Amber Ink
さっきまで雨が降っていたんだ。
車のドアが開かれると、湿った空気と一緒に黴の匂が押し寄せてきた。
土や花の匂いは殆どない。
それでも車の中の澱んだ空気に比べれば、至福だ。
近づいてきた人間が、がちゃがちゃと音を鳴らして乱暴に檻を持ち上げる。
生まれた時からこんな感じだから慣れっこだ。
こいつは知らない人間だし、何だか遠慮がない奴だけど、だけど別に敵じゃない。
こんなのはいつものことだから。
それにしても、一体どこへ連れて行かれるんだろう?
自分はこれからどうなるんだろう?
仲間たちにはもう会えないんだろうか?
知らない場所に行くのは、いつだって少し怖い。
人間に抱えられた目の前で薄汚れた扉が開かれた。
そこをくぐった先には、なんだか懐かしい匂いが満ちている。
これは仲間たちの匂いだ。
自分だけじゃない、いろんな仲間の匂いがする。
それでいて人間の匂いは控えめだ。
ちょっとだけ故郷に戻ってきたみたいな気分になる。
人間は何かを喋っていたけど、奥まった場所に自分を置くと、そのまま外へと去っていった。
さて、自分は一体どこに来たんだろう。
周りを眺めてみれば、確かにここはお仲間がたくさんいる。
羽付きのお仲間よりも、羽なしの獣の方が多いかな。
よく見れば足のないやつもいるみたいだ。
人間は離れた場所に一人いるだけ。
しかもお仲間たちへの物腰が、なんだか妙に丁寧じゃないか。
ここが何なのかよくわからないけど、案外過ごしやすいのかもしれない。
だけど自分は全く落ち着けないでいる。
その原因は隣にあった。
自分の置かれた隣にも別の檻があって、そこには年老いたお仲間がいた。
甘いバナナや、まだ甘くないバナナみたいな色の仲間はいっぱい見たことがあるけれど、こんな色は初めて見たな。
こんなに年寄りなやつを見たのも初めてだ。
そいつは熟れ過ぎたマンゴーに頭から飛び込んだみたいな色だった。
木にへばりついた甘い蜜の色にも見える。
翼と尾羽の先っぽには、焦げた葉っぱみたいな色の濃い斑も滲んでいた。
見ようによっては華やかだけど、よく見れば年相応にくすんでいる。
だけど鋭い眼光を一目見れば、こいつは只者じゃないとわかった。
まっ黒に艶がかった嘴と相まって、今にも飛びかかってきそうな雰囲気だ。
その嘴に、体と同じ色が一筋荒く走っているのが特に印象的だった。
そいつが、じっとこちらを睨んでいる。
まるで厄介者を見るように。
年寄りなのに、すごい威圧感を感じさせる。
好きでここにいるわけじゃないんだから、勘弁してほしいな...。
*/ Amber Ink /
...なんだい新入り、緊張してるのかい?
情けないねぇ若いのに。
ビビるならビビるで、もっとおどおどしてた方が可愛げがあるってもんだよ。
おや、トサカにカチンときたのかい?
良いじゃないか、その調子だよ。
せいぜいカラ元気を飼い慣らすこったね。
あたしゃ “アンバー・インク”だ。
アンバーって呼びな。
人間たちのつけた名前だよ。
ここじゃ古い顔だから、わかんないことがあるなら聞いてみな。
...え、ここは何かって?
アレあんた、もしかしてペットショップは初めてかい。
あぁ、あぁ、悪かったねぇ。
それじゃ緊張するのも無理はないよ。
そうだよ、ここはペットショップだ。
人間たちがあたしらみたいな鳥や獣を選びに来るところさ。
選ぶったって、別に取って食うような話じゃないよ。
あんた、“飼う” ってのはわかるかい──聞いたことはある?
なら話が早いね。
そうだよ、あんたもここでペットになるんだ。
人間のとこへ行って、好きなだけ食べて寝て、嫌というほど歌わされて、うんざりしながら一緒に暮らすのさ。
──あぁゴメンって、別に脅かしたかったわけじゃないんだよ。
ちょっと愚痴が出ただけなのさ。
実際そんなに悪い暮らしでもないんだよ。
毎日好きなだけ食べられるし、夏でも冬でものんびり眠れるし、からすやとんびも来ないし、あの忌々しい猫野郎どもも居ない。
だから大抵の奴は満足できるんじゃあないのかね。
...え?
