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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

一週間の終わらない戦争

作者: 白い線路
掲載日:2025/10/25

私はまた、同じ朝を迎えた。

 目を開けた瞬間、耳が破裂した。

 空気が震えていた。

 世界が軋む音だった。

 肺に何かが入らない。

 息をしても酸素が腐っている。

 喉を通るたびに、内側が焼けた。


 街のシンボルは、順番に崩れた。

 塔、時計、広場の像、学校、病院。

 それぞれ違う方向に倒れ、粉塵が街を覆う。

 風は吹いていないのに、砂だけが舞っている。

 耳の奥で何かが破裂し、音が続いていないのに、耳は鳴り止まないBGMを探していた。


 制度を司っていた者たちは机に伏し、どの画面もほとんど暗く、かろうじて文字列だけが点滅している。

 言葉が空気の中で折れている。

 意味が、呼吸よりも早く死んでいく。


 私はそれを見ても、理解の輪郭をつかめない。

 思い出が、体の内側から剥がれていく。

 痛みも懐かしさも、どちらも現実の感触を持たない。

 世界が壊れるとき、人はまず知覚の奥行きから崩れるのだと知った。


 永遠に終わらない、ループする一週間の戦争から、また抜け出せないのだと知る。


 月曜


 空から、雨と同じ音で、冷たい鉄が降り注ぐ。

 当たった人の体は音を立てて裂け、その音は地面の血と混じる。

 倒れた人の指先が、何かを掴もうとする。

 だがそこには何もない。

 風がないのに、血の匂いだけが広がる。


 火曜


 子どもが目の前で喉をかき切られ、殺される。

 私は抱きかかえる。

 腕の中で、体温を失っていく。

 血が服に染み、体が冷たくなるのを感じる。

 喉の奥で潰れた声を繰り返す。

 同じ言葉を、何度も。

 そのうち声は、言葉ではなく、空気を裂くだけの音になった。


 水曜


 街のいたるところで、親が子を探している。

 名前を呼ぶ声がサイレンのように響く。

 サイレンが鳴り止むたびに、新しい声がまた上がる。

 夜になると、誰も声を出さなくなる。

 声を出した者が撃たれるから。

 その沈黙の中に、虫の音だけが戻ってきた。

 それも、どこかで誰かが録音した音だった。


 木曜


 服の色が灰に染まる。

 汚れではなく、もはや布そのものが灰色になる。

 鏡を見ると、自分の顔の輪郭が薄れている。

 区別がつかない。

 他人の顔と自分の顔が、入れ替わっても誰も気づかない。

 人々は互いの名前を口に出さずにすれ違う。

 その沈黙が、街の新しい言語になった。


 金曜


 地図が意味を持たなくなる。

 建物の位置が夜ごとにずれる。

 写真の中の景色も変わる。

 誰かの笑顔が消え、代わりに影が残る。

 私はそれを見ても、もう驚かない。

 時間さえも、私の不感症を模倣しているようだった。


 土曜


 人々は自分の名を捨てる。

 名を呼ばれることが、死刑宣告のようになる。

 希望という言葉は、発音できなくなる。

 口の中で舌が動かなくなり、誰も未来の話をしなくなる。

 夜明け前に、多くの人が自分の喉を切る。

 血の匂いが朝の空気に混じる。

 その匂いで、朝だとわかる。

 空は白く光り、鳥の声はもう再生されない。


 日曜


 人がいなくなる。

 靴だけが道に散らばっている。

 街の中央に立つと、音が一つもない。

 風すら、息をしていないようだった。

 私は誰かを呼ぼうとした。

 声が出なかった。

 それでも口を開ける。

 喉が乾いた音を立てる。

 それが、この世界で最後の音だった。


 そんな一週間を、永遠に繰り返す。

 それでもどこか、感覚は麻痺を許してくれない。

 毎朝、起きると隣には黒くなった牛乳が置かれている。

 飲んだ人間から、敵がなんなのかを知覚したかのように、どこかへ駆け出す。

 この世界にはそれ以外に喉を潤す手段はない。

 それを横で見ている私は怖くて、飲もうとすれば手が震え、結局は飲めない日々を繰り返す。


