5話 アークス
私がまだ子供だった頃。
酔っ払った父がある日、犬を連れて帰宅したことがあった。
首輪のない大型犬。汚れはあったが毛並みは整っており、人にも慣れている。
父に懐き、家まで着いてきてしまったのだという。
飼い主が見つかるまで一時的に犬を飼う。
ペットを飼うことが許されなかった家で育ったのだ。
私が狂喜乱舞したのは、言うまでもない。
意気揚々と散歩に連れて行こうとした私だが
当時は力も弱く、運動も苦手だったこともあり、
大型犬の走る力に負け転んだ私は、そのままリードを手放してしまった。
犬は一度振り返ったものの、私を置いて走っていき、とうとう見えなくなってしまった。
父は「本当の家族のところに帰ったのだ」と私を慰めた。
しかし翌日。
車に撥ねられ横たわる大型犬の変わり果てた姿を、私は目撃した。
* * *
少年時代のことを思い出していた。
私が手を離さなければ、あの犬の運命は変わっていただろうか。
「司令。着きました」
「26番の機体です」
敵が潜んでいる可能性が考えられる。
近くで待機していた25番のハウンドと、数名の護衛と共に、
26番の反応が途絶えた地点を訪れた。
横たわる26番の機体。
ジープからの光が、機体周辺で無数に反射している。
車を降りると、
細かいフィルムのようなものが一面に散らばっているのが分かった。
1つを指先でつまむ。
1~2cmほどの欠片。光沢があるものの、他に目立った特徴はない。
26番の言っていた『雪』とは、これのことか。
だが、これは一体なんだ。
機体に目を向ける。
ハッチの縁が不自然に曲がっている。
外側からこじ開けられたようだ。
コクピット内部を懐中電灯で照らす。
シートや周辺に血液が付着している。
1つの銃痕も確認した。
あのとき最後に聞いた銃声がもたらしたものだ。
26番に繋がれていたであろうケーブルが何箇所か破損している。
無理やり引き千切られたと見られる。
26番の姿はない。
代わり、血液の痕跡が点々と森の奥へ続いている。
あのとき……
動作を停止した26番の機体に何者かが忍び寄り、
ハッチをこじ開け、26番を撃った。
そしてコクピットから無理やり引きずり下ろした。
ここまでは状況からは明白だが、何のためだ。
敵を殺すためだけなら、こんな手の込んだことは不要だ。
地面に付着した血痕を追い、木々をかき分け進む。
暗闇の先に光を照らし、群がっていた野犬どもを追い払うと
そこに食い散らかされた26番の遺体を確認した。
思わず目を覆いたくなる。
目を瞑ったところで、かつて見た大型犬の最期の姿が瞼の裏をよぎった。
長く息を吐き、遺体を回収しようとした。
そのとき司令室から無線が届いた。
「26番の反応が」
「ああ、遺体を確保した。これより帰投する」
「遺体ですって!?じゃあ、これは……?」
オペレータの声が驚きの様子に変わった。
「何者かが、26番のIDでサーバにアクセスを試みています!」
「なんだと!?」
急ぎ26番の機体に戻る。
だが、風の音と波の音しかしない。
周辺にもコクピット内にも、あやしい人影は見当たらない。
相変わらず、ライトに照らされたフィルム片が光を反射している。
オペレータは続ける。
「生体認証キーのエラーで侵入は弾かれましたが……。
26番機からのアクセス権を削除します」
「サーバはスタンドアロンではないのか」
「ハウンドの接続ユニットがあれば話は別です」
ハウンドに搭乗した『子供たち』だけが、
機体の接続ユニットと自身の生体認証キーを使ってのみ、
蓄積された膨大なデータの恩恵を受けることができる。
即ち、データの海にたどり着くには、ハウンドと『子供たち』のセットが必要だ。
「接続ユニットが抜き取られています」
機体を調べていた同伴の兵士が告げた。
これで敵の狙いはハッキリした。
『子供たち』の戦闘データだ。
* * *
「貴官のレポートは見事だったよ」
この度の襲撃を報告すると共に、有事に備え本土へ増援を要請したものの、
返答は冷ややかなものだった。
「戦力を再編し、より重要な拠点を手厚く守る。
削減される予算の中で、その指針を示した。
実に合理的だ。早速、実践してくれたまえ」
「しかし!実際に損害が……」
「島の評価値はマイナス。違うかね」
その解は私自身が導いたものだ。
分かっていたとはいえ……やはり増援は期待できない。
侵攻があれば避難し、別の拠点で迎え撃つ。
それが合理的であることに、反論の余地はない。
だがサーバはどうなる。
巨大な機械だ。運び出す時間はない。
我々が退けば、奴らは本体を直接調べ、時間をかけてセキュリティを突破する。
物理的にコンピュータを抑えられてしまえば、接続ユニットも認証キーも意味を為さない。
いずれ、すべてのデータを奪われることになる。
そのデータは敵国パイロットの教本として利用され、
あるいは無人機のAIへと転用される。
そうして生まれた脅威は、
いずれ他国に、あるいは我が国に、牙を剥くことになる。
大きなマイナスだ。退くことは許されない。
かといって、進むこともできない。
これを八方塞がりと言わず何と言う。
苛立ちから受話器を叩きつけようとした、そのときだった。
基地の広域回線が、ノイズ混じりの割り込み通信を拾った。
『我々は武装人権団体アークス』
なんだ、これは。
どこから電波を飛ばしている。
そんな名称は聞いたこともない。
周囲にいた通信士たちも、同様の色を隠せない。
『非人道的なプロジェクトの即刻停止を要求する。
子供たちを直ちに解放せよ。繰り返す……』
これはテロ組織の声明文か?
脅迫のつもりか?
そんなことより。
こいつらが……26番の命を奪った者の正体か?
司令室の空気が凍りつく中で、
私の頭の中は、どこか沸騰していくような感覚を覚えた。
『24時間以内に要求に応じない場合、武力による解放を実行する』




