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 飛騨は「日玉ひだまの国」である。

 日玉とは太陽のこと。飛騨は太陽の直系国で、万古太陽神が天降あまくだりましました聖地、世界の「上々国」なのである。


 そんなことを、いつもスクナに話してくれたじいが死んだ。

 村長むらおさの一人息子の彼を、養育係として厳しい愛情を注いでくれた爺は死んだ。

 わずか十二歳の少年は、これから一人で生きていかねばならない。


 爺が死んだ夜、スクナは一人で駆けた。

 闇の中に黒い影を落とす山が右からも左からも迫っている山間やまあいの、村はずれの川に沿って彼は駆けた。

 涙が風とともに飛んだ。


「いいか、スクナよ」


 死に際に、爺は言っていた。


「亡くなった父君が、どういう思いでその名前を下さったのか、覚えておいてほしい」


 大勢の村人たちでひしめき合っている小屋の中央にしつらえられた寝床の中から、爺は骨と皮だけの手を出して、スクナの顔にあてがった。


「スクナよ。わりも知っとろうが、この日玉の国の守り神は日面ひょうもの洞窟に住む両面宿儺りょうめんすくなじゃ。この国に万が一のことが起こった時は、必ず現われて救って下さるといわれとる。しかしなあ、父君がわりにスクナという名をつけた本当の願いはなあ、いざという時はわりに両面宿儺(すくな)になってほしいということだったのやさ。そういった思いで、父君はそなたにスクナという名をつけたんぜな」


「やだ! 爺! 死んじゃあこわいさ!」


 そのときのスクナには、爺の言葉の奥深いところまでは理解できずにいた。

 そして今、夜の河原を走りながら、爺の謎めいた言葉が彼の頭の中に蘇りつつあった。


 ――わりゃあ両面宿儺(すくな)になれ。


 日玉の国に危機が訪れた時に現われて、人々を護る守護神の両面宿儺。その両面宿儺に自分がなれという。

 爺に言われたときは訳も分からずうなずいていた彼だったが、今は爺の死の悲しみに押されて小さくなりつつも、その心の片隅に確実にその言葉は刻み付けられた。


 日玉の国に国難が訪れたのは、それから十年ほどたった夏の頃だった。

 難波なにわ朝廷みかどの官吏がこの国にも派遣される、そんな風聞が国中の村々を沸かせた。

 時に五世紀の初め、難波の朝廷ももはやこの列島国にしっかりと根を下ろし、今はスクナと同年齢の二代目の大王おおきみが立っていた。

 その即位は爺の死の四年後で、スクナが村長むらおさとなったのも同じ年のことだった。

 だが、その後もこの山間の村には平和な時間が流れていた。


 ところがスクナが村長を継いでから六年目になって、難波の勢力がついにこの山国にも及ぼうとしていた。難波の官吏が派遣されるということは、この山間の国の村々の支配権が難波の朝廷のものとなることにほかならない。


大王おおきみには逆らえん」


 爺が死んだ後に長老格になった、頭の禿げたイワネは言った。

 冬になると白い冠をかぶる祈りのくら祈座岳のりくらいだけ真東まひがしに、その峰に流れを発する丹生川にゅうかわの河原に多くの村人たちが参集する中でだ。


「大王は海の向こうの宋の皇帝より、安東将軍倭王の称号を賜っとる」


「でもこの倭国にとっては、所詮よそ者やなけな。そんなよそ者の支配など受けとうない!」


 若いヌカチも負けてはいない。


「そうじゃ! この国は、おらたちの国やさあ!」


 諸説紛々。


おさ!」


 そのひと言で、皆の視線がスクナに向けられた。


「長! 長のご決断を!」


 スクナはゆっくりとうなずく。

 十年の月日は、彼を少年から体格のいい村長としての風格を十分に持った若者に変えていた。顔は少々肉付きがよいが、どこまでも柔和な笑みの持ち主になっていた。


「そうやなあ」


 そのおっとりとした性格を歯がゆく感じる村人も、時にはいる。

 スクナは顔を上げ、祈座岳を含む連峰に目をやった。幼い頃から変わることなくあの白い山脈は、じっとこの国を見つめ続けてくれていた。ところが今、その国が変わろうとしている。しかも、自分の決断一つによってである。もう時間がない。白か黒かをはっきりさせなければならない。