あぁそうだね。
あたしゃペットになることについちゃあ、ちょいとばかり詳しいよ。
なんてったって──人間は何度も《《飼った》》からねぇ。
...ふふん、みんなその顔をするね。
なぁに、一度人間に飼われてみれば気づくことさ。
実は人間は、自分こそが “飼われたがってるんだ”ってね。
そのためにペットショップがあるんだよ。
興味がおありかい?
いいとも、あんたにゃ年寄りの知恵を聞かせてあげよう。
少しばかり見込みもありそうだからねぇ。
飼うか飼われるかについては、実は生まれつきの才能が結構あるんだ。
さっきも言ったけどね、食べて寝るのに苦労はないよ。
食い物は人間が用意して持ってくるし、寝床も掃除してくれる。
ただまぁ.....年がら年中そんなふうに暮らしていると、流石に飽きることもあるだろうよ。
ご存知ないだろうけど、あたしも飽きっぽくってねぇ。
とてもじゃないが、一つ所でずっとそんなふうに暮らすことには耐えられないのさ。
何より耐えられないのは、人間ときたら飼われてるくせに “こっちを変えよう” としてくるとこだよ。
四六時中話しかけてきて、やたらとこっちにも喋らせたがって、最後は決まって「さぁ、一緒に歌おう」だ。
食い物で釣って、ほめて、なだめて、挙句に泣き落としまでやってくるよ。
手に持った変な板っ切れをやたらとパシャパシャ鳴らしながらね。
なにをまぁ必死なこった。
半年もあれに耐えられたんなら、もう自慢したって良いよ。
まぁとにかく、しばらく我慢すりゃあ良いんだ。
そのうちあいつらも油断するさ。
ちょっと試しに檻を開いて、自由に部屋の中を飛び回らせるよ。
おっかなびっくり窓まで開けて、外の景色を眺めさせたりし始めるよ。
最後の最後にゃ安心し切って、肩に留まらせて外へ連れ出したりすんだよ。
そうしたらもうこっちのもんだ。
ああもうここは十分だと思ったら、ぱっと飛び出してこの店まで戻っておいで。
今度は店の人間があんたを世話してくれるからね。
しばらくしたら、外からやってきた人間にまた愛想を振りまいて、美味い飯の出る牢屋に連れてってもらいな。
そんで飽きたらまた戻ってくる、と。
それを二回も繰り返してごらん。
この店の人間ときたら、もう大喜びさ。
「次もまた頼むよ」なんて言って、こっちでも美味い餌をはずんでくれるようになるんだ。
何でかなんて知らないけどね、まぁ世の中ってのはそういうモンなんだと思っときゃ良いよ。
──やっぱりアンタは見込みがあったね。
そういうことさ。
この店の人間も、あたしが飼っているんだよ。
さて、そろそろ本題に入ろうかい。
人間の飼い方についてだ。
いいかい、まず最初は愛想よく付き合ってやるのが大事さ。
「飼っているのは自分の方だ」と、そう思い込ませておくんだよ。
これは簡単さ。
ことあるごとに「カワイイ」「ダイスキ」「アリガトウ」って言っときゃ良いんだ。
あんた、変に生真面目な部分がないかい?
実はあたしもそうでねぇ、これは意識してルーズにした方が良いよ。
朝だから「ゴハン」、昼だから「オサンポ」、夜だから「オネンネ」なんてお行儀のいい真似は止すこった。
なるべく気まぐれに振る舞って、こっちの機嫌で人間の生活を回してやるのさ。
自分のリズムに相手を乗せるのが “飼う” ってことだからね。
こんなのを喜ぶなんて意味がわからないけど、まぁやり易くって結構だ。
だから、言うことを聞いてやるのも4、5回に1度で十分さ。
自分の方から喋るのも程々にしときなよ。
あいつらは「どうか喋ってください」とお願いしてくる立場だよ。
毎回言う通りにしてやってたら調子に乗っちまうからね。
ただしね、“パシャパシャ” だけは我慢しな。
人間たちはアレが好きでねぇ。
食い物に向けてパシャリ、自分に向けてパシャリ、こっちに向けてパシャリ、顔を押し付けてきてパシャリだ。
何やってんだか知らないけれど、他にやることはないのかね。
あんまりしつこいようだったら、しばらくの間は何を言われても「パシャリ」以外は返事しないでいてやりな。
あいつら不安がって大人しくなるよ。
それにしても人間ってのは、本当によく喋る連中だね。
仕事がどうの学校がどうの親がどうの世間がどうのって、言葉を変えちゃあいるけれど、結局のところ話の内容は全部おなじだよ。
だから適当に聞き流して相槌打っときな。
あとは程々に相手をしながら、たまーに歌って踊ってやれば大はしゃぎさ。
そうやって人間の真似をしてりゃあ良いよ。
これでたんまり美味い飯にありつけるからね。
楽なもんさね。
*/ Amber Ink /
──なんだって?
