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 カラスの泣き声が物寂しい黄昏、夕陽が山間の村々を紅に染め、山の影が谷あいに投げかける濃度は次第に増していた。


「ねえ」


 ユウがスクナの袖を引く。さっきまで人々の熱狂が渦巻いていた河原に、今は二人しかいない。


「本当に戦うのですか?」


 スクナは困ったような顔つきで、首だけユウの方に向けた。


「スクナ様!」


「この国は、守らんとならん」


「そんなんこわいさ!」


 いきなり叫んでユウはスクナにしがみついた。


「国を守るためには、いくさになるんなけな。そんなことになったら、わりゃあ様のお命が……」


「でもなあ」


「わりゃあ様が万が一の時は、わりゃあ様に嫁ぐことになっとる私は、どうしたらいいんすか」


 ユウはほとんど涙声であった。スクナはしばらく黙っていた。


「お願いやさ。戦はやめてくれんかなあ」


「戦うんやない。守るんやさ」


 それでもユウは泣きそうな顔で、スクナにしがみついたままうなだれていた。スクナはそれきりまた黙って、ただ対岸の黒い影をじっと見つめていた。


 物見に出ていたモリワケが朝早く、血相を変えてスクナのいる竪穴式の家の土間へと駆け込んできた。


村長むらおさ! 難波の軍が位山まで来た。宮峠を越えたさ!」


 スクナの家は竪穴式とはいっても、中央が図太い柱で支えられている巨大なものだ。たちまち村中の人々がその家に押し寄せ、さすがに巨大な家も人でいっぱいになった。


「さあ、どうするん? おさ!」


 人々が詰め寄る。それでも、スクナは静かに目を閉じている。しばらくしてからようやくスクナは、おもむろに目と口を開いた。


「待つんや。難波の軍とて、いきなり攻めて来たりはせんろう。何か言ってくるはずやさ」


「言ってくるったって、この国を明け渡せとか言ってくるに決まっとろう」


 果たして昼過ぎには、白い旗を立てた一団が川沿いに歩いてくるのが見えた。


「来た、来た、来た!」


 難波の軍の一団は、いずれも甲冑で身を固めていた。その中央に、髭が見事な壮年の男がいた。スクナが出迎えると、男はたちまち地にかがみ、拝礼をなした。


村長むらおさの、スクナ殿とお見受け致す」


「おう!」


「それがしは大王おおきみの勅使で、雄仁おびとと申す者にてござる。この度は飛騨の国の村長殿と会見し、大王様のご意向をお伝え申し上げるよう、総大将の武振熊たけふるくまの命を受けてまかり来しました」


「ご意向とは?」


「は。大王様は村長殿を、あらためて飛騨の国の国造くにのみやつこに任じたいということでして」


 スクナは静かに、目の前にうずくまっている雄仁と名乗った男を見ていた。そして、雄仁を見下ろす形で言った。


「それはつまり、飛騨も難波の朝廷の支配下には入れということですかな?」


「め、滅相もない」


「では何ゆえ、このような山奥の国まで、しかも大軍を引き連れて来られたのです? あなた方から見れば、こんな山ばかりの国は下々の国ではないのですかな」


「実は大鷦鷯大王おおささぎのおおきみ様が、不思議な夢を見られたのでござる」


「夢?」


「は。夢には紫雲に乗った童子が現れて、東の方に飛騨という国があり、そこに宿儺スクナ様という村長殿が住んでおられると告げたとか。なんでも宿儺スクナ様は大鷦鷯大王様と前世ではご兄弟であらせられて、ともに霊山りょうせんにて釈尊に仕え、釈尊の御会座の折には二人で警護を務められたとか。その因縁あるゆえ、ともに手を携えて王道国家を守っていくようにという童子のお告げであったということでござる」


「ふん」


 スクナは鼻で笑った。


からの地の方が考えそうな、でっち上げですな。何しろ私は根っからの大倭人やまとびとでして、韓の地で流布しているという仏法とやらにも、てんで疎くてですな」


 そしてスクナは急に語気を荒くし、


「お帰りあれ!」


 と、大声で叫んだ。温和な顔の男がひとたび怒ると、恐さは倍増する。雄仁の顔も見る見る赤くなっていった。

 しかし、立ち上がるより前に、周りを囲んで事の成り行きを見守っていた村人たちが、一斉に雄仁とその一団に詰め寄った。掛け声とともに村人たちは一団を押し返す。数の面では村人たちの方が絶対に有利だ。一団をある程度まで押すと、村人たちは今度は石を投げ始めた。