「従わないとすれば、どうするのか」


 やっとスクナは口を開いた。その言葉に、血気盛んな若者たちは一斉に立ち上がった。


「戦うまでじゃ。戦ってこの国を守るんやさあ」


 それをびしゃっと、スクナは遮った。


「戦いはいけない」


「でも!」


「よう聞け。この村は今までも平和に暮いてきたろう。これからもそうありたい」


「でも、平和を乱すやつとは、戦うしかないけな」


 そう言ったのは、さっきのヌカチだ。スクナは腕を組んで大きく息をついた。そんなスクナにまた村人たちは詰め寄る。


「長! ご決断を!」


 その時、スクナの頭に十年前の爺の言葉が蘇った。


 ――この国に万が一のことが起こった時は、守り神の両面宿儺が現われて、必ず守ってくださる。


 しかし爺は、さらにこう言った。


 ――わりゃあ両面宿儺となれ。


 夜になってからスクナは、丹生川の川沿いを歩いていた。十年前、爺の死をいたんで走ったあの川沿いの道である。後世、歌聖によって「飛騨(びと)の真木流すとふ丹生の川」と詠まれるこの川は、月の光を金粉にして川面に散りばめていた。

 スクナは大きく息をついた。

 官吏派遣を承諾すれば、自主独立していたこの国も難波の朝廷の支配下に入ることになる。拒絶すれば、戦いが待っているだけだ。その難波の支配に甘んじるか戦うかの選択の決断を、明日かあさって中にスクナは下さなければならない。

 その時、右後方に人の気配を感じた。スクナは慌てて振り向いたが、ただ静寂な闇があるだけだった。

 今度は反対の左側で、何かが動く。何者かが自分を取り囲んでいる――そう思ったスクナは心を落ち着かせ、静かに立ち止まった。


 すると目の前に、忽然と五つの人影が現われた。月の光を頼りによく見ると、五人とも頭から足元に及ぶ布をかぶっている。黄、赤、白、青、黒の五色の布をかぶった人々は、立ちすくむスクナの前に出て機敏な動作でひざまずいた。


「スクナ様でございますね」


 最初に口を開いたのは、黄色い布をかぶったものだった。スクナは落ちついて、静かに言った。


「何者か」


「我われは日面ひょうもの洞窟に住む者でござる。村長殿をお迎えに参上(つかまつ)った。難波の朝廷のことで、話がござる」


 そう言われても、スクナは何がなんだか分からない。だからどう反応していいか分からなかったが、五人はスクナに反応する機会を与えずに、川上の方へと歩くように促した。

 黙ってついて行くことにしたのは相手の慇懃な態度と、自分を村長と知っていることに加えて、難波の朝廷の官吏派遣のことで話があると言われたからでもあった。


 どちらの方角を見ても山が中天までそそり立っているというような、本当の谷間の奥へとスクナは連れて行かれた。道も急な登り坂だ。山は黒い影だけを同じ色の空に、おぼろに浮かび上がらせている。やがて一行は、一つの山の麓へとたどり着いた。

 そこには洞窟があって、中から光が漏れていた。

 スクナは度胸を据えて、五人の人影とともに洞窟に入った。たちまち、ひんやりとした空気に包まれる。時々上の方から、水滴が頭や顔に落ちてきたりもした。

 中はところどころに立てられたかがり火で、明るく照らされていた。これだけ火をたいても煙がこもらないのだから、よほど広い洞窟のようだ。歩いても歩いても行き止まりにはならない。

 立った時の頭のすぐ上がちょうど天井で、岩肌はぬるぬると湿っている。足元は勢いよく流れる地下水だ。

 時には池にも出くわした。岩の横壁も変化に富み、空洞の中で上から氷柱つららのような岩が数百本も下がっていたり、自然の石像が数十体も林立してスクナを出迎えたりもした。