 こんな絶望的な世界だとしても。

 戦わなかったら勝てないとしても。

 飲まない。

 飲んだら人でなくなると、知っているから。


 私の隣でライフルに弾を詰めようとしている。

 その口ぶりは軽やかで、今から人を殺すとは思えない。


「その銃で何をするんですか?」


「どっちが正しいか見せつけるんだ」


「敵に何かされたんですか?」


「昔撃たれたことがあるから復讐するんだ」


「それって誰に撃たれたか覚えてるんですか?」


「そう言われたら覚えてないな」


「じゃあ何でやるんですか?」


「世界がそうすれば安心できると言うから従っているだけだ。俺の意思じゃない。俺は悪くない」


「なるほど」


 その欲望が火薬になり、弾は発射の合図を待つ引き金となると理解した瞬間、私たちはもう後戻りできなかった。


 朝の霧は油の匂いを帯び、地表は黒い泡を吹いている。

 ここはかつて街だった。今は焼けた骨のように戦列が連なり、旗は灰に溶けて下がっている。

 柱は折れ、広場の床は波打ち、人影は断片になって転がる。

 足元の土は湿って、指先にまとわりつく。そこに立つだけで皮膚が薄く剥がれるようだ。


 銃声は会話にならない。

 発射のたびに、誰かの顔の表面が剥がれ、眼球が空を見失う。

 血は土に吸われず、空気に糸を引いて浮かぶ。香りは鋭利で、呼吸は切削される。

 誰かが叫ぶ前に、もう別の誰かが動いていて、互いの動作を鏡写しに再現する。

 そこに理由はない。理由は欲望の連鎖だ。生き延びる理性ではなく、模倣が形作る燃えさしだ。


 何と戦っているのか。

 それはひとつの形をした差し替えだ。

 見えない過去の痛み、誰かに与えられた名前の重み、誰も自分で持て余す誤差を消すための単純な手続き。

 撃つことは、痛みの源を物理的に照らし出す行為ではなく、痛みの所在を消すための儀式になっていた。

 銃を撃つと、そこにあったはずの記憶の輪郭が焼け落ち、代わりに仮設の秩序が立ち上がる。

 その仮設の秩序がまた誰かの欲望を刺激し、次の火薬になる。終わりはない。


 何のために戦っているのか。

 復讐という言葉はここで意味を持たない。

 復讐は手続きの名札でしかなく、名札は次第に薄れていく。

 人々は何かを消すという動機の中に安息を見つける。消去は安心になる。誤差が消えれば世界は整理される——そんな幻想だ。

 それは他者を壊すことで自分の内部の騒音を沈める、自己鎮静の暴力だ。

 だから戦いは先制的に、意味を作る前に始まる。未来のズレを予め潰すために、今、誰かが撃たれる。


 欲望の狂気性は静かに作用する。

 ある者は他者の痛みを取り込んで自分の中で反芻し、別の者はその反芻を見て同じ形を模倣する。

 模倣は増幅器だ。小さな傷が反復されるたび、振幅は大きくなり、やがて全身を破裂させる。

 復讐の対象が誰だったかを忘れても、行為だけは繰り返される。行為が正当化の代わりをする。

 行為が積み重なり、やがてそれ自体が目的に変わる。生き残るためではなく、連鎖のために撃つ。


 戦場は記憶の解体場だ。

 碑文は崩れ、像の首が転がり、祭壇の灰が舞う。

 ここでは歴史が毎夜書き換えられる。写真が夜ごとに別人の顔を映す。地図の線は朝にはズレる。

 戦う者は知らぬ間に過去を奪い、未来を売り渡す。

 勝利とは何かを奪い去ることであり、奪い去られたものは二度と戻らない。残るのはただの空洞だ。


 私の隣の男は笑う。

 笑いながら弾を込め、笑いながら引き金を引く。

 弾丸は肉を貫き、骨を砕き、血は地面に輪を描く。輪はすぐに乾き、次の輪が生まれる。

 笑いは儀式を滑らかにし、痛みを記号化する。記号は次の行為の導線になる。


 ここに立つことは観察であり、また加担でもある。

 黒く濁った牛乳の入れ物が並ぶ小屋の前で、私は手が震えて飲めない。

 飲む者は瞬間的に別の現実を獲得する。目が曇り、動きが速くなり、決断が鋭くなる。

 飲んだ者はすぐさま走り出し、そのまま列に加わり、また誰かを撃つ。味覚は奪われ、代わりに確信が挿入される。

 その確信は虚飾で、欲望に火をつける燃料だ。やがて飲まれた俘虜は、元の自分を思い出せなくなる。


