7話 名前
執務室の扉を、慌てた様子で兵士が開けた。
いよいよ攻撃が始まったのかと思ったが、
「子供たちがいない」という報告だった。
なんてことはない。私が自由時間を与えた。
正義の味方を名乗り、わざわざ警告をしてくるような連中だ。
時間を違えるような悪逆非道はすまい。
ちょうど日誌を読み終えたところだ。
私も向かうとしよう。
彼らが行く先は限られている。
私は車を出し、ラ・リサッカへ向かった。
店内には15人の子供たちが押しかけ、
カウンタもテーブルの席も占領している。
皆、項垂れたままだった。空気が淀んでいるように重苦しい。
注文の跡も見当たらず、ただならぬ雰囲気に店員が狼狽えている。
私がここに来るまで、ずっとこの調子だったのだろうか。
私が入店したときも、彼らは私を見ることはなかった。
しばらくの後に、誰かが口を開いた。
「降伏すれば助かるんでしょうか」
今、嘘を言っても仕方ない。
「断言しよう。助からない」
残酷なようだが、告げなければならない。
「平然とテオブロマ・ダストを使う連中だ。
より凄惨な実験体とされるのが目に見えている」
「嘘だ!」
テーブルに拳を打ち付ける鈍い音が響いた。
突然の大きな音に、店員の肩がビクンと震えた。
「奴らの狙いは、ハウンドの戦闘データだ。諸君らではない。
データさえ手に入れれば、諸君らがどうなろうと関係あるまい。
一方で、研究対象として脳だけを採取され解析される可能性はあろう。あるいは……」
「やめてください!」
1人が叫んだ。耳を塞ぐように両の手で頭を抱え、蹲る。
構わず、私は続けた。
「本日0000。奴らの侵攻が始まる。私は諸君らに出撃命令を下すことになる」
沈黙が続き、ラジオの僅かな音量が流れる中。
「もう、無理ですよ。出撃なんて……」
震えながら、誰かが声を絞り出した。
その僅かな抵抗すらも、私は無視した。
「戦えない者は島民と共に避難せよ」
皆の視線が、一斉に私に集まった。
「そんなこと、許されるわけが……」
「この島には公式の戦力がない。故に軍属も皆撤退する。
諸君らが避難したところで、敵前逃亡にはあたらん。だが……」
私は言葉を区切り、皆に視線を返してから、続けた。
「高尚なことは言わん。タイキの仇を討ちたい者だけ、私と共に来い」
その名を口にした途端。空気が少し変わった。
彼らの震えが、止まった。
「タイキの……?」
「ああ、そうだ。カズマ」
「共に来いって。どうせ司令だって逃げるんでしょ」
「いいや、ミノル。私は残る」
どよめきが走り、子供たちが顔を見合わせている。
「なんで!?」
「テツヤ。私無くして、誰が諸君らを指揮するのだ」
「でも!」
「危ないですよ!」
「ゲン。マサキ。
私には島民を無事に避難させる責任がある。
その責任を果たす。大人とはそういうものだ」
彼らを真っ直ぐ見つめながら、1人1人に言葉を返した。
「司令。僕達の名前なんて、いつ覚えたんです?」
「申し訳ないが、ついさっきだ。エイジ。全て前任が名付けたようだな」
少しだけ、子供たちの目に光が灯ったような気がした。
「僕は……?」
「簡単だな。リョウマ」
「え、じゃあ、俺は!」
「僕の名前は!」
「リト、アキラ。同時に話すな。聞き取れん」
目の焦点すら合わないほど虚ろだった表情が、
名前を呼ばれると共に変わっていく。
今は笑顔すら浮かべている。
「諸君らは、自身の尊厳を自らの手で守る義務がある」
「尊厳って?」
「奴らの好きにさせるな、ということだ。ツカサ」
「守ったら……何が変わるの?」
「僕達、助かるの?」
「ユウヤ。ジュン。結果は変わらないかもしれない。
この際ハッキリ言おう。助かる保証などどこにもない。
だが少なくとも……タイキの弔いにはなる」
「でも、怖いよ」
「俺も……」
それでもなお、恐怖が消えるわけではない。
だが、それでもいい。
「ヒロ。シロウ。怖くて良い。当然の反応だ。
戦える者だけでいい」
そして、衣服に『011』のナンバーが縫い込まれている少年。
「ショウ」
その名を呼びかけた。
「司令。みんな、朝は食欲がなかったので……」
ショウはまだ、声が震えている。
「このままではブドウ糖が不足し、戦えません」
それでも目線を私から逸らすことなく、柔らかな表情で、続けた。
「皆に、パンケーキの使用許可を」
少し遅れて。
「俺も!」「僕も!」と、口々に皆が呼応した。
