隣人の食卓
引っ越して一ヶ月。アパートの隣人、佐藤さんは絵に描いたような「いい人」だった。毎朝の挨拶は欠かさないし、たまに実家から送られてきたという野菜を分けてくれる。
ただ、一つだけ気になることがあった。
彼は週に一度、決まって土曜日の夜に、私の部屋のドアの前に「余った料理」を置いていくのだ。
「一人暮らしだと栄養が偏るでしょう」
そう言って微笑む彼の目は、いつも少しだけ濡れているように見えた。
最初はありがたく頂いていた。肉じゃが、ハンバーグ、煮魚。どれも料亭のように美味かった。だが、ある日を境に不気味さが勝り始めた。
きっかけは、彼が持ってきた「筑前煮」だった。
具材のレンコン、ゴボウ、人参。それらがすべて、一辺一センチの完璧な正方形に切り揃えられていたのだ。機械で切ったのではない。断面には包丁の、それも恐ろしく鋭利な刃物の跡があった。
私はその夜、初めて料理を捨てた。
すると翌朝、ゴミ出しに行こうとした私の前に、佐藤さんが立っていた。
「昨日の、口に合いませんでしたか?」
声は穏やかだが、彼は私のゴミ袋をじっと見つめていた。
「いえ、ちょっと体調が悪くて……」
「そうですか。次はもっと、消化に良いものにしますね」
彼はそう言って、私の肩に手を置いた。その手の冷たさに、背筋が凍った。
その日の夜、私は佐藤さんの部屋から漏れる「音」を聞いた。
トントン、トントン。
規則正しい、包丁の音。
トントン、トントン……。
一時間、二時間。音は止まない。何をそんなに切り続けているのか。
好奇心と恐怖に勝てず、私はベランダから隣の様子を伺った。カーテンの隙間から見えた光景に、私は声を殺した。
佐藤さんは、キッチンの床に座り込んでいた。
まな板の上にあるのは、食材ではない。
一束の「髪の毛」だった。
彼はそれを、一本一本、正確に同じ長さに切り揃えていた。
切り落とされた髪の毛は、丁寧に皿の上に盛り付けられている。
ふと、佐藤さんがこちらを向いた。
彼は満面の笑みで、切り揃えた髪の毛を口に運び、咀嚼した。
「ああ、次はもっと柔らかいのがいいな」
彼が私の肩に触れたとき、何を品定めしていたのか。
私はその夜、荷物もまとめずに部屋を飛び出した。