 私たちは何のためにここにいるのか、時折問いかける。問いはすぐに掻き消される。

 問いを出した者が無関係に撃たれ、その沈黙がまた別の問いの出発点になる。問いの輪廻。

 戦う理由は、もはや明晰な主張ではなく、深く浸透した模倣の回路そのものだ。

 欲望はその回路に沿って流れ、たとえ源が虚ろでも、流れは止まらない。


 夜になると、どこかの塔が燃え、残像が空にひらめく。炎は形を持たず、色を忘れ、ただ熱だけを放つ。

 熱は記憶を蒸発させ、皮膚の下の感覚を麻痺させる。麻痺した身体がさらに撃ち、麻痺は連鎖する。


 戦いの終わりは来ない。

 終わりのように見えるのは、ただ消耗の一瞬だ。誰かが倒れ、列が乱れ、別の列ができる。

 私たちは不在の対象に向かって毎朝弾を詰める。誰に向けているのかは重要ではない。重要なのは、引き金が引かれることだ。

 そこに、秩序が生まれる。秩序は痛みの分配表であり、分配された痛みは秩序を永続化する。


 私が知ったことがある。

 何を守るために戦うのかを決めるのはいつも欠落だ。守るべきものは既に壊れているか、最初から存在しなかった。

 それでも撃ち続ける。撃つことで自分の位置を確かめ、撃つことで自分を忘れさせる。

 欲望は火薬になり、模倣は雷管になり、儀式は発火点になる。すべてが機械仕掛けに組み込まれ、誰も止められない。


 私は隣の男の手からライフルを奪わない。奪う行為が別の誤差を生むと知っているからだ。

 代わりに、黙ってそこに立ち、弾丸が飛び交う音を数える。

 数が増えるたびに、私の内部の何かが少しずつ崩れていく。

 それでも問いは消えない。何と戦って、何のために戦っているのか。問いは血の匂いに混ざり、煙とともに上がっていく。

 答えは見つからない。だが欲望は今日も火を吹き、世界はまた一つ、形を失っていく。


 目が覚めると、また月曜になっていた。

 空は色を失い、世界の輪郭がまだ柔らかい。

 遠くで黒い牛乳を配る者がいた。

 顔があるのかも分からない。

 その存在は温度のようなもので、どの方向からも滲んでいた。

 私の足元に、瓶が置かれている。

 中の液体はゆっくりと回転していて、光の死骸のような色をしていた。


「貴方は誰?」

 その存在は静かに笑った。

「誰かという概念は、君たちが互いを殺すために作ったんだ。

 自分はただ、供給しているだけだ」


 私は瓶を指さす。

「じゃあ、なんで牛乳が黒く染まるの?」


「理想主義者は、純粋な思想だけが世界を救うと信じて誤りを犯す。

 逆に現実主義者は、混ぜものの中にしか真理はないと信じて、やっぱり誤りを犯すんだ。

 この液体はね、文化の沈殿物なんだよ。

 記憶が濾過され、意味の粒が死骸みたいに底へ沈む。

 それを飲めば、誤差が消える。

 でも、誤差が消えるっていうのは——

 君たちが世界を理解したと錯覚する、ただそれだけのことなんだ」


「理解は学校で習ったから知ってるよ。叩かれたら痛いって」


「知性に判断を控えるよう要求することは、その理解能力を損なう。

 理解は、価値判断において頂点に達するんだ。

 今の時代にその理解なんてものがあるとは、思えないけどな」


「じゃあ、どうしてそんなものを配るの。

 子どもの首にナイフを刺して、銃に弾を込めてたよね。

 あれ、全部あなたでしょ」


「あぁ、そうだな」


「あなたは理解できるのに、しないんですね」


「俺に理性があると思うなら大間違いだぜ」


「貴方は何者なの?」


「俺のような漠然とした形のない存在すら殺そうとするんだな。

 文明人は怖いな。

 自分の信じるものを批判できるのに、それでもなお信じ続けられるんだから」


「私は信じてるんですかね?」


「信じてるさ、そうじゃなかったらこんな世界に迷い込んだりはしねーよ」


「私は抜け出せるんですか」


「可能性はあるが、俺頼りな間は無理だな」


 戦場の中で、その存在の周りだけはやけに静かだ。

 風も吹かず、ただこの世界の大きな意志の主体であるかのように、この世界のどこでもない場所にいる感じがする。


 その存在は話を続ける。

「文化を壊すのに、暴力なんていらないって知ってたか?