 やがてちょっとした地下の広場に出た。そこには八十人ほどの人たちがひしめきあって座っていた。何が始まるのやらと不安でもあったスクナは、たちまち上座へと席を勧められた。


「村長殿。突然お来し頂き恐縮です」


 最前列に座っていた老人が、頭を下げて言った。角髪みづらは結っていない。見わたすと、そのような角髪を結っていないものも多かった。顔つきが明らかに大陸系である者もかなりいる。女の姿も若干あった。


「早速で申し訳ござらぬ。時に難波の朝廷が、日玉の国の服従を要請してきたとか」


 老人は国名をはっきりと日玉の国と言った。スクナの眉が動く。


村長むらおさはいかがなされるおつもりで?」


「まだ、決めてはおらぬ」


 と、それだけスクナは言った。


「まだ?」


 老人の目がつり上がった。


「この期に及んで、まだとは!?」


「決めかねておるのやさ。それよりも、そなたたちは何者か? 私をいきなりこのような所へ連れて来るなど、いささか乱暴が過ぎまいか?」


「申し遅れました。我われは両面宿儺を奉じる者。その再来を念じて集まった者たちでござる」


「なに? 両面宿儺!?」


 スクナは息を呑んだ。すべての視線が無言でスクナを凝視し、洞内は静まりかえっていた。氷柱状の岩の突起の先からポタッと落ちた水滴の音さえ、木魂して聞こえてきたほどだ。その静けさを破って、先ほどの老人が口を開いた。


「両面宿儺は日玉の守り神。今や国難の時に当たって、我われ両面宿儺の信奉者はこうしてここに集って祈っておるのでござる。祈りは念。念の力は必ずや両面宿儺を呼び起こしてくださるじゃろ」


 自分の名の由来でもある両面宿儺という名を聞いてスクナの心が動いたのを、老人は機敏に察したらしい。さらに生き生きと話を続けた。


「両面宿儺は二つの顔と四本の手足を持っており、昔このあたりの洞窟から現われた時に人々は驚いて逃げ廻ったが、『我は魔怪にあらずして、この国の守護神なり。恐るるなかれ』と、それはもう美しい玉のようなお声で告げたということでござる」


 スクナは目を見開いていた。両面宿儺とは、幼い頃からいやというほど大人たちから聞かされてきた名だ。もちろん、日玉の守護神としてである。

 ところがそれが、二つの顔と四本の手足を持つなどという具体的象形については、全くの初耳であった。それではまるで怪物ではないか――スクナがそう思っているうちにも、老人の話はまだ続いた。


「この国難に当たって、必ずや両面宿儺様は現われてくださる。我われはそう信じておる。しかしそれには村長殿、あなたのご協力が必要じゃ。村長であるあなたが我われの仲間に加わって、ともに強い念を出してくださってこそ、我われの念は力強い波動となるはずじゃ」


「しかし……」


 何もかもが唐突すぎる。スクナは頭の中を整理する必要があった。長い沈黙と、静寂の時が流れた。やがてスクナの方から、その静寂を破った。


「相手が強大すぎる」


 確かに、それはスクナの本音のひとつでもあった。


「難波の大王は、確実にその勢力範囲を広げているとか」


村長むらおさ殿!」


 今度の老人の言には、ものすごい力が込められていた。


「村長殿はまだお若いから、あまりよくご存知ではないのかも知れぬがのう。つまり今の大王がどうやって、この倭国に侵攻してきたかは」


「だいたいは聞いておるが」


「その昔、大倭やまと朝廷みかどは海の向こうの三韓、すなわち高句麗こうくり百済くだら新羅しらぎを討とうとして兵を出したんじゃ。だが大倭の大王おおきみ足仲彦たらしなかつひこと、その後を継いだ皇后の気長足姫おきながたらしひめは負けた。そして大倭の朝廷は滅んだ。そして新羅から占領軍として倭国に乗り込んで来たのが、すなわち今の難波の朝廷の先代の誉田大王ほんだのおおきみじゃ」


