第4話「薔薇に潜む影」
深夜、城の庭園は凍りつくような静寂に包まれていた。
月光に照らされた薔薇は白銀に輝き、その美しさの裏に、どこか冷たい毒を孕んでいるようだった。ルナは手を胸に当て、闇の中をゆっくり歩いた。
「……どうして、こんなに息が詰まるのだろう」
視線の奥で、昨夜の公爵との稽古の記憶がよみがえる。力は制御できたが、まだ不安定だ。
その時、薄暗い薔薇の影から、セレスティーナの声が聞こえた。
「……あなた、また公爵に褒められたのね」
ルナは振り向くと、セレスティーナが薔薇の間から顔を出していた。銀色の髪が夜光に揺れる。
「……どうして、私を敵視するのですか?」
「敵視? ふふ、違うわ。ただ……あなたが私の影を踏まないか、少し心配なだけよ」
その言葉には、わずかに哀しみが混じっていた。ルナはそれを見逃さず、心の中で理解した――彼女もまた、悲しい運命の中に縛られているのだと。
その瞬間、庭の奥で小さな物音がした。ルナの身体が反応する。
闇の力が手のひらに集まり、鋭い感覚が庭の異変を告げた。
「……誰か、いる」
ルナが声を潜めると、影の中から複数の人影が現れた。城の使用人たちに紛れた、怪しい者たち。明らかに不自然な動き。ルナは直感的に、これが陰謀の兆候だと悟った。
「公爵様、助けを……」
ルナは咄嗟に声を上げたが、反応はない。そう、今夜は公爵も城内の別の場所にいる。
ならば、自分で立ち向かうしかない――。
闇の力を掌に集中させ、ルナは薔薇の間を駆け抜ける。
影の中の者たちは、突然浮かび上がった漆黒の力に気づき、思わず後ずさる。ルナの目には、冷徹な光が宿っていた。
「退いて……! 私は、契約花嫁です!」
闇の力が渦を巻き、影を押し返す。ルナは震えながらも立ち上がり、薔薇の茂みを駆け抜けると、敵はその圧力に恐れをなし、城の奥へ逃げ去った。
「……ふぅ」
息を整え、ルナは庭に立ち止まった。心臓の鼓動が早い。しかし、それ以上に胸に湧き上がるのは――自分が生き抜ける力を持ったという確信だった。
そのとき、背後で静かに声がした。
「……ルナ」
振り返ると、アシュレイ公爵が庭に立っていた。月光に照らされ、彼の瞳は冷たく光るが、どこか柔らかさも宿している。
「……大丈夫でしたか?」
「……ああ。立派に戦ったな」
「ありがとうございます……でも、まだ怖かったです」
アシュレイはルナの肩に手を置くことなく、視線だけでその勇気を認めた。ルナの心は微かに震えた。恐怖と尊敬、そして奇妙な安堵が混じる。
「だが、油断するな。この城は、君が思っている以上に危険だ」
「……はい」
セレスティーナも、遠くから二人を見つめていた。今夜の出来事は、ルナに力があることを示すだけでなく、彼女自身の複雑な感情を揺さぶった。嫉妬と哀しみ、そしてどこか救われたい気持ち。
この夜、城の薔薇の影は、誰も知らない秘密を抱え、深く息をひそめていた。
――血の契約による力、冷徹公爵との絆、そして悪役令嬢の影。
ルナの戦いはまだ始まったばかりだった。