尋ね人 … 2
帽子をもらって代金を払い、モナとアレンは再び人ごみのなかを歩きだした。
帽子屋は市場の端の方で、もうまもなくアミテージの大神殿にたどり着く。
心なしか、モナの歩みはのろい。
マイカの木の下に、ローレリアンが残していった不思議な言葉がよみがえる。
――きっとあなたは、わたしを見つけられはしないでしょう。
その言葉が現実になるのが恐くて、帽子屋に寄り道などして……。
石畳づたいに神殿へ歩みより、砂岩の石段を登る。
近づいただけで、巨大な石の建築物が放つひやりとした空気が辺りに満ちた。
緑青に包まれた青銅の扉をくぐり、影の支配する空間に足を踏み入れていく。
さらに数歩も進むと、もうそこは神聖な霊域だった。
圧倒的な高さの天蓋。
響く足音。
口を開くことがはばかられて、頭を垂れて前に進む。
やがてたどり着いた祭壇には、ローレリアンと出会った時とまったく同じように、無数の灯火がゆれていた。
石の上にひざまずいた。
まずは、アストゥールの命数を伸ばしてくださった神々に、感謝を捧げなければ。
そして、ひとしきり祈った頃、あの日と同じように、神学生が手提げつきの手箱を持って祭壇へむかってやってきた。
今日の神学生は平凡な外見の青年だった。
アレンと同じくらいの背格好だが、身体の鍛え方が違うので、かなり貧相に見える。
彼は祭壇の前で早口に聖句を唱えてしまうと、てきぱきと燭台の掃除を始めた。その様子が、まるで小間物屋の小僧のようにちょこまかしていたので、モナはがっかりしてしまった。
でかけてくる前に、どういう風に当番の神学生へ話しかけようかと、かなり一生懸命想像で練習してきたのだ。それなのに想定したどの例にも、彼の様子はあてはまらない。
まあいい。もっとも当たり障りのないやり方で行ってみよう。
そっと、神学生の方を見上げる。
しおらしく、わざと相手の役職を呼び間違える。彼の優越感を刺激するように。
「あの、司祭さま」
神学生は手を止めずに、顔だけをこちらにむけた。
カリカリカリと、燭台の蝋を削り取る音があたりに響いている。こちらが話しかけているというのに、神職にあるまじき礼儀知らずな態度である。
「ボクは司祭じゃありません。司祭にご用なら、取り次ぎますが」
「いえ、あの……、私にも蝋燭をあげさせてもらえませんか?」
あの時、ローレリアンは蝋燭をくれたあと、なにか事情があるのならと、優しく言ったのだ。話のきっかけになるかもしれないと思って、同じ状況になりそうなことを言ってみたのだけれど。
神学生は、へらりと笑った。
可哀相な少女が、すがるように見上げているというのに!
「すみませんね。祭壇に蝋燭をあげたかったら、入り口のわきの祈祷申し込み所で売ってますから、お金を払ってください」
燭台にたまった蝋を削り取る音は、彼がしゃべっているあいだじゅう、一時も途切れなかった。
次の瞬間、もう彼女から関心を失って、神学生は蝋燭を並べはじめている。まるで作業時間の短縮に生きがいを感じているかのように、その手つきは素早い。
――こいつ……、俗物だったのね! いったい何を考えて、神官になろうっていうのよ?!
