社交サロン … 1
そりゃね、外出の理由を説明できなくて、退屈していたのだろうと決めつけられたのにうなずいたのは、確かに、わたしよ? ちょっと、ばあやに悪かったかなー、なんて思ったから、そのあとも言われるままに、うん、うんと、うなずいちゃったんだわ。
だけど、それがなぜ、どうして、こういう状況に発展するの?
モナは、一生懸命、考えていた。
自分の身に襲いかかっている、強烈な不快感に顔をしかめながら。
シャフレ夫人の手によって結い上げられた頭は、髪が引きつれて、あちこち痛かった。
昨日の夜から、オイルマッサージだ、胡瓜のパックだと、さんざんいじり回されたあげくに、皮をもう一枚かぶった感触の化粧は、気持ち悪い以外のなにものでもない。
大人とほぼ同じようなデザインに仕上げられたドレスは、胸まで締めつける。
椅子にすわると腹圧を逃がしようがなくて、息をするためには上半身をぴったり90度に保たなければならない。それ以外の姿勢では、息が吸えないのだ。
これが、貴婦人がいつまでも優雅な姿勢で椅子にすわっていられる秘密の種明かしだった。優雅な姿の裏には、呼吸にすら難儀する拷問ドレスを着る苦労があったのである。
「モナさまは、普段は男装の麗人と、うかがっておりますのに」
「ぜひ、その麗しいお姿も拝見したいですわ」
モナの両隣にすわった令嬢達が、にこやかに話しかけてくる。
彼女達のいでたちも、この部屋の麗しい雰囲気に負けない華やかなものだ。椅子やソファーのあいだに置かれた小テーブルの上に、贅をこらして生け込まれた花々も霞もうという風情である。
ここはアミテージの市長夫人が主催しているサロンで、いわゆる貴族階級の社交場なのだ。交易都市として富み栄えるアミテージには、商人達を主な構成員とした議会が存在し、街の政治は、この議会と一帯の草原を領有するカールス伯爵との合議で進められている。市長はいわば商業都市としてのアミテージの顔で、一種の名誉職でもあるから、商人たちはアミテージの威信にかけて、市長公邸を豪奢に飾り立てるのである。
シャフレ夫人は、いい気晴らしになるはずだし、ここなら安全だから毎日だって行ってよいと、モナを送り出してくれた。
けれど、こんな社交場、一回見ればたくさんだとモナは思った。
平日の昼間から、酒と、ゲームと、くだらない雑談。
みんな退屈しているらしく、噂のヴィダリア侯爵令嬢が現われたというので、モナは大勢の人間からひっきりなしに話しかけられて、見せ物状態になってしまったのである。
でかける支度に半日かけて、こんなところで午後いっぱいおしゃべりをしてすごして、いったい何を得るというのよ。時間とお金の無駄遣いだわ。
顔をしかめてしまいそうになるのをこらえるモナに、今度は青年達が話しかけてきた。
「いえいえ。私どもは、今のお美しいモナさまにお目にかかれて、嬉しく思っておりますよ」
「噂どおり、春の草原に咲く匂いスミレと同じ色の瞳を、おもちですね」
気障な男がモナの手をすくい、口づけた。
モナの全身に鳥肌が立った。
手袋をしていてよかった。
でなければ、まちがいなく、相手の男の横面を張ってしまっていただろう。
か細い声で、モナは連れを呼ぶ。
「……アレン」
「はい、モナさま」
「わるいけど、お水をもらってきてちょうだい」
本当に気分が悪かった。
心配そうにモナの顔をのぞきこんだアレンが言った。
「お顔の色が悪いですよ。すこし風にでも、あたられたらどうですか」
願ってもない申し出だ。
モナはアレンに手を差し出した。
しかし、今まで姫さまにそんなことをされたことがない少年は、きょとんと目を丸くしただけだった。
モナは舌打ちしたい気分だった。
今まで貴婦人達が立ちあがるときに男の手を借りるのを見ては、なにを気取っているのよと思っていたけれど、この拷問ドレスを着ていると、確かにだれかの手を借りないと椅子から立ちあがることすらできないのだ。
「お小姓は気がききませんな」
モナの手を取って立ちあがるのを手伝ってくれたのは、見覚えのある神学生の灰色の制服を身にまとった青年だった。
その制服を見ただけで、モナの胸はしめつけられた。
服の上に金色の髪を探したけれど、相手の髪の色は濃い茶色だ。ローザニアでは一番、平凡な色である。
「モナさまは市長夫人のサロンにおいでになるのは初めてでしょう? 中庭に涼しい東屋がありますよ。ご案内いたしましょう」
相手の男の申し出に対して、結構ですとは言えなかった。
立ちあがるのと同様、華奢なヒールの靴をはいた足で、この大きく膨らんだスカートをひきずって歩くのは、ひとりでは無理だ。
男に手を取られて腰を支えられながら歩くなんて屈辱以外のなにものでもないけれど、よろめいて笑い者になるのは、もっとモナのプライドが許さなかった。
だから小姓の格好をさせたアレンを連れてきたというのに、朴訥な田舎少年は、まったく役に立たないのだ。
いや、ちがう。
役に立たないどころか、神学生の青年から、厄介払いの命令を受けている始末。
「坊や、水を取っておいで」
「は、はい」
ちょっとまちなさいよと声をかけようとしたけれど、人の言葉の裏の意味など深く考えない少年は、とっとと水を取りに行ってしまう。
もちろん彼は彼なりに、モナの心配をしてくれているのだ。
姫さまは具合が悪そうだから、何かをしてやらなければと思って。
しかし、なのである。
――ああ、もう、馬鹿!
バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、アレンの大馬鹿!
モナの怒りの矛先は、どうしても可哀相な少年へとむかう。
アレンの気のきかなさを責めるのは、酷というものである。
田舎の貧乏豪族の生活というものは、村長の生活に武人の生活のエッセンスが、ちょっぴりくわわったくらいのレベルだ。普段はみずからもヴィダリア侯爵家の直轄地を耕し、小作を働かせ、一族を養って暮らしている。そのうえで、ひとたび戦となれば馳せ参じる。いわば、家臣の末席にある人間なのである。
アレンは、まき割りや牛追いなら得意だ。剣も、武人の父親に幼いころから仕込まれているので、かなり自信がある。
でも、アミテージのような大きな町の市長夫人の社交サロンで望まれる振る舞いなど、彼には、さっぱりわからないのである。
それに、鞭打たれたあとの青痣が熱をもっていて、アレンの思考を、さらに鈍くしている。
なるべく意識しないようにしてはいるが、痛くて椅子にすわれないし、気がつくと、なんとなく前かがみになってしまっている。老人のように腰を折って壁やらテーブルにすがってしまっていることに、日に何度となく気がつく瞬間の気まずさときたら、自分でもかなり情けないと思うアレンである。