それが彼らなりの決意表明だと理解した。
既にその顔は、恐怖に怯える子供のそれではない。
死地に赴くと分かっていながら覚悟を決める、ベテラン兵士の顔だ。
「いいだろう。
この店の砂糖を食い尽くしてやれ」
「急いで用意しますね!」
店員も状況を察し、本来の仕事に戻った。
店員はパンケーキを欲する者に挙手を促したが、
ショウだけは手を挙げなかった。
「ショウはいいのか」
「私は……お姉さん、いつものコーヒーを下さい。砂糖を3つ入れて」
「特別ブレンドね。今お持ちするわ」
「食べすぎてしまうと……いざというときに判断が鈍りますから」
自分にだって兄弟を守る義務がある、と。
ショウは年長者としての振る舞いを続けていた。
その役割を負うことで、自身の恐怖と戦い続けているのかもしれない。
コーヒーを受け取ったショウは、その香りをかぎ、目を細めた。
「昔。前任のあの人の真似をしたくて。
それでコーヒーを飲もうとしたら、苦くて。飲めなくて。
当時は私が最年少でしたから。『産まれたてのガキが無理するな』って」
ショウの前にも『子供たち』が存在していた。
10番より小さい番号を持つ者たち。
その頃は、ショウが末っ子だった。
「私のために、と。苦みと酸味を抑えたブレンドを考えてくれました。
風味も、フルーティにしてもらって」
ショウは穏やかな笑顔を浮かべたまま、
当時のことを思い出している。
「懐かしいな。
……先に産まれた皆が活動を停止する度。
あの人は墓標を作って、その子の好物を捧げていました。
さっきの司令のように、ね」
以前「戦うために産まれてきたのに」と嘆いていた11番とは、
まるで別人のように穏やかだ。
先に産まれた子供たちが1人、また1人と寿命を迎え、
いつしか年長者となった彼は、きっと、彼なりに大人であろうとしていたのだろう。
「そんなことをして何になるのか、理解できなかった。
今だって、きっと理解はしてないですよ。
でも、ありがたいなって思います」
それからショウは何も言わず、ゆっくりとコーヒーを飲み始めた。
「あの。お疲れではないですか?パンケーキ、あなたも良かったら」
リサッカの店員は気を利かせて私に声をかけた。
「……いえ、すみません、お仕事中ですもんね」
「1つ、いただこうか」
* * *
「ブリーフィングを開始する」
整列する子供たちには、もはや迷いの色は見られない。
15名の子供たちと、基地に残った私が1人。
司令室にはオペレータも。
ハンガーには整備兵も残っていない。
「奴らが宣言の通りに動くなら、攻撃開始は0000。
島民の避難完了予定時刻は0030。
避難完了までの30分、諸君らは敵を引きつけ船の安全を確保する」
「司令。奴らが大量に爆撃を仕掛けてきたら?
私たちだけでは限界があります」
尤もな質問だが、私には確信がある。
「それはない。奴らは警告をしている。
警告などせず、さっさと爆撃なり何なり侵攻すればいい。だが、それをしない。
つまり、奴らはサーバがどこにあるか把握していない。
だから迂闊に大規模攻撃ができないのだ」
「でも、TBダストはリークされたんでしょ?だったら情報は筒抜けでは」
その反論も尤もだが、根拠はある。
「全てを知っているなら、タイキを捕らえた後、
生かした状態でサーバにアクセスしていたはずだ。
だが、失敗した。奴らは、全ての情報を得ているわけではないのだ」
だからこそ、奴らは投降を促しているのだ。
「例のダストを使われたら?」
「必ず使ってくる。
観測次第、報告せよ。
そしてカメラの解像度を最低にして対処せよ」
優秀なセンサーのみを破壊するその性質を、センサーの感度を下げることで無効化する。
「そうなればもはや、ただのブロックノイズに他ならない」
アナログな対処法だが、これなら無数のフィルム片も意味を為さない。
* * *
そして夜が更け、日付が変わらんとする頃。
無線機がアークスからの通信を拾った。
「時間だ。人道に反する者たちに正義の鉄槌を下す。これより攻撃を開始する」
空からは轟音が聞こえている。
レーダーにもその機影を4つ捉えている。
大きさから、輸送機か。やはり爆撃機ではない。
奴らは島に爆撃や艦砲射撃を仕掛けることができないのだ。
明らかに、サーバの破損を恐れている。
それならば。抗戦あるのみ。
「全機、ウェポンフリー」
あとは彼らの健闘を祈る。
「交戦を許可する」




