社交サロン … 2
東屋は市長公邸の中庭の木陰にあった。
土地が貴重な城塞都市において、中庭をもつことは富の象徴である。アミテージをふくむこの地方一帯を領有しているカールス伯爵は、もっと北に城を構えているので、東国からの使者をもてなすこともある市長公邸の庭は城壁の中では一番立派な庭だった。
東屋に影を落とす木はマイカだった。すっかり花の盛りは終わっており、葉陰には花の萼だけが微風にゆれていた。
白く乾いた花びらが、東国の大使から贈られたというアラベスク模様の艶やかなタイルのうえに、絨毯のようにつもっている。まるで木の下の東屋を美しく際立たせるために、わざわざ花びらをまいたように見える。
モナを東屋のベンチにすわらせた神学生は、柱にもたれて話しはじめた。
「わたしはイヴリー・プレセントと申します。そこそこの家格の貴族の息子ですが、よくある話で、家督は長男が継ぎました。
わたしのすぐ上の兄は軍人になりまして、陛下の一軍を預かって、騎士を名乗っております。
わたしは武術より学問のほうが得意ですので、神職で身を立てようかと思っているわけです」
「ご立派ですわ」
いちおうは人垣のなかからつれだしてくれた恩がある。モナは愛想笑いで答えた。
イヴリーは額に落ちかかった髪をかきあげた。アレンと同じ濃い茶色の髪と瞳の持ち主なのに、素朴さとは無縁だ。ちょっと気障が鼻につく男である。
「とんでもない」
ふっと、彼の鼻から息がぬけていく。
「他に家名を守る手段がないからですよ。
わたしには、まだ現世に対する未練がある。
あなたのように魅力的な女性を目の前にしたら、どうしても決心が鈍ります」
イヴリーが、にじりよってきた。
いつのまにか、真正面からモナを見下ろしている。
この男、女をあつかい慣れている。ドレスアップした貴婦人を一度すわらせてしまったら、自分が手を貸さないかぎり立ちあがれないことを、熟知しているのだ。
「モナさま。わたしを、あなたの崇拝者のひとりに、くわえていただけますか」
甘ったるい口調だ。
崇拝者のひとりに、などという、控えめな口説き文句。
花びらがしきつめられた異国風の中庭で。
じっと見つめてくる、男の瞳……。
深窓の令嬢なら、舞い上がって心臓が爆発しそうになるくらいロマンチックな演出だった。
だが、モナは深窓の令嬢ではなかった。
おまけに神学生の制服には、格別の思い入れがあるのだ。
誠実だったローレリアン。
彼と同じ服装で女を口説く男がいるなんて、もう、それだけで許せない!
モナの腸は、ふつふつと煮えたぎった。
だいたい、このサロンに集まっている人達は、何をしているの?!
みんな、アミテージへ遊学にきている、貴族や豪商の家の、お嬢さま、お坊っちゃまよね?
遊学って、住み慣れた土地から離れて、見聞を広める旅にでることをいうんじゃないの?!
