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すみれの瞳の姫君  作者: 小夜
第四章
11/40

尋ね人 … 3

登場人物が暴力を受けるシーンがあります。18世紀末~19世紀初頭くらいをイメージしている架空時代小説ですので、当時の倫理観を反映したレベルだと思いますが、苦手な方はご注意ください。

 ところが学問所通いは、それから三日間続いたのである。


 アレンは、モナの性格を甘く見ていた自分を呪いはじめていた。いまさら、もう外出は控えるようにと説得を試みても、聴く耳をもつような姫さまではない。気性は、南国女なのである。


 そして、小間使いと使い走りの少年の不審な外出が見とがめられずにすむのも、三日が限度だった。


 つまり、連続外出四日目の今日、侯爵邸の勝手口の前では、モナの乳母であり後見人であるシャフレ夫人が、頭から怒りの湯気を吹きあげて、二人の帰宅を待ち構えていたのである。


「モナさま!」


 太めのお腹から力強く吐きだされた声は、おどろおどろしく侯爵邸の炊事場に響き渡った。


 それきり、シャフレ夫人は絶句した。


 お腹の前で握り合わされた両手が、激しく震えている。


 モナは乳母の雷を予想して、かしこまった。


 さっきまでさんざんシャフレ夫人に能無しとののしられて、へこんでいた領主伯爵の騎士達は、あっけにとられてなりゆきを見守っている。


 言い訳はしないと覚悟を決めたモナは、やはり貴族の姫君だった。粗末な衣裳をまとっていても、その立ち姿には、りんとした気品が漂っている。


 あまりに沈黙が長すぎて、シャフレ夫人が卒倒でもするのではないかと、一同が心配しはじめた時である。


 十二年にわたってモナを慈しんで育ててきた乳母の両の目から、はらはらと涙がこぼれ落ちた。


 モナの華奢な身体が、シャフレ夫人の豊かな身体に抱き寄せられる。


「ようございました。ご無事で……!」


 太めの体が汗ばむのを気に病んで、夫人が愛用しているパウダーの甘い香りが、モナを包む。


 やわらかな感触、パウダーの香り。


 それはモナにとって、母親の気配そのものだった。


 モナの首筋に、夫人の涙が何度となく落ちて伝った。お転婆娘の無事を喜ぶ涙は、ひたすら熱かった。


「――ごめんなさい」


 それしか、言えなかった。


 モナを抱きしめた腕に力がこもって、ぽっちゃりとしたエクボをもった手が、すこし埃を吸った黒髪をすく。


 何度も、何度も。


「いいのですよ。退屈だったのでしょう?

 部屋にこもって、ろくにモナさまのお相手もしなかった、わたくしも悪うございました。てっきり、モナさまは、アストゥールさまの所においでになると思い込んでおりましたので」


 酷い目にあったショックで寝込んでいたのは、この人もだった。朝晩見舞いに顔をだすだけで、あとはきれいさっぱり存在することすら忘れてしまえたのは、母親代わりの夫人に対する、モナの明らかな甘えである。


 すこしだけ厳しく、夫人は涙声でモナへの忠告を口にした。


「モナさま。侯爵さまがモナさまに剣術や男勝りな乗馬術を学ぶことをお許しになったのは、家の中にじっとしていられないモナさまの性分を、十分解っていらしたからには違いないです。

 ですが、モナさまがローザニアの名家と南三国の王家に連なる母君との間にお生れになった姫君であることも、父君の頭の片隅には、いつも心配ごとのひとつとしてあるんでございますよ。

 モナさまは、いつ何時、ローザニア王国の権力争いの渦中や、母君のお国の跡目争いなどに、巻き込まれないとも限らないのです。

 その時に、自分の身を守るすべをお与えになりたくて、父君はアストゥールさまを姫さまの指南役につけてくださったのだと、お心得あそばせ。

 腕に覚えで、慢心なさってはなりません」


 夫人がどんなに心配してくれたかに、いまさら思い至る。

 もう一度会いたい人に会えない切なさも手伝って、モナは泣きだしてしまった。


 まんまとだまされていた騎士達も、すっかり怒る気をなくしていた。


 夫人に肩を抱かれたモナが炊事場からでていってしまうと、侯爵邸の警備を任されていたルマフィール卿は、ため息をついた。


「噂どおり、型破りな姫君だな」


「申し訳ありません」


 勝手口の出入りを監視していた将校が、平身低頭で謝る。 


「ヴィダリア侯爵令嬢は、すみれ色の瞳の美少女と聞いておりましたので」


 アレンは天井を見あげた。


 モナさまがここにいなくてよかった。

 いたらたちまち騎士達にむかって怒りだして、アレンは二倍も三倍も、うんざりした彼らから罰を食らうはめになっただろう。


「この小者は、どういたしましょう」


 そらきたぞ。


 ルマフィール卿はアレンの顔を見ようともしなかった。


「適当に鞭でもくれておけ。こいつは令嬢のお気にいりらしいから、外から見える顔や腕に、傷をつくるなよ」


 上司が出ていってしまうと、将校もため息をついた。彼には、まだあどけない少年を鞭打って、喜ぶ趣味はない。


 だが、命令は命令だ。


「悪く思うなよ。おまえが、あのお姫さまにふりまわされているだけなのは、俺だって百も承知だ」


 アレンは調理台に両手をついて歯を食いしばれと命じられた。下手に逃げたりして鞭がそれたら余計に危ないので、両脇を下っぱに、しっかりとおさえられる。


 鞭打ち刑なんて、八つの時に、父親が大切にしていた鹿の剥製の角を折ってしまったときいらいだ。情けない。


 しかし、親の手加減がくわわった体罰と軍隊式の体罰は、わけが違った。


 鞭は正確に、アレンの尻の一番肉が厚くて傷が浅くてすむ場所に、たたきこまれた。


 十発目で、こらえきれずに床に膝をついてしまった。


 両脇の下っぱに、ゆすりあげられてしまう。


「わめくなよ? 舌を噛むぞ!」


 どうやったら食いしばった口を開く余裕ができるって言うんだよ!


 なかば遠退いた意識の中で、モナに仕えるのは命懸けだと、あらためて思ったアレンであった。




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