第三十二章 樹海
十月四日。午前四時。
闇の中を、三人は歩いていた。
青木ヶ原樹海の北縁。林道から外れ、GPSだけを頼りに溶岩台地を進む。ヘッドランプの光が、苔むした溶岩と、異様に捻じれた樹木を照らす。
樹海の沈黙は、通常の森とは質が違った。鳥の声がない。風の音も、樹冠に吸収されて届かない。自分たちの足音と呼吸だけが、闇の中に響いている。
「先輩」早川が小声で言った。「ここ、磁場が狂ってるっす。コンパスがぐるぐる回ってる」
「溶岩に含まれる磁鉄鉱の影響だ。だからGPSを使う。コンパスは当てにならない」
「それは知ってるんすけど、精神的にこう、くるものが——」
「黙って歩け」
三十分後、GPS座標が示す地点に到着した。
溶岩台地の上に、不自然な窪みがあった。直径約二メートル。周囲を溶岩片と倒木が覆っている。三条の説明通りだ。
直人は溶岩片を慎重に取り除いた。倒木を動かす。
穴が現れた。
真っ暗な縦穴。ヘッドランプの光を落としても、底が見えない。
「深さは」
「三条さんの情報では約十五メートル。垂直ではなく、斜度七十度くらいの斜面だ。ロープで降りられる」
直人がアンカーを設置し、ロープを固定した。ハーネスを装着し、最初に降下する。
溶岩の壁面は黒く、ガラス質の光沢がある。手で触れると冷たい。千年以上前に流れた溶岩が、そのまま固まった壁だ。
十五メートル降りると、足が平らな地面に着いた。溶岩洞窟の底だ。天井の高さは二メートル半ほど。幅は三メートル。通路は北西に向かって伸びている。
「降りてこい」
真琴が続き、最後に早川が降りた。早川はロープを握る手が白くなっていた。
「二度とやりたくないっす……」
「帰りもあるぞ」
「うわぁ……」
三人は通路を進んだ。溶岩洞窟の内部は、石灰岩の鍾乳洞とはまるで異なる景観だった。壁も天井も床も、黒い溶岩。溶岩が流れた痕跡が、波のような模様を残している。
五百メートルほど進んだとき、通路が分岐した。
「左と右。どちらだ」
早川がノートPCを開いた。洞窟内ではGPSが使えない。だが早川は、加速度センサーとジャイロスコープを使った慣性航法のプログラムを組んでいた。入口からの移動距離と方向をリアルタイムで計算している。
「現在位置は入口から北西に約五百二十メートル。深度はマイナス三十メートル。三条さんの座標データと照合すると——左っす」
左の通路に入った。天井が低くなり、かがんで進む必要がある。
さらに三百メートル。
通路が急に広がった。
ヘッドランプの光が、巨大な空間を照らした。
溶岩ドーム。天井は五メートル以上。幅は十メートルを超える。溶岩が流れた後に残された空洞が、自然のドームを形成していた。
そしてドームの中央に——
「何だ、あれは……」
早川が呟いた。
ドームの中央に、石の台座があった。溶岩ではない。明らかに人の手で運び込まれた、花崗岩の台座。台座の上に、一枚の石板が置かれている。
直人は台座に近づいた。
石板は、長方形。約四十センチ×三十センチ。厚さ五センチ。材質は——
「砂岩だ。きめの細かい砂岩。彫刻に適した石材」
石板の表面に、文字が刻まれていた。
だが——文字は漢文ではなかった。