モナの蹲った背中が震えている。
アレンは、モナが「そうじゃなくってぇ!」と、いつもの調子でわめきだす前に、慌てて通用口から彼女をひっぱりだした。
案の定、モナは明るいところにでてくるなり、わめきだした。
「アレンたら、どうしてあの心得違いのバカ学生に、抗議してやらないのよ!」
「神学生さんにむかって聖職者のあるべき姿を説教してどうするんです。神学生だからって、みんながみんな、ローレリアンさんみたいに立派な人とは限りませんよ!」
思わずローレリアンを誉めてしまったアレンの機嫌は、かなり悪かった。お人好しも、こうなると押しが強くなる。
「ああいう俗物には、俗物にふさわしい接近法というものがあるんですよ。俺に任せておいてください」
「もういいわよ。神学校に直接……」
「身内以外の女性が訪ねていったりしたら、ローレリアンさんがこまるでしょ! 神学生の男女交際は、ご法度のはずですよ!」
モナがぷうと両頬を膨らませたところで、早々と作業を終えた、さきほどの神学生がもどってくる。
自然光の中であらためて観察すると、かの神学生のにきび面は、少したるんでいた。
締まりがない唇から、時々口笛が漏れ聞こえる。
手入れの悪い頭の後ろ側は、寝癖で髪が寝ていたし、灰色の制服も、しわだらけだ。
ローレリアンは、あの時、と考えたモナは、音がしそうなくらいの勢いで頭をふった。くらべるだけで、ローレリアンとの思い出が汚れてしまいそうだ。
アレンが神学生にちかよっていく。
「あの、恐れ入りますが。若旦那さまは、こちらの神学校の学生さまと、お見受けいたしますが」
「そうだけど?」
神学生は警戒心もあらわに、じろじろとアレンを見た。
アレンは、大丈夫、自信を持てと、己をはげました。
さきほどモナに買ってもらった帽子は、丁寧にたたんで篭の中だ。まともな騎士階級を匂わせるアレンの持ち物は新しい帽子だけだから、帽子を取ってしまえば、見かけはいかにも田舎から出てきたばかりの貧乏豪族の三男坊であるはずなのだ。腰の剣も、いい具合に古ぼけているし。
「じつは俺の妹が、先日、祭壇の蝋燭を替えていらした学生さまに、すっかりのぼせてしまいまして。お名を、ローレリアンさまとおっしゃいましたが」
「ああ、ローレリアンね」
納得顔がうなずく。ひょっとしたら、何度も、恋文の使いを頼まれたりしているのかもしれない。
「なんとか、お目にかかれないでしょうか」
「そりゃ無理だよ。神学校では、女性との交際は禁じられているんだ」
「そこを何とか」
素早くドライフルーツの包みが、神学生の手の中に押し込まれた。
アレンはモナより、はるかに世馴れている。神学生のほとんどが本気で神々に仕えるつもりで神職を目指しているわけではないことも、厳しい規則ずくめの寮生活の中で食べ盛りの学生達がいつも飢えていることも、よく知っていた。甘く日持ちがする菓子類は、上級生への貢ぎ物になったり、宿題を見せてもらう時の代価になったりして、金銭並みに貴重なはずなのだ。
賄賂はポケットに納まった。
「なんとかしてやりたいんだが、ローレリアンに会うのは至難の業だと思うな」
「学校から外に出てくる、何かのお役目の時間などがわかれば」
「それもな、やつは、ほとんどやらないんだよ」
「は?」
「じつは、今日も俺は、やつの代理でね。歴史の論文を代筆してもらって、十回分の当番を交替したんだ。
やつときたら、ほとんどその手で、どうでもいい当番は一切やらなくていいようにしてるんだぜ。教師もあきれて、黙認さ。
なにしろローレリアンは、レポートの代筆をするとき、依頼したやつの頭の程度や普段の言葉づかいから予測できる言葉の選び方まで、きっちり考えて内容に織り込んでくるんだ。仕上がってきたレポートを自分の手で書き写して提出すれば、教師にもばれやしない。
まったく、腹が立つぜ。ローレリアンに書かせたレポートを提出しても、自分で書いたレポートを提出しても、評価はいつも落第すれすれなんだから。
ローレリアンめ、俺を馬鹿にしやがって」
――人の悪口を言うときって、どうしてみんな卑しい顔になるのかなあ……。
世の中なんてそんなものと心中でつぶやきながら、アレンはとっておきの薄荷飴の包みを少し開いた。あたりに薄荷のさわやかな匂いが広がった。
「では、呼びだしていただくわけには」
「そうだなあ……」
小狡い微笑が学生の口元に浮かぶ。
薄荷飴の包みが渡される。
「呼び出してやると言いたいところだが、それも不可能だな。
ローレリアンは子供の頃からここの神殿で育ったもんで、神学校に籍は置いているが、もう学生が勉強しているようなことは全部勉強し終わっているのさ。
最近では、教師の手が足らないものだから、下級生の指導を任されているくらいでね。
だからやつは、ほとんど学校にもいないんだよ」
「では、どこに?」
「さてなあ……」
腕組みした学生は、アレンの篭に視線を落とした。
――くそっ、この俗物め!
