の肖像の細密画がはめこんであるロケットの部分だけをとってポケットに収めると、鎖をさしだす。


「これ、パンにかえて、一日一回といわず、もっとあの子たちに食べさせてあげて。この小屋も、もうすこし、なんとかしてあげたいし」


 ローレリアンは、じっと、さしだされた金の鎖を見つめた。


「それは受け取れません」


 モナのすみれ色の瞳がくもる。


「どうして?」


「一時的な思いつきの寄付など、ここには迷惑なだけです。

 レオニシュ先生たちは見返りなど期待せずに、善意だけでこの仕事をやっている。

 終わりが見えない地道な仕事は、辛いものですよ。

 有力なスポンサーが現われたとなったら、手を引きたい人も出てくるでしょう。

 それでは、困るのです。

 ここに必要なのは、時々思いついて金を出す人ではなくて、子供たちを心から心配して、継続して働く人なのです。

 それにね、本当に必要なのは、金ではなく、ここの子供たちに生きていく力を身につけさせてやることですよ。

 彼らは彼らなりに、足りない分をなんとかしようと頑張っています。靴磨きをしたり、洗濯屋の下働きをしたりしてね。

 仕事のない子供には、仲間が手を貸してやったりもしているようですよ」


 しゃべりながらローレリアンは、洗いおえた鍋を水切り棚にふせた。


 そのあと、汚れた水を外の排水溝まで捨てにいって、残った水で桶とたわしを洗い清める。


「さあ、すみました。

 わたしは神学校へ帰ります。

 今日は夕方から下級生の祈祷書朗読を聴いてやらなければならないので」


 そして、アレンにむかって言う。


「帰り道は、わかりますね?」


「はい」


「では、さようなら」


 アレンはモナがまた泣くのではないかと、気が気ではなかった。


 だが、金の鎖を握りしめたまま、モナは何も言わずにローレリアンを見送った。


 ローレリアンが道の角を曲がって見えなくなると、モナは小さくつぶやいた。


「また、馬鹿な小娘だと……、思われちゃった」


 つぶやき声には、こらえた涙の気配がある。


 アレンは必死で言い返す。


「ああいう現場の事情というものは、俺だって、今日初めて知りました。モナさまが知らなかったからって、しかたがないじゃないですか」


「そうよね。それに馬鹿は馬鹿なりに、学ぶものよ!」


「はあっ?」


 モナが雄々しく頭をもたげたもので、アレンは嫌な予感にとらわれた。


 俺は明日から、学問所に――――!


「負けないもん!

 ローレリアンの言うことは、よく分かった。

 なら、どうすればいいのか、一生懸命考えるもの!」


「あああああ……」


 頭を抱えてその場にうずくまったアレンは、モナから叱られた。


「なによっ! 言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ!」


 言ったら、3倍返しで怒るくせに……。


 少年は半泣きで、黙り込む。


 アレンの災難は、まだまだ当分のあいだ、つづきそうな気配であった。




シラミ:人や動物の体に寄生して血を吸う小さな昆虫。人の頭髪に好んでつく毛虱は、現代でも不潔な環境や集団生活の場でよく発見される。


ノミ:現代ではさすがに、ノミもちの日本人はいなくなりましたな…w

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