 理解という行為そのものが、文化を殺すんだ。

 君たちは殴るよりも速く、解釈で世界を破壊している。

 裏を返せば、自らを生み出した独自の価値への無関心によって、死んでいくんだ。笑っちまうだろ」


 私は目を伏せた。

 瓶の中の渦が、呼吸に合わせてわずかに揺れる。


「世論は、意見の集まりなんかじゃない。

 むしろ、意見そのものが世論の反響なんだ。

 同時代人のように考えること——

 それは、繁栄の処方箋でもあり、愚かさの証明でもあるんだ」


 私は瓶を拾い上げる。

 手の中でぬるい液体がわずかに泡立つ。

 その泡が、記憶の形をしていた。

 街が崩れる音、子どもの喉の断裂、血の乾く匂い。

 すべてが、一本の線に還元されていく。


 存在は言った。

「飲むか飲まないかは、もう選択じゃない。

 選ぶという仕組みがすでに飲まれている。

 だから、飲まなくても、君の舌はすでに味を覚えているんだ」


 私は飲んだこともないのに、牛乳だということを既に知っていた。


 私は瓶を地面に置いた。

 ガラスの中で、渦が止まる。

 世界も同じように止まった気がした。


「それでも、まだ壊していないのは何故?」

 存在は言った。

「壊さない限り、壊れることの意味は残る。

 それが、最後に残った文化だよ。」


 風のない場所で、埃が立つ。

 それが、まだ世界が生きている証のように思えた。


「最後に一つだけいいですか」


「その質問には答えられないな」


「どうして」


「君が手を離す気がないからさ」


「どういう事ですか」


「君は心を乱すことを選んだ。見たいものだけを選び、その聖域を守る。

 誤差のない理想の自己に飼われる——そんな存在だ。

 この世界では平気でも、詩の中では違う。

 そこで起きているのは、君自身の手による殺人だ。

 交換不可能なものを無理やり与える——それが殺すということだ」


「私そんな事してないですよ」


「じゃあ、君が今持っているライフルは何だい」


 気がつくと、手にはライフルを握っていた。冷たい金属の感触が、掌の溝に焼きつく。

 引き金の位置が舌の裏側のように馴染んでいる。音が遠のき、世界は細い管の中で脈打つように縮む。

 存在の声が、ガラス越しの水のようにゆらめく。


「そのライフルを持てるのは、ここが地獄だからだ。

 天国には階級がある。

 社会にも魂にも、まだ段差があるうちは、欲望はぎりぎりのところで踏みとどまっている。

 だがその階層が崩れると、欲望は中央へと流れ込み、世界を押し潰していく。

 大衆の嗜好は、優れたものを嫌うことじゃない。

 良いものも、凡庸なものも、醜いものも——区別なく受け入れてしまう、その受動性のことだ。

 悪趣味なんじゃない。ただ、趣味そのものを持たないだけさ。

 そして、何も持たない者の手には、気づけばライフルが握られている。

 理由もないまま、引き金だけが磨かれていくんだ」


 私は声を震わせた。

「私は、誰も殺してなんていない」


 存在は笑った。

「いつから、自分だけは違うって思い込んだんだ。

 自分の人生を観察し、考え、語る者だけが、自分の人生を生きている。

 残りの者は、人生に生かされてるだけさ」


 私はゆっくりと目を伏せた。

「私はとっくの昔に——あなたに殺されてたんだね」


「あぁ。ようやく気づいたか」


「ありがとう。死んでることに気づかせてくれて」


 私は手に持っているライフルを口に押し込む。


 存在は少しだけ目を細めた。

「もう、すでに君は死んでる。

 世界は、二度目の死を許さない。

 だが、死の刻印を恐れる必要などない。

 それを終わりと見るか、誰にも染まらずに自分の血で染め直す生と呼ぶか——

 それは君の手に握られてるのだから」


 言葉はもう必要なかった。

 存在の論理が、薄い膜のように胸の中で裂ける。

 手は自然と引き金へと滑り、冷たい金属の感触が歯の奥で震える。

 世界が一点に潰れ、外界のすべての音が吸い込まれていく。


 金属の冷たさが舌を打ち、意識が遠のく。

 存在の視線が、私の眼球の奥を透かし、どこか遠くを指さす。

 そこにあったのは——奪われる前の名や顔ではなく、欠落が残した鮮やかな空白だった。


 引き金に指をかける。

 沈む感触が、誰かの記憶の終わりを告げる鐘のように胸に響いた。


 目を覚ますと、戦争のない世界に戻っていた。

 スマホのアラームが鳴っている。

 何だったんだろう。


 アラームは単調に繰り返し、部屋の空気だけがそのリズムに応じて震える。

 窓の外の街灯は、いつもの灰色をしている。

 掌に残る冷たさだけが、本当にあったことを示していた。


 指先で触れると、金属の跡がなまなましく疼く。

 何かが消えたのか、戻ったのか、それともただ夢が割れただけなのか。

 わからないまま、目眩が薄く広がる。


 スマホを見つめ、アラームを止める。

 画面の上で、もう一度だけ時間が点滅する。

 時計の針は進み、世界はそれを受け入れる。

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