極上の葡萄酒の壜が引き抜かれる。
アレンは壜を手にして声をひそめた。
「これは、いくら何でもまずいですよね」
「そんなことはない」
「でもなあ、神学生さんに酒をみついだりしたら、いささか俺の良心も痛みます。妹には、もうあきらめるように言うことにします」
「探す手立ては、いくつかある」
「そうですか?」
わざと不信げに問う。
物欲しそうな視線を葡萄酒の壜から離さずに、学生は答えた。
「やつは暇な時間、教師から許可をもらって、学問所に通っているんだ。学問所で捕まえればいい」
「なるほど。で、どちらの学問所へ?」
ひらひらと、学生の右手が舞った。それ以上はブツと交換だというわけである。
葡萄酒の壜は学生の上着の内側に押し込まれた。どこから見ても怪しげな膨らみが分かるのに、いいのだろうか。
「俺が知っているのは、建築学のダッシェの私塾に出入りしてるってことくらいだな。他にも五、六ヵ所は行ってるって話だ」
「そんな、あいまいな。いったいこの学問都市アミテージに、私設公設合わせたら、いくつの学問所があると思っているんです」
「さあ? 一説には二百とも三百とも言われているな」
絶望的だ。
「あとは、やつが夕方の礼拝に帰ってくるところを待ち伏せるか、夜這いをかけるか。
でも、夜もあてにならんぞ。
あいつときたら、舎監を抱き込んで、何日も帰ってこないことがあるからな。
秀才のくせに型破りだから変に学生のあいだで人気があって、みんなが面白がって、やつの無断外泊を応援するんだ。
今度はやつが何日で帰ってくるかって、学生の間では、賭けをしてたりするしな。ついこの間も三晩帰って来なくって、俺は一儲けした」
案外、その賭けの親は、この学生かもしれないと思うアレンである。
これ以上話を聞いても仕方がなさそうなので、礼を言って別れようとした、その時だ。
歩きだした神学生が何かにつまずいて、空中を泳ぐように両手を振り回した。
なんとか転ぶまいと、神学生の足が大きく前に出た。
その膝の裏を、モナの靴が力一杯蹴り込む。
もちろん、神学生がつまずいた物体は、モナがひょいと身を屈めて、スカートの中から差し出した剣の鞘の先である。
渡り廊下にガラス壜の割れる音が響き渡った。
「この生臭神官もどき! 俗物! ノータリン!」
「モナさま! やめてっ!」
わめきまくるモナの腕をひっつかむと、アレンは一目散に逃げだした。
怒った学生が何かわめき返しているが、こっちの知ったことではない。
じっくり寝かせた極上の葡萄酒で赤く染まった制服の言い訳を、あいつはいったい、どうするのだろう。
じつに、いい気味だった。
** ** **
アレンはそのあと時間ぎりぎりまで、モナといっしょにダッシェという有名な建築学の権威が開いている私塾の前に立つ羽目になった。出入りする人間にローレリアンのことをたずねてみても、いつ来るか分からないという答えが返ってくるのみだったのだ。
日が傾きかけてくる頃、もう帰る時間ですよとモナにうながすと、しおれた姫さまは無言で帰路についた。
かわいそうだが、これでもう、あきらめがつくだろう。今日の外出は決して無駄ではなかったのだと、アレンは自分に言い聞かせながらモナの後にしたがった。