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第二十九章 早川の切り札  

北谷のコインランドリーの駐車場で、直人と真琴が合流したのは午後四時だった。

 真琴はレンタカーを乗り換えていた。元の車は那覇市内に放置し、別のレンタカー会社で新しい車を借りた。免許証の提示は必要だが、即座に追跡されることはない。

「拓本は」

「ここに」直人は防水袋を見せた。「八枚。壁面の全文と、空白部分の指紋」

「指紋?」

「空白に、設計者の指紋が刻印されていた。肉眼では見えない深さだ。拓本にして初めて浮かび上がった」

 真琴は防水袋を受け取り、中身を確認した。靴墨の匂いがかすかにする。

「靴墨ですか」

「言うな」

 真琴は笑わなかった。だが、口元がかすかに緩んだ。

「三条さんは」

「連絡がありました。那覇を離れ、本島北部に移動中だそうです。文書のデジタルコピーは六箇所に分散送信済み。受信先は——三条さん曰く、『百五十年の人脈を甘く見ないで』と」

 直人は苦笑した。

 スマートフォンが震えた。早川からの暗号化メッセージ。

『先輩。やばい話と、もっとやばい話と、超やばい話があります。どれから聞きます?』

『全部同時に言え。』

『了解。まずやばい話。研究室から抜かれたデータの痕跡を分析しました。コピーされたのは全ファイルじゃなくて、特定のフォルダだけです。五点座標のデータ、星図の解析結果、そして——皇居の光のスペクトル分析。つまり侵入者は、何を探しているか事前に知っていた。内部情報がなければ不可能な選別です。』

『内調の中に、暗号の全体像を理解している人間がいる。』

『ですね。で、もっとやばい話。抜かれたデータの中に、俺がまだ先輩に報告してなかった解析結果が含まれてます。』

『何だと? 報告していないデータとは何だ。』

『実は——二重和紙の繊維をDNA分析にかけてたんすよ。雁皮紙の原料植物のDNA。で、結果が出てたんですけど、確認が取れるまで報告を保留してました。』

『結果は。』

『雁皮紙の原料——ミツマタの植物DNA。で、このDNAの配列に、微妙な変異があるんす。自然の変異じゃない。人為的に操作された痕跡がある。』

 直人は画面を凝視した。

『百五十年前に、遺伝子操作だと? ありえない。』

『遺伝子操作じゃないっす。選択的育種です。特定の形質を持つ個体を何世代にもわたって掛け合わせることで、通常とは異なるDNA配列を持つ品種を作り出す。これは江戸時代の園芸技術の延長線上にあります。朝顔の品種改良を思い出してください。江戸の園芸家は、遺伝の法則を知らずに、信じられないレベルの品種改良をやってた。』

『それで——その変異したDNA配列が、何を意味する。』

『超やばい話です。このDNA配列を塩基配列としてテキスト化すると——文字列が出てきます。アミノ酸の一文字表記に変換すると、ローマ字になるんす。』

 直人の心臓が跳ねた。

『何と書いてある。』

『FUJISANCHOUNIKAGAMIARI』

 直人は文字列を読み、声に出した。

「富士山頂に鏡あり」

 真琴が顔を上げた。

「富士山——」

「墨の放射線が富士に収束していた。五つの点が富士を指していた。そしてDNAレベルで——『富士山頂に鏡あり』と」

『先輩。このデータが内調に渡ったってことは、内調も富士山に向かう可能性があります。しかも俺たちより先に。』

 直人は目を閉じた。

 五つの封印。洞窟の憲法。空白の第五条。そして——富士山頂の鏡。

 暗号の層は、まだ終わっていなかった。

「九条さん」

「はい」

「沖縄の洞窟が封鎖された今、次に向かうべき場所がある」

「富士山ですか」

「ああ。だが——」

 直人はスマートフォンの画面を見つめた。

「先に、封印の構造を理解しなければならない。五つの封印は確認した。洞窟の憲法も見つけた。DNAに刻まれたメッセージも判明した。だが、これらがどう繋がって一つの構造を成しているのか——全体の設計図が見えていない」

「全体の設計図は、あの文書にあるのでは。三条さんの」

「『神宝遷座ニ関スル覚書』。ああ。あの文書には更新派の提案の全文がある。だが、俺たちはまだ全文を読んでいない。三条さんが見せてくれたのは冒頭部分だけだ」

「三条さんに連絡しましょう」

 直人は三条に暗号化メッセージを送った。

『三条さん。文書の全文を共有していただけますか。デジタルコピーで構いません。暗号の全体構造を理解するために、更新派の提案の完全版が必要です。』

 返信は二十分後に来た。

『鷺宮さん。文書の全文は、すでにあなたの手元にあります。』

『何のことですか。』

『拓本です。洞窟の壁面に刻まれた文字。あれが更新派の提案の全文です。文書に書かれているのは提案の要約に過ぎません。真の全文は——石に刻まれている。紙は焼ける。だが石は残る。実朝は最も重要な文書を、石に託した。』

 直人は防水袋を見た。八枚の拓本。靴墨で写し取った、百五十年前の石の文字。

 全文が——すでに手の中にあった。

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