第2話「悪役令嬢の影」
夜の古城は、想像以上に冷たかった。
石造りの廊下を歩くルナの足音が、静寂を切り裂くように響く。窓の外では永遠の夜が広がり、月光が黒い庭園の薔薇を白銀に染めていた。
「……ここが、私の居場所……なの……?」
心の奥で震える声を抑え、ルナは深く息をついた。村での小さな暮らしとは全く異なる世界。しかし、もう引き返せない。契約花嫁として捧げられた以上、強くならなければ――。
廊下の奥から、低く冷たい声が聞こえた。
「ようこそ、新しい花嫁さん」
ルナはその声に吸い寄せられるように振り向いた。漆黒のドレスを纏った少女が、窓辺に立っていた。
セレスティーナ――かつて公爵の婚約者だった悪役令嬢だ。銀色の髪は月光に輝き、透き通る肌はまるで陶器のようだ。しかし、瞳の奥には鋭い棘が潜んでいた。
「……あなたが、私の代わりにここに……?」
セレスティーナはにやりと笑った。その笑みには嘲りだけでなく、深い哀しみも混じっているように見えた。
「代わり……ですって? ふふ、結構。だけど、私の席は簡単には譲らないわ。あなた、覚悟していてね」
ルナの胸は高鳴った。恐怖と怒り、そして決意が入り混じる。だが、逃げるつもりはなかった。
「……はい。私、ここでできることを全部やります」
その瞬間、ルナの手に異様な熱が走った。心臓の鼓動と共鳴するかのように、力が身体に広がる。契約の血の力――吸血鬼の力が目覚め始めていた。
「……な、何……これ……?」
視界が鋭く研ぎ澄まされ、薄暗い廊下の影まで色彩として捉えられる。夜の匂い、冷たい石の感触、薔薇の香り――すべてが身体に吸い込まれていくようだ。ルナは驚きと興奮で息を詰めた。
その時、背後で柔らかい足音が聞こえた。
「……公爵様、花嫁が早速力に目覚めております」
声の主は使用人の吸血鬼。だが、彼女の視線は公爵ではなく、セレスティーナの方を見ていた。セレスティーナはその視線に微かに動揺したが、すぐに微笑を取り繕う。
「ふん……やるわね、新しい花嫁。けれど、私が望むものはそう簡単には渡さないから」
その言葉にルナは微笑み返す。恐怖や疑念に飲まれそうになる自分を抑え、心に誓った。
――私は、この城で生き抜く。公爵の秘密も、悪役令嬢の真意も、全部暴いてみせる。
夜の闇は深く、城の秘密は重く、そして危険だった。しかし、ルナの瞳は揺るがなかった。血の契約による力と、彼女自身の意志が一つになり、静かに闇に光を灯す。
次の瞬間、城の奥深くで、何かがひそやかに動いた――古の呪いか、隠された陰謀か、それとも血の公爵の悲しい秘密か。まだ誰も知らない真実が、ルナを待っていた。