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第二十二章 三条冬美  

ホテルに戻ると、ロビーに女性が座っていた。

 六十代後半。白髪を短く整えている。藍染の紬を着て、帯は博多織。足元は革のサンダル。和と洋が自然に融合した装いは、計算ではなく長年の習慣から生まれたものだろう。

 女性は直人と真琴を見て、立ち上がった。

「鷺宮直人さん。九条真琴さん。お待ちしておりました」

 穏やかな声だった。だが、その穏やかさの奥に、鉄のような芯がある。

「三条冬美です」

 直人は足を止めた。隣で、真琴の体が緊張するのが分かった。

「なぜ、私たちがここにいると」

「あなたたちの行動は、最初から把握しております。——立ち話もなんですので、お部屋をお借りしてよろしいかしら」

 三条冬美は、ホテルの最上階のスイートルームに滞在していた。窓から那覇の夜景が一望できる。テーブルの上に、泡盛と琉球ガラスの杯が用意されていた。

「おかけになって」

 直人と真琴はソファに座った。三条は対面に腰を下ろし、泡盛を三つの杯に注いだ。

「まず、自己紹介を正確にさせてください。私は三条財閥の九代目当主であり、明治四年に神器の奉安について『更新』を提案した三条実朝の——曾孫の曾孫にあたります」

 直人は杯に手をつけなかった。

「更新派の直系」

「ええ。ただし、更新派などという名前は、我が家では使いません。私たちは自分たちを『問いかけの系譜』と呼んでいます」

「問いかけ」

「国家とは何か。主権とは誰のものか。象徴とは変わるべきか。——その問いを、百五十年間、問い続けてきた一族です」

 真琴が口を開いた。

「三条さん。平成三十一年四月三十日——令和への改元の前日に、書陵部の非公開文書を閲覧したのは、あなたの関係者ですか」

 三条は微かに笑った。

「直球ですね、九条さん。——ええ。当時の書陵部長は、我が家の古くからの知己です。彼に頼んで、『神宝遷座ニ関スル覚書』を確認してもらいました」

「文書は今、どこに」

「私が持っています」

 直人と真琴は同時に息を呑んだ。

 三条はソファの横に置いてあった桐箱を取り上げ、蓋を開けた。中に、古い和紙の文書が収められていた。

「どうぞ、ご確認ください。鷺宮さん。あなたは修復士だ。この文書の真贋を判断できるでしょう」

 直人は手袋を嵌め、文書を手に取った。

 和紙の質感。墨の色。筆跡の時代性。紙の劣化度。

 五分間の沈黙の後、直人は言った。

「本物です。明治初期の公文書。紙は楮紙、官製。墨は松煙墨。保存状態は極めて良好——誰かが、適切な環境で保管し続けてきた」

「百五十年間、三条家が守ってきました」

 真琴が文書の内容に目を走らせた。

「これは——」

「『神宝遷座ニ関スル覚書』。三種の神器の奉安場所と方法について、明治新政府内部で行われた議論の記録です。そして——議論の末に否決された、更新派の提案の全文が含まれています」

 真琴は文書を読み進めた。顔色が変わっていく。

「更新派の提案……五つの地点に、それぞれ神器に対応する封印を配置する。封印は百五十年後に解読可能となるよう設計し、解読の条件が揃ったとき、最終的な判断を後世の国民に委ねる——」

「その通りです」三条が頷いた。「更新派は、三種の神器そのものを否定したのではありません。神器の意味を固定することを拒否したのです。鏡・剣・勾玉の意味は、時代とともに変わるべきだ。それを決めるのは、その時代を生きる人間であるべきだ——それが提案の核心でした」

「そして否決された」

「維持派が多数を占めていましたから。だが——否決の後、実朝は行動しました。表向きは維持派に従いながら、裏で暗号を仕込んだ。和紙に。石に。建造物に。国家の構造そのものに」

 直人は三条を見つめた。

「なぜ今、この文書を俺たちに見せるんですか」

「あなたたちが、暗号を解読し始めたからです。百五十年間、多くの人間がこの暗号の断片に触れました。だが、全体像に迫ったのはあなたたちが初めてです」

「三条さん自身は、全体像を把握しているのですか」

 三条は泡盛を一口飲んだ。琉球ガラスの杯を光に透かす。

「いいえ。私が持っているのは、この文書と、代々伝えられてきた口伝だけです。口伝の内容は——『五つの封印がすべて確認されたとき、地下に降りよ』」

「地下」

「摩文仁の地下です。あなたたちは今日、崖の上で亀裂を見つけたでしょう」

 直人の体が強張った。

「見ていたのか」

「いいえ。でも分かります。座標を辿れば、あの崖に行き着く。私も、二週間前に同じ場所に立ちました」

「では、なぜ自分で降りなかった」

 三条の目に、深い感情が浮かんだ。

「降りる資格がないからです」

「資格?」

「私は更新派の直系です。暗号を仕込んだ側の人間。設計図を持っている側。だが、暗号は設計者のために存在するのではない。暗号は、受け取る側のために存在する」

 三条は直人をまっすぐに見た。

「鷺宮さん。あなたは修復士だ。偶然に二重和紙を発見し、自分の意志でここまで辿り着いた。暗号が届くべき相手は、設計者の子孫ではなく——あなたのような人間です」

「俺のような——」

「何者でもない人間。国家の中枢にも、旧体制にも属さない。ただ、手に取ったものの責任を引き受けようとする人間」

 直人は杯の泡盛を見つめた。琉球ガラスの青が、液体の向こうで揺れている。

「三条さん。明日、地下に降ります。一緒に来てもらえますか」

「私が?」

「あなたの口伝が正しいなら、地下には暗号の核心がある。その核心を見届ける人間は、多いほうがいい。設計者の子孫、受け取った修復士、制度を守ってきた書陵部の人間——三つの立場が揃って初めて、意味がある」

 三条は長い間、直人を見つめていた。

「……あなたは、実朝に似ていますね」

「会ったことないので分かりませんが」

「記録に残る言葉が似ている。『立場ではなく、意志で人を集めよ』。実朝が維持派との最後の議論で言った言葉です」

 三条は杯を置いた。

「分かりました。明日、ご一緒します」

 窓の外で、那覇の夜がゆっくりと更けていく。

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