固くなった表情の裏でモナが怒り狂っていたら、また知らない男が声をかけてくる。
「イヴリー殿。ぬけがけはいけませんな」
イヴリーの後ろには、さらに二人の神学生が立っていた。
どちらも仕立てのいい制服を着ており、どこか驕慢な雰囲気をにじませている。自己紹介されるまでもない。彼らは苦労知らずで育った、貴族階級の人間だ。
どうやら神学生のなかにも、出身家庭によって、恵まれた境遇の者と、そうでない者がいるようだ。先日、モナが足を引っ掛けて葡萄酒まみれにしてしまった学生などは、苦学生の部類かもしれない。
すこし、苦学生さんに、悪いことをしたかなという気持ちになった。今、モナの目の前にいるような気取った連中のなかで、何も持たない学生が自分を守ろうと思ったら、物に執着して卑屈にならざるをえないことも、きっとあるのだろう。
「×××です。お見知りおきを」
「×××です。ごきげんよう」
それぞれが淑女への礼をもって、モナの手の甲に口づけを捧げてくる。
名前など記憶に残らなかった。
ただ、相手の髪から香水の香りを嗅ぎ取って、不愉快になっただけだ。
神学生というものは、勉学にいそしみ、時間が空けば神殿の用をはたしたり、奉仕活動に汗したりする人であるはずだ。どうしてそういう人が、社交サロンに出入りしたりしているのだろうか。
** ** **
アレンが水のグラスをもって中庭へでていくと、東屋では面白い光景がくりひろげられていた。
三人の神学生が真ん中にすわったモナのご機嫌をかわるがわる取っているのだが、彼女の応対が、ことごとく意地悪なのだ。
優雅に女性の曲線の美しさを讃えた三行詩の講釈をしながらモナの肩にふれようとした学生は、「あら、失礼。羽虫でも止まったのかと思いました」と扇で手の甲をぴしゃりとやられていたし、「美しい髪ですね」といいながらモナの頭にほほをよせた学生は、「何かおっしゃった?」とふりむきざまに、髪に刺さった簪で顔をひっかかれていた。
もちろん、わざとだ。
しかも、間合いは絶妙である。
モナは大の男を相手にして、六人連続で剣の切っ先を喉元へ突き付けられる反射神経の持ち主なのだ。空間を髪の毛一本の距離まで細やかに認識できる力は、ドレスを着た今でも健在だった。
不謹慎にもアレンは、モナが綺麗だと思ってしまった。
普段はわがままな跳ねっ返りで美人だなどと思ったことはないが、夏用の薄い絹を重ねた純白のドレスをまとって、まっすぐに背筋をのばし、紫色の瞳を強く光らせ、やさ男にけんつくを食わせる姿は、やたらと凛々しく輝いて見える。
しばらく、やさ男達がやられまくるのを観賞して楽しんだ。
モナがどんどん不機嫌になっていくのが手に取るようにわかったけれど、アレンにしてみれば、自分だけ体罰をくらった恨みの、いい腹いせである。
いよいよモナの不機嫌が頂点に達した頃合を見きわめてから、やっと、お小姓アレンは東屋へ入っていった。
「遅いじゃないの!」と、いきなりしかりつけられる。
アレンは、すまして答えた。
「申し訳ございません。冷たいものをさしあげようと思って、遠くの井戸から、くみたての水をもらってまいりましたので」
せいぜいレースだらけのお小姓の衣裳にふさわしい慇懃さで、グラスをさしだしてやる。
この総絹のブラウスに赤いチョッキと七分丈のズボンという衣裳を着せられるとき、アレンは相当抵抗したのだ。
だが、モナだけでなく、侍女達にまで面白がられて、いいように遊ばれてしまった。
アレンからグラスを受け取って水に口をつけたモナは、爆発寸前という顔つきになった。
アレンが隠れていた物陰は日なただったので、水がかなりぬるくなっていたのだろうと思う。
大嘘つきのお小姓アレンは、にやにや笑ってしまう。
ずいぶん長いこと物陰から、モナがうんざりしている様子を観察していたことがばれてしまったけれど、ざまあみろとしか思えなかったから。
グラスをはべらせた神学生のひとりに手渡すと、モナはアレンをにらみつけた。
「もう疲れたから帰ります!」
「はい」
今度はスムーズに、助けの手がさしだされる。田舎少年だって、経験から学習するのだ。
しかし、さしだされたアレンの手は、モナの扇で、ぴしゃりとたたかれた。
モナはそのまま、すくりと立ちあがる。
衣裳にしめつけられて背中や腹の筋肉はほとんど使えないから、ふとももの表側の筋肉の力だけで、上半身とドレスの重みを支えたことになる。驚異の筋力である。
あっけにとられた男達の前を、モナはスカートをひるがえして颯爽とゆく。
アレンは思わず吹き出した。
モナがすわっていたベンチの下には、繊細な細工がほどこされた貴婦人の靴が、脱ぎ捨てられて、ころりと、転がっていた。
靴とモナの後ろ姿を見くらべる神学生達の、何とも言いがたい表情ときたら……。
アレンは靴をひろって、笑いながらモナのあとを追いかけた。