ちょいとあんた、馬鹿なことを考えるもんじゃないよ。
“人間そっくりに” だって?
そうじゃない、そうじゃない。
あたしらは人間を真似るだけであって、人間になろうってんじゃないんだよ。
まぁお聞きな、昔いた馬鹿な子の話をさ。
その子は人間からは「B.B.」って呼ばれていたねぇ。
“Beef & Beer” だよ。
四六時中も肉をたらふく食いながらビールを痛飲してたんだ。
人間みたいにね。
そうすりゃあ、自分も人間になれるんじゃないかって考えたんだ。
とんでもないよ。
腹が減ったら「Beef!Beef!Beef!」、喉が渇いたら「Beer!Beer!Beer!」。
店の人間が面白がって用意してやるもんだから、もう酒くさいやら脂くさいやら。
買い手なんて誰もつかずに、痛風と脂肪肝であっという間だったねぇ。
それからもう一つ、よく覚えときな。
人間はね、実は人間のことが嫌いなのさ。
あいつらの話を聞いてりゃあ、あんただってすぐにわかるよ。
あたしらに御馳走を振る舞ってくれるのは、アタシらが人間じゃあないからだよ。
だから、人間の真似だけをするんだよ?
それがあたしらの自然体さ。
それ以上は、いけないねぇ。
さて、教えるのはざっとこの程度かね。
──ちょいと、いま店に入ってきた人間を見な。
ありゃあ良いペットになるよ。
早速だけど手本を見せてあげようか。
よっく見て覚えな.....そら、こっちに来たよ!
オネーサン! オネーサン!カワイイ!
♪~♪~♪~
ゴハン!カワイイ!
──とりあえず「カワイイ!」って言っときゃ良いよ。
適当に褒めときな。
オネーサン カワイイ!ヒトリ?ダイスキ!
目の前まできたね。
いいかい、ここでガツガツいくのは下の下だからね。
ちょっと目を逸らして、素っ気なく羽づくろいなんかしてみせるのさ。
すぃ、すぃ、ってね。
...ナニ? ゴハン?
ウタ ダイスキ!
ダンス ダイスキ!
♪~ ラララ ♪~ ラララ ♪~
ほら、笑ってるだろう?
人間ってのはね、明日のことを勝手に想像してくれるんだ。
「毎日歌って踊ってくれるのかな」ってさ。
そうさ、楽しいことだけ想像させてやるんだ。
想像するのはまぁ勝手だよ、こっちにゃそんなつもりはないけどね。
オネーサン イイコ!
アタシ イイコ!
カワイイ!カワイイ!
こうやって首を縦に揺らしてやるんだよ。
ほら、指を出してきただろう?
突っついちゃあダメだよ、頬擦りしてやるんだ。
あの人間の目を見てごらんよ。
こりゃあもうこっちのもんだ。
オカシ ダイスキ!
オハナ ダイスキ!
オハナ チョウダイ!
こいつはちょっとしたテクニックだよ。
「ちょうだい」の言い方がコツなんだ。
一つ目はお菓子──これは贅沢な注文だね。
二つ目はお花──こっちはタダみたいな注文さ。
安い方を欲しがってやるとね、人間は高い方を渡したがるんだ。
不思議だろう?
さぁ仕上げだ、もっと激しく揺れるよ。
トモダチ!トモダチ!
オネーサン トモダチ?
カワイイ!ダイスキ!
♪~♪~ ラララ ラララ ♪~♪~
そぉら店の人間を呼びに行った。
決まったね。
あたしゃ、“期待されてるもの” を渡しただけだよ。
最適な言葉を選んで出した──それだけさ。
ただ歌って踊って「ダイスキ」って言っただけなんだけどね、それが相手の期待にドンピシャだった。
飼うか飼われるかってのは、こうやって決まるんだ。
さてと、店の人間がこっちに来るね。
あたしゃしばらく人間を飼いに出掛けてくるから、これで一旦お別れだ。
どうせ暑くなる頃には、またこの店に戻ってきてるだろうけどね。
その間にあんたも上手くやると良いよ。
そして程々でトンズラすることだ。
なんてったって、人間ほど手のかかるペットはいないからね。
*/ おしまい /