「でも、今の大鷦鷯大王おおささぎのおおきみは、宋の皇帝より安東将軍倭国王の称号をもらっているというではないか」


「それでござる」


 ぴしゃっと老人は言い放った。


「なぜそのような称号を、わざわざ宋の皇帝よりもらう必要があるのかということじゃ。つまり自分たちはただの占領軍で、この倭国における支配の地盤はもともとない。そこで宋の皇帝のお墨付きをもらって、自分たちの倭国支配に正統性を持たせようとしたんじゃ。だから盛んに、宋の皇帝に上表文など提出しておる」


「でも一つ、腑に落ちないことがあるんだが」


「何でござろう」


「今の大鷦鷯大王の先代の誉田大王は、前の朝廷を滅ぼした占領軍の総大将であったといわれるが、もしそうなら宋の国のように新たな王朝の樹立を宣言して、自ら太祖と名乗るのが自然ではないか。それなのに、誉田大王は自分が滅ぼした王朝の最後の大王の足仲彦に自分を結びつけて、この倭国の神倭朝かんやまとちょう初代の磐余彦大王いわれひこのおおきみから数えて十五代目の大王と称しているの、いったいどういう訳なんだ」


「そこでござる」


 またしてもしたり顔でうなずいて、老人は言葉を続けた。


「実はその初代磐余彦大王に位を授けたのも、両面宿儺様なんじゃ。両面宿儺様は天空より飛来して、山の上で大王の位を岩余彦いわれひこに授けた。だから今でもその山を、位山くらいやまというんじゃ」


「位山とは、ここから南の方へいったところにあるあの山か?」


「そうじゃ。そして両面宿儺様が天空から飛来するに当たって乗ってきたあめ浮舟うきふねを乗り捨てたのが、その隣の船山ふなやまじゃ。だから今でも大倭の大王おおきみの即位の度に使うしゃくは、位山の一位樫いちいがしの木で作られるんじゃさ。こうして両面宿儺様に位を授かって始まった神倭かんやまと朝だけに、半島からの占領軍とてないがしろにはできんのだよ」


「今の難波の朝廷になる前の朝廷は」


 老人の隣の若い男が、初めて口を開いた。


「三韓への侵略戦争を企てて大敗して、三韓からの占領軍が今の難波の朝廷を作った。つまり難波の朝廷は倭の国を侵略しているといえる」


「しかし、特にだな」


 その言葉を最初の老人が引き継いだ。


「他のところと違って、日玉の国だけはそんな侵略者の手から守らねばならん」


 言葉の途中で、老人は腰をかばいながら立ち上がった。スクナにも立つように促す。


「こちらへ」


 広場の人々を後に、案内されたのはすこし狭いスペースのやはり地下の広場だった。そこも灯火で照らされ、岩の壁が自然にくぼんでできた棚に、いくつかの品物が並べられていた。その中の一つを、老人は手にとった。


「これを御覧なさい」


 それは、菊の花のような形をした円盤状の、金属製のものだった。


「超太古にこの日玉の国にいて世界を統治なさっていたお方が、ヒヒイロカネという金属で作られた物じゃ。この金属はもう、今ではこの世のどこにもない」


 スクナはそれを手にとった。ずっしりと重い。確かに銅とも鉄とも違う。


「それから文献もある」


 まだ滅多にこの国では見られないはずの紙という物に文字が書かれた巻物が、スクナに手渡された。開いてみても、そこにはスクナにとって見たこともない文字が並んでいた。宋の国の漢字とも違う。


「これを村長殿に進ぜよう。とにかく、日玉の国が倭の国の中でも特別な国であるいうことは、これらの品々によって明白じゃ。日玉は世界の神都なのじゃ、神都たる聖地は、なんとしても守らねばならぬ」


 スクナの心は揺れ動いていた。神都を守るということの重要性は、この老人に言われるまでもなく分かりすぎるくらい分かる。しかし彼は、だからといって戦いを命令できるような性格ではない。スクナはもう一度、解読不能の文献に目を落としてみた。


「どうですかな、村長殿。神都再興のために、そして両面宿儺様の再来を期して、ともに立ち上がっては下さらぬか。祈りが強ければ、両面宿儺様は必ず現われてくださる」


 スクナは老人を見た。そしていつかその容貌が、十年前に死んだあの爺の面影と重なるのであった。

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