第十三章 出雲の螺旋
真琴が出雲に入ったのは、九月十二日だった。
東京からの移動には新幹線とやくもを使った。尾行の可能性は考慮したが、書陵部の出張扱いにすることで、移動に不自然さを消した。名目は「出雲大社関連文書の現地調査」。嘘ではない。出雲大社には宮内庁が関与する祭祀文書が存在する。
出雲市駅から大社方面へ向かうバスの車窓に、水田と低い山並みが流れていく。東京の密度とは対照的な、ゆったりとした空気。真琴は窓に額をつけ、祖父の言葉を反芻していた。
『載せてはならなかった。』
祖父は何を知っていたのか。そして何を、墓場まで持っていったのか。
出雲大社の正式名称は「出雲大社」ではなく「杵築大社」だった、と祖父が一度だけ言ったことがある。明治以前は杵築大社と呼ばれていたが、明治四年に出雲大社と改称された。
明治四年。太政官文書の年号と同じだ。
出雲大社の境内は広大で、参道を歩くだけで三十分はかかる。松の並木が続く参道を抜け、拝殿に着いた。巨大な注連縄が頭上に垂れている。
だが、真琴が目指すのは拝殿ではなかった。
早川のAI解析が示した「出雲」の座標は、出雲大社の本殿から北東に約八百メートル離れた地点だった。地図上では、住宅地と農地の境界付近。目立った建造物はない。
真琴はバスを降り、住宅地の細い路地を歩いた。Google Mapと早川が送ってきた座標を照らし合わせながら進む。
座標が示す地点に着いた。
何もなかった。
水田の畦道と、古い用水路。それだけだ。
真琴は立ち尽くした。伊勢には石碑があった。東京には石垣の刻印があった。だが出雲には——何もない。
それとも、見えていないだけか。
真琴は畦道にしゃがみ、用水路の縁を観察した。コンクリートで護岸された現代の用水路。歴史的な構造物ではない。
だが——用水路の底に、真琴の目が何かを捉えた。
水面の下、コンクリートの底板に、螺旋状の模様が見える。藻や泥で半ば覆われているが、人工的な線だ。
真琴は靴を脱ぎ、用水路に降りた。水深は十五センチほど。冷たい水が足首を浸した。
底板の螺旋模様を、手で泥を払いながら確認する。
螺旋は二重だった。外側の螺旋と内側の螺旋が、同心円状に巻いている。そしてその中心に——
円の中の崩し字。
刻印。
真琴は震える手でスマートフォンを水面ギリギリに構え、撮影した。
用水路のコンクリート護岸は、昭和三十年代の圃場整備事業で施工されたものだろう。だが底板だけが、異質だった。コンクリートではなく、石材だ。護岸工事の際に、元からあった石の上にコンクリートを被せたが、底板だけは石のまま残した——あるいは、残さざるを得なかった。
真琴は螺旋の全体像を撮影し、直人に送った。
『出雲座標地点。用水路の底板に石材。螺旋模様と刻印を確認。螺旋は二重構造。勾玉の原型に見えます。』
直人からの返信はすぐに来た。
『出雲は勾玉だ。五点それぞれが三種の神器を示唆している。東京=鏡、伊勢=剣、出雲=勾玉。京都と沖縄はまだ未確認だが、パターンは明確になってきた。撮影データを早川に転送してくれ。照合する。』
真琴は用水路から上がり、靴を履き直した。スカートの裾が濡れている。職場の同僚が見たら驚くだろう。宮内庁書陵部の九条真琴が、出雲の用水路で泥だらけになっているなど。
だが、真琴の胸にあったのは狼狽ではなく、奇妙な充実感だった。
祖父がこの場所を知っていたかどうかは分からない。だが、祖父が「いつか誰かが見つけなければならない」と言ったものの一部を、今、自分が見つけている。
真琴は用水路の石板を振り返った。螺旋が水面の下でかすかに光っている。
出雲の螺旋。
それは勾玉の胎動のようだった。