「おのれっ! 今に朝廷の恐ろしさを思い知らせてやる!」


 捨て台詞を残して難波の朝廷の一団は、一目散に南の川上の方へと逃げていった。


「もうよい。やめい!」


 スクナの下知が飛ぶ。


国中くにじゅうの村に知らせい。若い男衆は、直ちに霧の海の山に終結せよと。ただし、強制ではないと付け加えておけ!」


「おおっ!」


 人々の狂喜の声が、谷間全体を揺るがした。


 霧の海の山は、そう高いというわけではない。山がちなこの国では、むしろ低い平凡な山の部類の属する丘だ。

 確かに外見はそうである。しかし一度ひとたび入山すると、たちまち神秘的な雰囲気の中に人々は浸ることになる。鬱蒼と茂る密林の中で最初に出くわすのが、一つの根元から幹が五本に分かれた大杉である。

 細い道はくねりながら、さらに森の中を上へと登る。低い山なのに、頂上に着くまではかなりの時間が必要だ。

 霧の朝でも、頂上は常に霧の上に頭を出していた。だから、霧の海の山という名がついた。


 この日は晴れていた。そして静寂なはずの霊域は夥しい数の武装集団であふれた。頂上近くの平らな場所に、山に囲まれた麓のわずかな盆地を見下ろす向きでスクナは座った。

 次から次へと、軍勢は眼下の斜面を這い上がって終結してくる。密林の中の木々の間で、甲冑が見えないところはないくらいであった。スクナは立ち上がって、終結した軍勢の兵士一人一人を見るかのように、無言で一同を見わたした。いつもの温和な顔は、今日はない。


 そこへ奇妙な一団が登ってきた。軍勢をかき分けて、百人ばかりの一団はたちまちスクナのいるすぐ下に達した。最も奇妙だったのは、そののぼりであった。

 二つの顔と四本ずつの手足を持つ巨人の絵が、そこには描かれていた。スクナには彼らが洞窟の中で出会ったあの一団だとすぐに分かったが、それでもあえて黙っていた。

 頭目らしき男が、スクナの足元の崖の下に立って拝礼した。そして男はすぐにくるりと向きを変え、終結している軍勢の方を向いた。


「皆の衆。聞いてたもう!」


 その声は、全山に響きわたるほどの大音声だいおんじょうだった。


「我われはこの日玉の国の守り神である両面宿儺(すくな)様を信奉する者たちでござる。いつの日か必ずやと両面宿儺様の再来を祈念して、洞窟に集っておった者ぞ」


 先に終結していた人々は誰もが息を呑んで、大声を張り上げている男を凝視していた。その声以外は、山は本来の静けさを取り戻していた。


「そして今こそ立つ時ぞ。今こそ、両面宿儺様の再来の時であるぞ!」


 人々の間でざわめきが起こった。男は幟を高く掲げた。そこに描かれているのは守り神というよりも、どう見ても異形いぎょうの怪人だった。

 男はさらに叫びつづける。


「ここに描かれたる両面宿儺は仮の姿。今、そなたたちの目の前におわすこのスクナ様こそ両面宿儺の再来じゃ」


 おおっと歓声が、人々の間で起こった。スクナはそれでも動じようともせず、ただ黙って立っていた。


「超太古、この日玉の国にも皇統はあった。今こそ難波の朝廷を潰滅させ、もとつ国の日玉の国を興そうではないか。日玉王朝を再興し、世界に冠たる神都として蘇らせようではないか! その暁には、ここにおわすスクナ様こそ我らが大王ぞ!」


 歓声はますます高くなった。その時、スクナは一歩前へ出て初めて口を開いた。


「待てーッ!」


 洞窟団の男たちにも劣らない大声であった。


「皆の者、聞けーッ! 出陣に当たって下知を下す!」


 歓声はパラパラと静まり、誰もがスクナの次のひと言を待った。


「敵と戦ってひねりつぶそうなんて考えるな!」


 たちまちどよめきが上がった。誰もが自分の耳を疑っているようだった。


「我われの目的は敵を壊滅させることではなく、ただ盾となってこの国を守ることにある!」


「何とおっしゃる!」


 先ほどの男が、血相を変えてスクナに詰め寄った。


「守るだけとは何事です! 向こうから攻めてくるのを機会にして逆に攻め返し、一気に難波を潰滅させるしかないはず!」


 互いに大声なので、二人のやりとりは兵たちの隅々にまで響きわたっていた。


「俺は大王になる気など毛頭ない。ただ、先祖から受けついだこの山河を自分のものとして、自分たちで守りたいだけだ」


「難波は許さぬぞ。ほかの国ならいざ知らず、この日玉の国ほど彼らにとって都合の悪い国はないからな。何としてでも手に入れようとするに違いない、この国には倭国の、いや全世界の本当の歴史がある。彼らはよそから来た者だから、倭国の支配の正統性がない。だから、この国がもとつ国であったらまずいのだ。よそ者の自分たちが支配しづらくなるものな。彼らは、この国の本当の歴史を抹消しようとしているんだ。だからこそ、日玉の国を目のかたきにしているんだ」


「それは分かっている。しかし、やはり守るだけだ」


 スクナは再び、集結している人々に向かって大声を発した。


「俺の下知に不服のものは、今すぐここを立ち去れ!」


 人々は皆、迷いのどよめきを挙げていた。

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