第二十一章 断絶の碑
レンタカーで那覇から南下すること四十分。糸満市に入り、海沿いの道を走ると、緑の丘陵が見えてくる。
摩文仁の丘。
一九四五年六月。沖縄戦の最後の激戦地。日本軍の組織的抵抗が終結した場所。ここで数万の命が失われた。兵士だけではない。民間人が——女性が、子供が、老人が。
平和祈念公園の駐車場に車を停めたとき、直人は数秒間、ハンドルを握ったまま動けなかった。
修復士として、多くの歴史的遺物に触れてきた。戦災で焼けた文書。空襲で溶けた金属器。被爆した和紙。物を通して、歴史の暴力を知っている。
だが、この場所は物ではない。土地そのものが傷だ。
真琴がドアを開けた。二人は無言で公園の中を歩いた。
平和の礎が見えてきた。黒い御影石の列が、扇形に広がっている。石面に刻まれた名前。二十四万を超える死者の名前。
直人は名前の列の前に立ち、立ち止まった。
名前の一つ一つに、人生があった。朝起きて、食事をし、誰かを愛し、誰かに愛され、そして死んだ。この石に名前を刻まれることで、存在したことだけが記録されている。
真琴が隣に立った。何も言わなかった。
二人は五分ほどそこに立ち、それから五点目の座標に向かった。
平和の礎の東側を抜け、遊歩道を外れて海に面した崖の上に出た。眼下にコバルトブルーの海が広がっている。風が強い。直人の帽子が飛ばされそうになった。
座標が示す地点は、崖の縁から三メートルほど内側だった。琉球石灰岩の露出した地面。草がまばらに生えている。
直人はしゃがみ、地面を観察した。
琉球石灰岩。サンゴ由来の石灰岩で、沖縄の地質の大部分を構成する。国会議事堂の設計変更で「強度不足」とされた、あの石材と同じ種類だ。
石灰岩の表面を丹念に調べる。風化が進み、雨水による浸食で複雑な凹凸がある。自然の造形と人工の痕跡を見分けるのは、容易ではない。
三十分が経った。
「直人さん」
真琴が、少し離れた場所から呼んだ。
「ここを見てください」
真琴が指さしたのは、石灰岩の割れ目だった。幅十センチほどの亀裂が、地面に走っている。亀裂の中を覗き込むと、暗い空間が見える。
「下に空洞があるようです」
直人は亀裂に顔を近づけた。冷たい空気が下から吹き上がってくる。沖縄の石灰岩地帯には、鍾乳洞や地下壕が無数に存在する。戦時中、多くの人々が洞窟に避難した——そして、多くの人々がそこで命を落とした。
「この亀裂、自然のものじゃない」
直人の目が、亀裂の縁の形状を捉えていた。石灰岩が風化で割れた場合、断面は不規則になる。だがこの亀裂の縁には、わずかだが工具の痕跡がある。誰かが意図的に石を割って、下の空洞への入口を作った。
「入れますか」
「狭い。だが——」
直人は亀裂の幅を測った。最も広い部分で三十センチ。体を横にすれば、細身の人間なら通れる。
「装備が必要だ。懐中電灯、ロープ、ヘルメット。今日は無理だ」
「明日ですか」
「ああ。ホームセンターで必要なものを揃える」
直人は亀裂から離れ、崖の縁に立った。
海が、どこまでも青い。八十年前、この海が血で染まった日がある。
「直人さん」
真琴が、直人の隣に来た。
「この場所に暗号を仕込んだ人間は……ここが戦場になることを、知っていたのでしょうか」
「明治初期の設計者が、八十年後の戦争を予見していたとは思えない。だが、沖縄が日本という国家の中で特殊な位置にあることは——琉球処分の時点で分かっていたはずだ」
「特殊な位置」
「本土と沖縄の断絶。それは明治政府が作った構造だ。琉球王国を廃し、沖縄県を設置した。だが本当の意味での統合は——」
「されていない」
真琴の声に、苦さがあった。
「されていないまま、戦争が来た。そして沖縄は——本土の盾にされた」
風が強くなった。二人の髪が乱れる。
「設計者が沖縄を五点目にしたのは、断絶を記録するためだと思います」と真琴は言った。「勾玉の形が完成しないのは、断絶が修復されていないからだ。沖縄の座標だけがずれているのは、日本という国家が——沖縄を本当には包み込めていないことの表現です」
直人は何も言えなかった。
修復士の自分には、言えなかった。修復は傷を癒す行為だが、この傷は——国家の構造そのものが生み出した傷だ。和紙の裂け目を接ぐように、国家の断絶を修復することなどできない。
では、何ができる。
「明日、下に降りましょう」直人は言った。「何があるか分からない。だが、見なければならない」
真琴は頷いた。
二人は公園を後にした。駐車場に向かう道で、直人はふと振り返った。
平和の礎の黒い石が、夕日を受けて光っている。二十四万の名前が、光の中に沈んでいく。
直人は前を向いた。




